見出し画像

娘の涙とスケボーのカウンターカルチャーについて思うこと

 前回の投稿「スケボー金メダルと今後の日本について思うと」では、金メダルを獲得した堀米雄斗さんの凄さやスケボーの魅力などについて書いた。今回は、娘のさくら(7歳)が大泣きした出来事とスケボーのカウンターカルチャーを重ね合わせながら、思うところを書いてみたい。

 私には、7歳と5歳の娘、それと2歳の長男がいる。よく子供を連れて近くの妻の実家に里帰りする。先日もいつものように妻の実家に帰った。私の妻は、4姉妹の末っ子で、妻の実家に帰るといつも妻の姉妹が優しく迎えてくれる。娘のさくらも妻の姉妹(さくらにとって叔母さん)が大好きで、妻の実家に帰ることをいつも楽しみにしている。3人の叔母の中でも、特にさくらのお気に入りは、妻の1つ上の叔母の「ゆきちゃん」だ。その日も、さくらは、一日中ゆきちゃんにくっつき、全く離れない。ゆきちゃんもさくらのことが大好きで、よく面倒を見てくれる。

 その日のある場面で、思うことがあった。

 一日があっという間に過ぎ夜になった。子供を寝かす時間になったので、いつも通り私はさくらに「もう寝る時間だよ」と伝えた。すると、さくらは

 「今日はゆきちゃんと一緒に寝たい」

 と言い出した。私は、

 「わがまま言わないよ。ゆきちゃんは、ゆきちゃんの家族で寝るんだよ。さくらとは寝れないの。

 と返した。しかし、さくらは中々聞かない。不満そうな顔をするさくらに私は重ねて

 「さくら、ゆきちゃんにはゆきちゃんの家族がいるんだよ。寝るときは別なんだよ。わかるよね?ゆきちゃんも困ってるよ。

 と、その場の空気を読むように諭した。しかし、さくらは納得していない様子だった。そして、

 「けど、みんな家族だよね?父ちゃんもいつも『みんな家族だから』って言ってるじゃん。何で一緒に寝ちゃダメなの?」

 と尤もらしい感じでさくらが返してきた。私は、

 「家族だけど、ダメなの。ダメなものはダメ!分かりなさい!」

 と声を荒げた。それを見ていたゆきちゃんは、そっと気付かれないように部屋を離れ、自分の寝室に向かってくれた。

 部屋に取り残されたさくらは、大泣きした。私は、さくらを宥めようと、時間をかけて色々な理由をつけ、なぜゆきちゃんと寝れないかを説明した。しかし、さくらの涙は止まらない。寧ろ勢いが増していた。

 「何で、一緒に寝たいっていっちゃ駄目なの?ゆきちゃんのこと大好きなのに何で?大好きって言っちゃ駄目なの?」

 と問う。私はうまく返せなかった、、、

 すると、しばらくて、大泣きしているさくらに気づいたゆきちゃんが、わざわざ我々の部屋に戻ってきてくれた。そして、さくらをぎゅっと抱きしめ

 「ゆきちゃんもさくらのこと大好きだよ。さくらがゆきちゃんのことこんなに大好きでいてくれて嬉しいよ。けど、今日はさくらと寝れないの。ごめんね、さくら。」

 と優しい言葉をかけてくれた。さくらの涙はさーっと引き、笑顔に変わった。

 私は、この出来事で、大切なことに気づかされた。

 さくらが泣いていた本当の理由は、ゆきちゃんと一緒に寝れなかったからだけではなかった。本当の理由は、自分の気持を正直に言ってはいけないと言うその場の雰囲気と空気に、何で自分の気持を正直に言ってはいけないのか?と分からず悩んでいたのだ。その窮屈さに心が苦しくなっていたのだ。私が、空気を読むことを諭したことが原因だったのだ。

 結果的には、さくらが大泣きし、自分の気持を爆発させたことで、その思いはゆきちゃんに届いた。泣くぐらい好きだというさくらの気持を知ったゆきちゃんは嬉しかった筈だ。さくらのわがままが、相手に伝わり、相手を幸せな気持ちにしたのだ。

画像1

 私は、思った。『わがままだと思われても、自分の心に正直になり、その気持ちを素直に表現すること』がどれだけ大切かと。もし、あの時さくらが私の言葉を聞き、その場の空気を読んで自分の心の中にその気持ちを抱え込んでいたら、どんなに苦しかっただろう。そして、ゆきちゃんの幸せな気持ちも生まれなかった。突き抜けた気持ちが、誰かを強烈に幸せにする、そのことに改めて気付かされた。

 思えば、銀行員として大きな組織に15年間も勤めた私にとって、『空気を読むこと』は日常茶飯事だった。自分が社会をどうしたい、自分の人生をどう生きたいと言う思いより、上司や偉い役員の考えていることを想像しながら毎日仕事に汗を流していた。幸か不幸か、比較的人より空気を読むことが特異だったとも思う。だからこそ、色々な経験もさせてもらった。それについては本当に感謝しかない。しかし、そんな大人の世界で当たり前の『空気を読む』生活を続けてきた結果、自然と家庭内にもそれ持ち込んでしまっていたのかもしれない。恐らく、一般のサラリーマン家庭や子供が通う学校、子供が参加するクラブなどのあらゆる場所で、この『空気』が支配してしまうことがあるのではないかと思う。そう考えると、我々はどれだけ子供たちを窮屈にしてしまっているのだろう

 前回の投稿で、私はスケボーの魅力について、「スタイル(自分だけのかっこよさ)を追求する文化」、「多様性を楽しむ文化」、「失敗を恐れず、挑戦する仲間をリスペクトする文化」があることだと申し上げた。そして、これからの日本社会に必要なのは、子供たちや大人が、自らの個性を磨き、何かに突き抜けることが大切だと述べた。しかし、そのような考えを持つ私でさえ、日々の生活の中では、自然と子供や周りの人間に対し空気を読むことを強要してしまっていることに気づいた。だからこそ、これからは『わがままで言い、自分の思いは空気を読まず正直に発信していい、突き抜けて良い、そこから伝わることが必ずあるはずだから』と改めて肝に銘じて子供たちと接していきたい。

 スケボーは、カウンターカルチャーの一つだ。社会に対しある種の壁を作ることで、自由を表現し、それがかっこよさに繋がる。スケーターが、スケートパークではなく、あえて街中(ストリート)でスケートするのは、彼らが社会に対し、何らかの反発や心の叫びを表現したいからである。スケートボードの競技人口の約7割が17歳以下だと言う記事を見た。ストリートを滑る若いスケーターは、きっと日々の生活では発散することのできない、何らかの思いをスケボーに乗せ、自らを表現しているのだと思う。

 そんな若い世代に対し、我々大人は何ができるだろう。

 言いたいことを中々言えないこの世の中で、我々は彼らに空気を読むことを強要し続けてはいけない。我々は、彼らが発する内なるメッセージに耳を傾け、大人側から歩み寄っていく必要がある。スケボーには、多様性を楽しむ素晴らしい文化がある。もし、大人が子供たちに手を差しのべ、スケボー文化を日本に広げるムーブメントを一緒に起こすことができたら、どれだけ楽しく、素晴らしいことか。もし、スケボーが街に溶け込んだ社会を実現できたとしたら、それはきっと多様性に溢れる素晴らしい社会になっている筈だ。

 その為のFirst Stepとして、改めて大人たちに提案したい。前回も述べたが、是非これを読んで頂いたお父さん、お母さんには、すぐムラスポに行き、スケボーを購入し、スケボーを体験してもらいたい。全てはそこから始まる。

(私はムラスポの回し者ではありません)

画像2


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?