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百年前のパンデミックと比べてみた(2020年03月末時点)

(最新の内容は、こちらにまとめるようにした。)

未来のことは分からないし、安易に過去と並べるのは乱暴な話だけれど、ここ最近の騒ぎについて、100年前のパンデミックと同じ尺度でグラフにして比べてみた。
(英語でグラフ書いたほうがしっくりくるのは、このところ僕が毎日FTの記事を見ているせいだと思う。我ながら病的だと思うが、気になるのだから仕方がない。)

 1918年から1920年にかけて、スペイン風邪という名で呼ばれる疫病が、世界じゅうで広まった。このスペイン風邪がインフルエンザウイルスによるものだと突き止めるまでに、人類は10年以上を費やした。全世界の死者数は、5,000万人とも、1億人とも言われている。(当時の世界人口は20億、現代の4分の1くらい。この数字を現代にあてはめるなら、4倍を掛けないといけないかもしれない。)
 それから100年が経って、今回あらたに発生した新型コロナウイルスについて、中国大陸で大流行の始まった翌月にはもう、人類はその病原体の遺伝子配列まで突き止めていた。CTスキャン、人工呼吸器、抗ウイルス薬、インターネット、いずれも100年前にはなかった文明の利器を駆使して、しかしそれでも2020年4月現在、人類はこの疫病を押しとどめることはできずにいる。

 スペイン風邪の日本での流行について、東京都の衛生研究機関が月次の死者数の推測値を集計している。1920年の日本の総人口は5,700万人で、2020年のイタリアの6,000万人と近しい。COVID-19による死者数が世界最大となってしまった2020年3月末のイタリアと、100年前の日本とを、同じ尺度で比べてみた。

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 2020年3月末時点でのイタリアの累計死者数は、1.2万人。100年前の日本の、パンデミック中の2年間での累計死者数は、38万人。(当時の日本の人口は、今の半分くらいなので、もしこれを今の日本に当てはめるなら、2倍の数字にしないといけない。)

 日本におけるスペイン風邪の流行は、大きなピークが2回あって、2回目のピークのほうが死者数が多かった。ウイルスの変異が理由とされている。詳細は後述で引用しているが、2回目の流行では感染者数は少ないが致死率は高く、1回目の流行で被害を免れた地域のほうが2回目の流行がひどかったそうだ。1回目で免疫ができていた人たちがいたためだろう。
 100年前の人類の科学では、医学的には体当たりに近い対応しか取りようがなかった。また、大戦前後の社会情勢が国際的な情報共有を阻んでいた面もある。

 今回は情報共有は(いちおう)されており、また、抗ウイルス薬やワクチンなどの医学的対策が期待できるという点は、間違いなくアドバンテージにはなるだろう。
 だが、今回の人類がこれを、いつ、どういったかたちで抑え込めるのか(あるいは結局、体当たりに近い対処の仕方しかできなくなってしまうのか)は、まだ予断を許さない情勢にある。

 以下、100年前の状況について述べた文章を引用する。いずれも1922年の内務省衛生局「流行性感冒」より。引用時に現代かなづかいに改定。【#】箇所は引用者付記。
 漢文の素養があった時代の、帝国日本の官僚の美文である。「猖獗を極める」という、短く述べられた所感が怖い。

『流行の概況』
 今回の「インフルエンザ・パンデミー」はその源を何処に発せしや全く不明にして、かつその伝播の径路も不明に属す。けだし流行の始まりし時はあたかも世界大戦乱の最中にして各国共に国境の通信を監視し、悪疫蔓延などの不利なる報道はこれを明白にするを避けたるべく、また戦乱の結果は世界各地の交通、状態きわめて錯雑し、その伝播の径路を複雑かつ迅速ならしめたるの観あり。
「インフルエンザ」は1918年(大正7年)3月に発生し、非常の速度をもってヨーロッパ、アジア、アメリカ、オーストラリアに伝播せり。第1回の流行は春夏の候に行はれ軽症なりしが、第2回の流行には秋季に来り、死亡率および肺合併症大なり。
 イギリス領インドの「インフルエンザ」は最も激烈にして9月以後3ケ月間に2億3,800万の住民中5百万の死亡すなわち2.07%の死亡率を生ぜり。
 流行の第3波は1919年1月に始まり、2月・3月にわたる。全地球いたる所に流行す。第3波の死亡数は第2波より少なし。これ第2波にありて抵抗弱き者消失したるがためならん。【#中略】第2波と第3波とは臨床上の症型相等しく、重症のもの多く、災害激甚なり。有史以来最大の「インフルエンザ、パンデミー」と称せらる。
『第1回流行状況』【#日本国内、1918-19年】
 本流行の端を開きたるは大正7年【#1918年】8月下旬にして9月上旬にはようやくその勢いを増し、10月上旬病勢とみに熾烈となり、しばらくを出でずして殆んど全国に蔓延し、11月もっとも猖獗を極めたり、12月下旬においてやや下火となりしも翌8年【#1919年】初春酷寒の候に入り再び流行を逞うせり…
『第2回流行状況』【#日本国内、1919-20年】
 感染者の多数は前流行に罹患を免れたるものにして病性比較的重症なりき、前回に罹患しなお今回再感したる者なきにあらざるもこれらは大体に軽症なりしか如し。
 各地流行の状を見るに都鄙、交通等の関係により相違あるも、概して前回激しき流行を見ざりし地方は本回は激しき流行を来し、前回に甚しき慘状を呈したる地方は本流行においてはその勢い比較的微弱なりしか如し。
 かくて各地に散発せる病毒は再び漸次四囲に伝播し、遂に1、2県を除きては何れも患者の発生を見ざるところなきに至り、翌春【#1920年】1月におよび猖獗を極め多数の患死者を出したり、3月より漸次衰退して6、7月に至り全く終息したり。
 本回における患者数は前流行に比し約その10分の1に過ぎざるもその病性は遙かに猛烈にして患者に対する死亡率非常に高く3、4月の如きは10%以上に上り全流行を通じて平均5.29%にして前回の約4.5倍に当たれり。

(2020/04/05追記…平凡社がこの書籍を、期間限定で全文無償公開していたので、そちらを参照して引用箇所の記載を改めた。また、一部の漢字を現代ひらがなにし、漢数字を英数字に・パーミル標記をパーセント標記に、それぞれ統一した。)

 繰り返しになるけれど、これはかなり乱暴な比較だ。おなじウイルス性の流行性感冒であるという点以外は、スペイン風邪とCOVID-19は性質が異なる。医学も交通も時代背景も全く異なる。過去がどうだったからといって、この先どうなるかは誰にも分からない。
 だけれど、何かの参考にはなるかもしれないと思ったので、こちらに掲載しておくことにする。