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教えすぎない指導とは?

サッカーの指導において「教えすぎることは選手の自由な発想を阻害するので良くない」とよく言われると思います。

じゃあどこまでが教えすぎじゃなくて、どこからが教えすぎなの?

サッカーを指導するようになってこの壁のようなものにぶつかる方は少なくないと思っています。

皆さんはどう思われますか??
どのような指導を求めますか?

確かに監督やコーチからガミガミと、あーだこーだ、一から十まで言うのも違うような気がするし…

ただノーコーチングならノーコーチングで、じゃあ指導者必要あるんですか?
…という疑問も湧いてきてしまいます。

問題は指導者自身にそこの基準が無いことが多く、その時々の判断や指導者によっても言う言わないの範囲が異なることなのかなと思っています。

僕も指導者駆け出しの当初はどこまで言ったらいいんだろう?という迷いがあった時期もありました。

ただ今では明確に1つの基準を自分の中に持っているのでコーチングで迷うことがなくなりました。

それを今回はご紹介していこうと思います!

僕の思うサッカーを教えすぎ、教えすぎてないの基準。それは…


"サッカーの原理原則に関わることについては教えすぎということはない"

ということです。

この僕なりの答えに辿り着いたのは、
フランスの指導者クロード・デュソー氏の言葉で
"育成年代のサッカーは「躾」(しつけ)だ"という言葉からです。

これをそのまま文字通りに捉えると、
「仲間を大切にすること」
「大きな声で挨拶をすること」
「コーチの目を見て話を聞くこと」

など、人として大事なことについて言っていると思ってしまいます。もちろんそれも大事なことではあるのですが…

僕の解釈は少し違います。
デュソー氏のこの言葉は"サッカーにおける躾"を育成年代の選手にはしておかなければいけない!と言っているのだと思います。

わかりにくくてスミマセン。

例えば、親と子の話として、産まれたばかりの赤ちゃんは最初は1人で何もできない状態です。

そこから両親が手とり足とり色々とお世話をしてだんだんと大きく育っていくわけですが、その中でトイレや手洗い、お着替えなどの身の回りの事や、挨拶などの礼儀など、将来一人前の大人になってもらう為に、時には叱りながらも躾をしていくはずです。

これと同じように…
サッカーを始めたばかりの子は何が正解でどうプレーすれば良いのか全くわからない状態です。

そこから指導者が関わって、将来一人前のサッカー選手になってもらう為に、選手本人が将来困らないようにする為に"サッカーにおける躾"をやっていく必要があるという意味だと受け止めています。

では"サッカーにおける躾"とは何か?


それが"サッカーの原理原則"です。

簡単なものだと例えば
"パスを受ける時はフリーで受ける"
"ドリブルはスペースではなく人に対して仕掛ける(正対)"
"インサイドキックはつま先を出し先に向けない"
"ディフェンスは半身でワンサイドカットしサイドに追い込む"
などです!

これを出来るようにすることが普段の生活で言うところの"ご飯の前には手を洗う"とか"朝起きたらおはようと挨拶する"とかと同じ、サッカーにおける躾です。※もちろん例以外にももっといっぱい原則はあります。

要はこれをやれないと将来サッカーを続けていく上でその選手が苦労するよという最低限の内容の事です。

僕達指導者はそうならないようにする為に、これらの原則を小さい時からしっかりと教えていかなければならないという事だと思います。

なのでここに関しては一切妥協しません。子供達の将来の為にも厳しく繰り返し教えないといけない時もあります。

そして段々と自然に、個人戦術として染み付いてくると、こちらが何も言わなくてもやれるようになってくるのです。

大会で試合会場にいるとわかりますが本当に強いチームほど、試合中に指導者からの声かけが少ないです。何も言わなくても問題なく原則通りプレー出来てるので言う必要がないからです。

練習でしっかりと厳しく原則が叩き込まれているからこそ、試合であーだこーだ言う必要ない。

弱いチームほど個人に対しての指示が多い。「戻れー」とか「上がれー」とか「絞れー」とか…

そしてサッカー始めたばかりの子達に
「教えすぎは良くないから」と言って、ノーコーチングで見てるだけでは決してサッカーはうまくなりません。それはカオスの状況を生むだけ。

…少し脱線しかけましたが。

これが僕の思うサッカーを教えすぎ、教えすぎてないの基準になります。

是非ご参考までに。

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