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若布を裁つ

「三陸のワカメを口にしたあの日から、僕はもう他のワカメに戻れなくなってしまったんだ」

日に日に緑が濃くなるケヤキ並木を歩いていたら、そんな知人の言葉を思い出した。
彼は私の親よりも年上で、いろんな場所で味わったいろんな食べ物の話をよくしてくれた。その中でも、ワカメだけは三陸がナンバーワンだと熱弁していたことが特に印象に残っていた。
かくいう私も三陸海岸のある県出身なわけだが、確かにそちらで住んでいた頃に食べていたワカメはとてもおいしかった。実家で食べていた日常ごはんでおいしかったものベスト10には、「ワカメとお豆腐の味噌汁」がランクインするほどだ。

食べたいなあ、三陸のワカメ。彼の言葉を思い出した日から、私は悶々としていた。
しかしここで売っているワカメはすべて九州産だ。九州のワカメも負けず劣らずおいしい。玄海灘に揉まれて逞しく育ったワカメは歯ごたえも香りも一級品だ。けれど、けれど私はあの三陸のワカメが食べたい。あの「ワカメとお豆腐の味噌汁」を自分で作ってみたい。

しばらくしばらく悩んだあと、私は某地域食材ECサイトで三陸産ワカメをポチッた。しかもまるごと1本。
まるごと1本のワカメがどのような姿をしているのか、私はすぐにイメージができなかった。水族館で見た記憶もなかった。
まあワカメはいろいろアレンジできるし、2人とも食には貪欲だし大丈夫でしょう。ワカメ漁師さんから発送の連絡を受けた私は、頭の中のレシピ本を開きながらウキウキとしていた。実際に届いて箱を開けるまでは。

待ちに望んだ三陸のワカメは、とてつもなく大きかった。
後から調べてみたところ、ワカメというものは全長2~3mにもなるらしい。そんでもって、葉っぱの部分(葉体と言うらしい)も長く、私たちは縦にも横にも大きいワカメを受け取ってしまったのだ。
写真でも撮っておけば良かったのだが、後述のとおりそんな余裕はなかった。
代わりに、私のこぶし以上の大きさもある「めかぶ」の写真を付けておく。

同封されていたワカメ漁師さんからの手紙をみてまた驚き。
「ワカメは受け取ったらすぐに茹でてください」と書いてあるではないか!
生ワカメというものは非常に鮮度が短く、通常は茹でて保存するものらしいのだ。ちなみに生のワカメは茶褐色というか、ヨウ素の入ったうがい薬のような色をしている。
そんなこんなで私(と手伝いに巻き込まれたかわいそうな夫)は、夜遅くまでせっせとワカメをジャキジャキと切っては茹で、切っては茹でを繰り返すことになった。

ジャキジャキ、ジャキジャキとひたすらワカメの茎部分と葉っぱ部分を切り離し、ざるに入れる。葉っぱ部分の長い部分は短くしたいので、チョキチョキとはさみを入れる。
ひたすらにワカメを切りながら、私は高校時代に文化祭で衣装を作っていた頃を思い出していた。クリーム色のてらてらしたサテンの生地を、くるくるとほどく。長さを図ったらチャコペンで印を入れて、大きな裁ち切りばさみでザクザク、ザクザクと裁つ、あのころの私を。
そういえばワカメも、「若布」とか「和布」とか書くなぁ。何で布って付くんだろうと思っていたけど今回で理解した。そう、ワカメは「切るもの」ではなく「裁つもの」

裁ち切り離したワカメは沸騰したお湯に入れると、揺れながら茶褐色からパッと鮮やかな深緑色に変わる。茹でている間、ワカメからはどこか懐かしい三陸の海の香りがしていた。
…そんな感じで感傷に浸っていると良くないらしいので、色が変わったらすぐに引き上げて、冷水でしめる。こうした作業を数時間繰り返して、ようやく下ごしらえが終わった。

なお、肝心の三陸ワカメの味は思い出以上のものだった。冷凍ストックしたものでも、肉厚でコリコリ、風味もしっかりしていて、どんな料理をしてもバッチリと香りと味で主張してくる。
冒頭で挙げたワカメ味噌汁もおいしかったが、炒め物(特に茎はきんぴらにしたところ感動モノ!)、酢の物(めかぶは刻んで三杯酢漬けした結果、見事ご飯泥棒になった)、しゃぶしゃぶ(一部残しておいた生ワカメを使って。見た目も味もとても楽しいものになった)、ワカメご飯(こちらはレシピが様々で、アレンジしがいがありそう)・・・と、何にしてもとってもおいしくて最高!

現在我が家の冷凍庫はワカメだらけになっているので、しばらくは三陸ワカメ三昧になる予定だ。春~初夏の贅沢、いかがだろうか。
ぜひ「ワカメを裁つ」体験もしていただきたい。


ワカメは一部塩漬けにもしています 芳田