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「反・自己犠牲」

私はヴィーガンである。
しかし、ヴィーガンを自己犠牲などにはしたくない。

私が最初にベジタリアンになったきっかけは、思春期にインターネット上でと畜の動画を観たことであるが、
倫理学に於いてはヴィーガンについては功利主義が主流である。

最大の自己犠牲は特攻隊と耳にしたことがあるが、靖国参拝している者がよく「英霊に感謝」と発言するが、何に感謝しているのだろうか?「感謝=ありがとう」だと思ふが、日本のファシズムである帝国・軍国主義の犠牲者(戦死者)に対して「ありがとう」と言うのは誠にデリカシーに欠けると思ふ。

この様に自己犠牲と呼ばれているものはとてもグロテスクである。

さて、引きこもりと自己犠牲というテーマで考察すると、
日本の人民の自己犠牲的な傾向の強さと、日本国内の引きこもりの人数の多さは、相関性がある気がしてならない。
また、自死率の高さとも関係があるであろう。

ちなみに、社交不安障がいのかつての呼称であった対人恐怖症は海外でも「Taijin kyofusho symptoms」と呼ばれていて日本の文化依存症候群と認知されている。

元引きこもりの私自身も、実はHSP気質であり、とても自己犠牲の傾向が強く協調性があると自分でも思ふことがあるし、他者からも多々指摘されることがある。
所謂「NO!」と言えない人間である。

引きこもりの当事者を俯瞰すると「自己保身」をしているようにも見えるかもしれないが、実は寧ろ「自己犠牲」の要素も強いのでは無いか。(勿論十把一絡げには出来ないが)

私自身の戒めも込めて書くのだが、自己受容、自己肯定、セルフラブ、セルフコンパッションなどはとても大切にするべきである。

「生きているだけでとても偉い」という概念はとても素晴らしい。綺麗事だとしても世間は発言し続けるべきである。

相模原障がい者施設殺傷事件のようなヘイトクライムが起きた場合は、きちんと世間もその犯人・犯罪に対して「NO!」と突きつけるべきである。

インターネット上を閲覧していると、上記の事件に対してシニカルに揶揄したり、犯人を擁護した書き込みが沢山あり、日本の人民の倫理観の低さに失望した。

かつて日本には私宅監置・優生保護法という極めて非人道的で差別的な制度・法律が存在した。
日本のような同調圧力が強く協調性を重んずる国では、逆に異端な者を排除する傾向が強いと言われている。所謂サンクションである。

今回私が引きこもり当事者に言いたいのは「生きろ」という事である。
「お荷物」などと中傷されたら、寧ろとても健康的に生きて堂々と「お荷物※1」になってやれ。
(※1 引きこもり当事者に対して差別をする者へのカリカチュアです。引きこもりは「お荷物」なんかではありません。)

私はあなたの自然権である生存権(基本的人権)を最大限保証し尊重する。

一歌
魁罡の仔鹿 in 忘却の廃墟

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