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長い1日

 昨日は夜勤明けでしたが、思いもよらず慌ただしく、長い1日となりました。

 夜勤はほどほどに忙しく、しかしその日は必ず9時に帰える必要がありました。

 10時から12時の間に古いTVの回収に来る予定でしたので、私が帰るまで母には在宅してもらうようにお願いしていました。

 10時前には帰宅し、母は買い物に行き私は回収業者を待ちました。
 
 到着時かんの連絡があり、11頃に無事にTVを回収をしていただきました。

 ここからは自由時間です。

 とりあえず、お花の水やりと延びきった雑草を取り、枯れている鉢を動かしたりしていました。

 全てを片付けるのはあきらめて、葬送のフリーレンをはじめから見直していたので、続きを見ながら昼食をとるころにしました。

 走行しているうちに母も帰宅し、私もお腹を満たされお昼寝をしていましたが。

 15時ころになって、足音が近づいてきて「まためまいが始まった!」と、母が私には報告に来ました。

 「今からか見てくれる病院ないかな?」

 そこからが、大変で私は寝ていれば収まるだろうと、楽観的に考えていました。

 それでも収まらず、母の部屋から声が聞こえて向かうと、「お水のみたい」とちょっとヤバめの母がおりました。

 お水を飲む前に、嘔吐してしばらく背中をさすっていました。

 ここでも、吐いたら収まるかなと思っていました。
 
 しかし、収まる様子なく立ち上がれなくなってきて、病院を探すことにしました。

 以前みてもらった病院は、整形の先生しかいないとのことでやんわり拒否されました。

 別の病院に連絡すると、17時に内科の先生が来るので、もう一度連絡が欲しいとのことで、30分程待つことにしました。

 しかし、母が「歩いて病院に行ける自信がない」と言うので、救急車を呼ぼうと私が伝えますが、「どうしよう、恥ずかしいわ……」と、返事が返ってきてずっこけました(笑)。

 意外とこういう方もいるかもしれませんね。
 
 わからなくはないのですが、嘔吐している人を一人で病院に連れていくのは、困難なので母の意見は無視して、救急車を要請しました。

 待っている間に、帰宅してよい時の靴と上着を用意し、母は靴下を持っていないので、私の新しい靴下も持っていくことにしました。

 保険証やお薬手帳などは、母の鞄に入っているので、それごと持っていくことにして、必要なものを準備しておきました。
 
 母はベッドに上がることも、出来なくなっていました。

 17時に連絡をすることになっていた病院は、何度かかけましたが繋がりませんでした。

 救急車が到着して、状況や既往歴など質問に答えて行きますが、ご利用者のことより母の病気に関しては知らないことが多く反省。

 その間も吐気は収まらず、立ち上がれず四つん這いで担架のところまで行っていました。

 ちなみに我が家の玄関前と廊下は狭いため、布状の担架で、皆さんがよくみる車輪のついた担架に運んでいただきました。

 救急車に乗ってからは、吐気が収まってきたようです。

 バイタルサインは、血圧が高いくらいで、他は問題内容に思いました。

 自宅から比較的近い病院に搬送が決まりました。

 病院について、私は必要な書類を書いている間、母は診察してもらっていました。

 吐気は収まっている様子で一安心し、病院にいることで私もおまかせできるのでホッとしていました。

 その後頭部のMRIを行いましたがって、頭に異常はないとのことで、これも安心です。

 おそらく耳鼻科系が原因でしょうとのことで、吐き気止めとめまい止めの点滴をして、収まらなければ入院ですが、収まれば帰宅してもよいとのことでした。

 この間に、遠方に住む兄に知らせて、ついでにLINEも繋げて欲しいことをお願いしておきました。

 点滴が始まると、落ち着いてきたのか、母が普段通りに話すことが出来るようになりました。

 私「落ち着いた?大丈夫?」
 母「うん。ここどこの病院なん?」
 私「A病院やで。私も初めて来たけど、場所がよくわ   からんわ。」
 母「お母さんも来たことないわ。帰りどうしたらいいの?」
 私「タクシーで帰るよ。」
 母「帰れるんやんな?」
 私「点滴で吐き気と、めまいが収まったらな。しゃべれるぐらいになってるから、収まるんちゃうか?」
 母「まだちょっと、ぐるぐるしてるけど、だいぶましになったわ。」
 母「それにしても、救急車ってあんなに揺れるんやな。もっと揺れへんもんやとおもってた。」
 私「まあ、車やし道はいつもの道やから、揺れるやろ。それでも隊員の人がずっと担架押さえてくれて…で。」
 母「そうなん。申し訳ないな。ありがたいわ。」
 母「点滴時間かかるんかな?」
 私「40分で半分ぐらいやったけど、落ち着いてるから少し早くしてくれたから、40分もかからず終わるんちゃう。寝といたらいいやん。」
 
 ここから、点滴が終わるまで母は眠っていました。

 点滴の間、先生と看護師さんが代わる代わる様子をみに来てくださいました。

 ありがたいことです。

 点滴が終わって、端坐位もでき立つこともできて、帰宅してもよいとのことでした。

 2日分のお薬をいただき、守衛室で預り金を支払いタクシーで無事帰宅しました。

 兄にも帰宅できたことを伝えました。

 帰ってからは、母はなにか食べな気持ち悪くなりそうというので、レトルトの雑炊を食べるよう勧めますが、多すぎるとブーブー言うので、暖めてから食べられる量をとってもらい、残りは私がいただきました。

 私は玉子雑炊を作っていたのですが、それは食べたくないと、強い意思で拒否されました(笑)。

 食後は心配なので、リビングで寝ることにして、しばらくYouTubeを見ていたのですが、見事に寝落ちしていました(笑)。

 翌日の母は、すっかり普段通りの生活をしています。

 初めての救急車の要請となりました。

 仕事では何度も描けたことがあるのですが、緊張しました(笑)。

 母は介護を必要としていませんので、病院も基本は自分で行きます。

 そのために、既往歴など必要なことが分からず、今回はかろうじて本人が会話できましたが、意識がないときに困ってしまうので、把握しておかなければと思いました。

 兄と私は疎遠なのですが、母のことに関しては伝えて、巻き込むようにしています。

 ちなみに兄は、もちろん特に迷惑がることもなく、感謝もしてくれますので、頼りにしています。

 あとは、土日祝や時間外のときは、預り金が必要となります。

 今回は1万円でしたが、お恥ずかしながら使う予定がなければ、1万円もお財布に入っていないこともあります。

 なので、急にお金が必要になることもありますので、自宅に予備のお金を置いておかねばと思いました。

 コンビニがある病院もありますが、今回はATMもありませんでしたので、手持ちがなければ焦ったと思います。

 また、迎えに来てくれる人がいなければ、タクシーで帰らなければならないのですしね。

 今回は、たくさんの方々にお世話になりました。

 どの方も丁寧に対応してくださり、感謝しかありません。

 いい勉強になりました。
 
 
 


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