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飲まなきゃやってられないときもあるさ

この記事はお酒を飲みながら書いている。
今夜のお供は桃ワイン。今夏に旅行した倉敷で購入したのち冷蔵庫に眠らせていたのだが、酒販店さんの「ホットワインにするとうまいよ」という言葉を思いだし、キンキンに冷えた世界からアッツアツの世界へと異世界転生(?)させることに決めたのであった。なおこの桃ワイン、なぜかインターネットで検索しても一切出てこない。私が買ったのは何なんだろうか。

それらしき商品、出てこない

小鍋(10年以上使っているが一向にガタが来る気配がない)にワインを数杯分入れて、弱火で煮る。私はホットワインに限らず“煮る”という作業が好きだ。野菜やら肉やら突っ込んだ煮物にスープ、ジャム、コンポート。最近は良くチャイも作る。鍋の中でゆっくりと火を入れられて、別のものに変容していく姿を見るのはちょっと瞑想に近いような気もしている。
そんなこんなで温まった桃ワインを一口飲む。口を付ける直前、アルコールの蒸気がつうんと鼻をさす。液体が口に注がれて、唇に、喉の奥に、お腹に、そして体全体にぽっと火が灯ったようになる。飲みやすくはあるけど、いかんせんアルコール度数は10%超なので気を付けて飲まないといけない。温めた桃ワインは、できたてのコンポートのようで確かにおいしい。

ここ最近、というかここ1か月くらい、私の周りではあまりにもたくさんの出来事が続いていた。良いことも悪いことも。
私的なことでは懐かしいつながりが復活した一方で、どうしても許せなくてつながりを絶ってしまうことがあった。仕事では思いがけない出会いが多かったけれど、理不尽な目にも多々あった。宝塚については…もう少し気持ちの整理が付いたらここに書こうと思う。
そんなこんなあったたくさんの出来事たちを、私は燃焼しきれずにいた。だから今日は酒の力を借りて、とどめを刺そうと思ったのだ。積み重なった燃え残りにアルコールをぶち込んで、火をくべる。心のキャンプファイヤーみたいなものかもしれない。となると火の粉はこの文章だろうか。
パチパチと心で燃えるものをボーっと想像しながら、一口、また一口桃ワインをすする。燃えゆく出来事に対して、自分はどう思ったの?どうしたいんだっけ?というのを、ゆっくりと考えている。

明日の自分がこの記事を観たらどう思うだろう。「なんじゃこりゃ」と呆れるかもしれないが、酔っぱらっててごめんということにしたい。飲まなきゃやってられない。年に一度はそんな自分もいるよね、とも。


つまみをトースト用チーズにしている時点で虚無  芳田