教員がうつ状態になるまでの記録3 調整する仕事ができなくなった

 うつ状態であるが、薬を飲みながら仕事をしている。仕事の量はかなり軽減してもらった。
 できることとできないことがはっきりと出ている状態である。教材研究はできる。生徒対応もできる。授業もできる。もちろん絶好調というわけではないけれど、割と気持ちも気楽な状態で、前向きになんとかなっている。
 できなくなった仕事が、教務の調整的な内容の仕事だ。時間割の監督者を決めたりとか、教育に関わる事務的な内容について調整をしたりとかが、全くできなくなった。まずやろうという気力がまったくわかない。手をつけようとすると頭が痛くなるし、気分が悪くなる。精神がいきなり不安定になる。私生活でも調整的なことは全然頭が働かず、辛い精神状態になる。いまはこんな感じだ。
 なんでこんなことになったのか、おおまかな経緯を述べる。私はここ2年間、ずっと教務部で調整の仕事をひたすらやってきた。授業の合間に必死に調整していろいろ決めていく。すごく疲れてなんとかまとまる。しかしコロナの情勢やその他ちょっとしたことで状況が変わってしまい、苦労して決めたことが白紙にもどされる。これが延々と繰り返されてきた。努力が水泡に帰す体験を何度も何度も繰り返せば、そりゃだれだって嫌になるし、精神を病む。そもそのその仕事だけしているわけじゃなく、通常の授業があって、生徒対応があって、部活があって、と通常の仕事が多々あるなかで、なんとかコロナで激増した教務の仕事をこなしてきたのだ。その「通常の仕事」ですら、コロナ禍になってしまい「通常」ではない特別な対応を迫られることになって、とにかく仕事量は増えていた。
 さらには、この調整というのは、本当にめんどうくさくて、決めたあともいろいろな教員が、それぞれの立場で意見を言う。正当性があるものもあれば、それはただのわがままだろうと思うようなものもある。否定されたり、調整した内容の不満を言われることを少なくない。それでも、よりよい仕事をしようと頑張ってきたのだけれど。そんな極めてストレスフルな状態に2年間さらされて、ついに限界を超えて、うつ状態になった。
 これからは、できなくなった仕事は無理にやらない。まあ、できないのだけれど。
 とにかく無理せず、やれる範囲でだけやる。休職も医師にはけっこう強く進められたが、やりがいを感じている部分だけでもやりたかったので、休職はしなかった。休職したほうが治りは早いらしい。でももう少しだけ休職せずに挑戦してみたい。ただしむりは禁物。とにかく禁物。症状を悪化させかねないから。働き方と自分の精神と、折り合いがつくといいなと思ってる。

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