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新年・お雑煮の継承について

2022年も1週間が過ぎました

冬休みだ、仕事はじめだ、なんだなんだとしていたら年明けから1週間が過ぎてしまった。その間noteは開いていない。

というわけで、遅ればせながら本年もよろしくお願いいたします。
新年の抱負・・は以前書いた「n歳の目標」と同じとします。

結婚したあと、お雑煮の流派ってどうなるの?

年末、友人からそんな問いかけを受けた。

お雑煮は地域によって出汁も具材も変わってくる。何でそうなったのかは分からないが、その土地の空気、土、水、そしてそれらによって育まれる動植物、そして人間の暮らしが反映されていてとても面白い。

私は東北、夫は関東の生まれだ。どちらも料理はするが、お雑煮の「流派」でもめたことはない。夫はそれほど雑煮にこだわらないのだ。
一方で私はお雑煮の「流派」にこだわりがある方だ。というより、単に母が作っていたお雑煮の味が好きなのだ。
母が作っていたお雑煮は、すまし汁に鶏肉、かまぼこ、セリ。そこに焼いた餅を入れる。ときどきその上にイクラが乗ることがある。
家を離れてからしばらく経ったお正月、実家で母にお雑煮のレシピを教わった。お雑煮というと「新年のための特別なごちそう」感があるが、母は普段の食事と同様に、パッパと手早く楽ちんな方法で作っていた。
その極めつけエピソードがある。私が何かで目を離した隙に、お雑煮のベース(出汁)が既に鍋に入っていたのだ。肝心の製法を見ていなかった&材料を聞いていなかった私は母に尋ねた。

「お母さん、出汁って何からとっているの?」
ほんだしよ。水にほんだし入れて、みりんと醤油。少し塩気が欲しかったら適当に塩入れときゃいいから」

ほんだし?!

「本当は干しハゼで出汁とるけど、面倒だからね。大丈夫。セリと鶏肉があればそれっぽくなるから。それに、あなた九州帰ってお雑煮作るだろうけど、九州には干しハゼなんて売ってないでしょ」

我が家の雑煮がほんだしベースだったことは約20年越しの衝撃だった。でもよく考えればそれでもおいしいし、出汁を取る手間も減るし、別に悪いことではない。
というわけで、ここ数年は私が母から習ったレシピお雑煮を作っている。もちろんほんだしも大活躍だ。
母の言った通り、九州で干しハゼは今のところどこに行っても見ない。ついでに言うと「セリ」もそれなりにレア食材だ。九州でも作っているらしいが、一部のスーパーでしか売っていない。あったとしても「三つ葉」「大葉」「パクチー」の隣にひっそりと、ごくわずかにあるだけだ。

ちなみに夫の家では「その地域にはおそらく関係ないであろう、お母さんがそのとき作りたかった雑煮」を作っていたそうだ。
ベース(出汁)はたいてい一緒だが、アクセサリー(具材)は年によって微妙に違う。それもあってか、「これは芳田家の雑煮」というのは特にない、というのが夫の見解だった。

伝統も、家庭・個人の思いもごった煮で

お雑煮は土地や人の歴史がどんどん受け継がれて形になったものだ。そんなトラディショナルなお雑煮の製法をしっかり守って作る人は尊敬する。
一方で、伝統の一部だけ抑えていたり、別の路線を行ったりしている「我が家オリジナルお雑煮」も愛すべきものだと思っている。手間をかける美しさはあるが、普段の料理の延長線としてらくーにお雑煮を作る。そうやって、作る人・食べる人みんなが明るく食卓を囲むお正月の方が、すがすがしい気分になれそうだ。

私の雑煮も一応母から受け継いだものではあるが、だいぶ「我が家オリジナル要素」は強い。それに、冷蔵庫の状況によっては適当に野菜を追加することもあるので、完全に継承はしていない。まあ「ニュー芳田家オリジナルお雑煮」ということで、今年もおいしく作ることができた。
だから前章のタイトルの疑問に対しては、「家庭それぞれだろうね」としか言いようがない。夫派・妻派・折衷派・まったく違う派・両方作っちゃう派。いろいろあるだろう。

今年もそんな気持ちで、いろいろ料理を作りたいし、誰かが作ったものを食べてみたい。


雑煮には刻んだ柚子皮入れてもおいしいです 芳田