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親になる直前の思い

はじめまして。かずおと申します。
普通の33歳のサラリーマンです。
そして1月より6月一杯まで半年ほど育休を取る予定です。まだ子どもは生まれておりません。
つまり、まだ親になっていない状態です。今は。

そんな状態の今しか書けないと思い、急いでアカウントを開設し、記事を書いております。


noteを書く理由

君の死を 知らせるメール それを見る 前の自分が 思い出せない

俵万智/『未来のサイズ』/(株)KADOKAWA/2020

僕はこの詩をふとした拍子に見て、いたく共感しました。
『聞く以前の自分』と『聞く後の自分』が分断されてしまうほどの『衝撃』が、悲しい知らせによってもたらされるという事を表した秀逸な詩だと思います。
自分も過去に同様の悲しい衝撃で、目の前が崩れ落ちる感覚を味わったことがあったので、この詩に共感できたのだと思います。

この衝撃は何も悲しい出来事によってのみ生み出されるものでしょうか?
きっと違います。とても嬉しい出来事によっても同様の事象を起きるはずです。
そんなポジティブなベクトルの衝撃が、自分にもすぐそばに来ている気がするのです。それが出産という出来事によってもたらされる気がしているのです。

なので、『出産を迎える前の自分』が分断される(≒忘れてしまう)前に、今の心境を整理しておきたいと思った次第です。

親になるまで

この記事の趣旨は今の心境整理なのですが、結婚してから親になるまでの流れを関係する出来事に絞って記載することで、気持ちを理解する一助になると思うので記載しようと思います。

結婚をする

結婚をしたのは7年前です。7年か、本当にあっという間です。
結婚したタイミングで転職をしており、夫婦で一緒にいる時間が比較的ズレてしまう仕事をしていました。それだけが要因ではありませんが、結婚当初は「今、子どもが欲しい」という感情は二人とも持っていませんでした。

子どもが欲しくなる

5年前くらいですかね。ぽつぽつと子どもを持つ友だちが増えてくるタイミングでした。
元々欲しいという気持ちもあったので二人で話し合い、いわゆる妊活をスタートしました。ただ妊娠しませんでした。

不妊治療を開始する

4年前くらいです。
「あれ?友だちの話を聞くと結構スムーズに出来るけど、なかなか妊娠しないなあ。」と思いはじめます。
さくっと、お互いの生殖能力の検査などをスタートします。

結果問題なし

「良かった~。ならいつか妊娠するよね~。」という思いで再び妊活をスタートするもうまくいかず。
紆余曲折ありつつ、不妊治療のクリニックに本格的に通い始めました。
ここでは詳細は省きますが、「タイミング法→人工授精→顕微授精→体外受精」という流れで進んでいきます。(病院・人にも寄るので詳細はご自身で調べてください)
不妊治療には様々な負担があります。保険適用などでよく話題になる経済的負担は一定あるのですが、一番大変だったのは奥さんの身体的及び心理的負担です。ここでは軽く書きますが、本当に辛かったと思います。改めて感謝します、ありがとう。

流産を経験する

タイミング法~顕微授精と続ける中で、我々は早めに体外受精の段階に進むことを決断します。本題から逸れるので、決断背景も割愛。
体外受精という治療過程において、我々は最初のタイミングで受精卵を可能な限り作って胚を凍結するという手法を取りました。そこで複数個凍結することができました。ここがとても痛かったそうです・・・。

2回目の胚移植で、我々は妊娠という結果に行きました。

2人して、とっても喜びました。全力で。「今までの苦労はこの喜びのためにあったんだ」と報われた気分でした。
しかし一カ月後、とても辛い診断を受けました。そうです、流産です。

感情のジェットコースターを1ヶ月で味わい、二人とも想像以上にダメージを受けました。人生で一番つらい出来事でした。今でも思い出すと泣けてきます。

脱線してしまうのですが、そんな辛いときにこの歌に励まされました

https://www.youtube.com/watch?v=vyvY3Uwc0EA

ケツメイシの「ライフイズビューティフル」です。
JASRACの使用料などややこしいので、埋め込みせずかつ歌詞も掲載しませんが、この曲で「いまの辛いことも人生を彩る一つなんだ。」と少し前向きになれました。
少し前までは歌に励まされるという感覚が分からなかったのですが、初めて歌に励まされました。ありがとう、ケツメイシ。

不妊治療を再開する

とても辛い結果を乗り越え、治療を再開するという決断ができるまで半年ほどの期間が必要でした。心理的にもそうですが、妻の身体的にも回復する時間として不可欠でした。
なおその間に我々は「自分たちがコントロールできるアクションを取ろう」と話し合い、環境を変えようということで引越す流れで家を買ったり、犬を飼い始めました。この時期に犬を迎え入れる決断をして本当によかったです。クオリティオブライフ爆上げです。

そんな時期を経て「また不妊治療始めようと思う」と妻が言ってくれた時は、感謝の思いと尊敬の念を抱きました。

そして今

再開後もすぐ良い結果は出ませんでした。

凍結保存されていた最後の胚で2度目の妊娠反応がありました。ちなみに胚は妊娠確率が高いと思われるものからチャレンジします。最後ということは、いわゆる「優秀」な胚ではなかったはずです。しかし妊娠反応に繋がりました。雑草魂です。
1度目の時と同様、かなり喜んだ我々でしたが、どうしても悲しい出来事が頭のどこかでよぎります。
喜んだ分だけ悲しい出来事をつきつけられた時に辛い、という事を身に染みて分かっているので、どこかで喜びのストッパーをかけているのが自分でも分かりました。
報告をするのもためらったり、ベビーグッズを買う時ですら「悲しいことが起きたら、家にあるこのグッズを見たら精神崩壊しそう」という思いの中、買い物してました。

ですが、あれよあれよという間に数日すれば生まれてくるタイミングになりました。
もうストッパーを外しても良いタイミングですかね?無事生まれてくることを祈るばかりです。

衝撃を受ける前の自分の心境

前置きが長くなってしまいました。
そんなストッパーが外れた状態である『出産を迎える前の自分』の気持ちをここで綴ります。

どうして子どもが欲しいのか

この疑問は、先述の色んなフェーズにて常に考えてきました。
何故ならば経済的/心理的/(妻のみ)身体的に苦しい思いをして取り組む過程において、明確な指針が無ければ折れてしまうためです。

冒頭でお伝えしましたが、この理由を自分自身再度明確にして、振り返りを可能にすることが本記事の目的です。
この理由が「画期的だ」「感動する」ということは一切ございません。むしろ諸パパ・ママ先輩方から、「何を甘いこと言ってんだ」という思いを喚起させるかもしれません。
ただ少なくとも以下の3つの理由が、もうすぐ生まれてくる生命を迎えるにあたって苦しい壁に立ち向かう決断をする際の私たちの背中を押してくれたのです。だから忘れたくないのです。だから何を言われようとこれが、子どもが欲しい理由です。

1.育児が2人での最大の共同作業になるから
僕は妻が大好きです。愛しています。2人での生活を7年間ほど過ごしていますが、「楽しくない。」などと思ったことはただの一度もありません。とても幸せです。

シンプルにそんな人と、一緒に何かを成し遂げるということをしてみたいという気持ちがありました。何故なら、何かを2人でやり遂げるということによって、よりその2人の関係は深くなる気がするからです。
その”何か”は、ビジネスかもしれません、アートかもしれません。色んな何かはあるはずです。ただ私たちにはその才覚はなさそうです。
2人の価値観をすり合わせる、そして子どもに接していくという崇高な共同作業をどうしてもやってみたくなったのです。

2.育児を通じて自分も成長できるから
僕は自分も大好きです。そんな大好きな自分を高められるのなら、何でもしたいと思っています。
想像するに周囲の情報を聞くと、間違いなく育児というのは、思い通りにいかないもののようです。そして例外なく話を聞くパパママは何かしらに苛立ちを覚えるようです。
そうです、今はやりのアンガーマネジメントです。皆が大変だという壁にチャレンジしたい思いが芽生えているのです。心のベクトルをいかにポジティブにもっていくか、そういったチャレンジがどうしてもしてみたくなったのです。

上記のような自己鍛錬だけでなく、様々な壁があると思います。その壁を一つずつ乗り越えて、人間として成長してみたいのです。

3.幸福感
そして何といっても、他では得ることのできない幸福感が得られるのが育児だと思います。赤ん坊から成長を傍で見守ることができる、という他にない経験。問答無用で幸福感を生む最大の行為が育児じゃないですか?
僕はそう思っています。

こんな感じで、ゴールに到達できるか分からず不妊治療を辞めたくなった時、流産で絶望の淵に立ったときに、子どもが欲しい理由を整理して前を向きなおしていました。

衝撃を受けた後に

これから出産という衝撃を受けたあと、目まぐるしく訪れる様々な事象の前に、子どもが欲しいと思っていた理由は常に意識し続けられるでしょうか?

100%答えはNoです。

なので、このnoteを活用します。
1週間毎に成長記録をここで書き記し、衝撃を受ける前の自分が見てガッカリした感情を抱いていないか、を常に振り返っていこうと思っています。

そんな意思表示の記事でした


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