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【考察】「中絶するために妊娠する」この言葉の人間らしさを考察【人間らしさ PART3】

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◆人間らしさ PART3


◇紹介書籍

おはようございます、Kazukiです!
それでは今週もさっそく投稿の内容に入っていきましょう。
今週紹介していく書籍たちはコチラになります。

2023年6月30日に文藝春秋さんから発行されました、
市川沙央(いちかわ・さおう)先生の『ハンチバック』と、

2023年8月20日に講談社さんから発行されました、
奥野克巳(おくの・かつみ)先生の『はじめての人類学』になります!
オーラスはあの言葉について考察をしていきます!

◇紹介書籍概要

また今回の紹介書籍たちの概要につきましては、
いつもと同じように下記に詳細を載せておきますので、
もし紹介書籍たちについて気になった方がいましたら、
そちらの方はぜひ下記をご覧いただければと思います。

タイトル 『ハンチバック』
著者 市川沙央
価格 1,430円税込
発行日 2023年6月30日 第1刷発行
発行者 花田朋子
発行所 株式会社文藝春秋
印刷所 大日本印刷
製本所 大口製本

『ハンチバック』奥付及び裏表紙から引用

講談社現代新書 2718
タイトル 『はじめての人類学』
著者 奥野克巳
価格 990円税込
発行日 2023年8月20日 第1刷発行
発行者 高橋明男
発行所 株式会社講談社
装幀者 中島英樹/中島デザイン
印刷所 株式会社新藤慶昌堂
製本所 株式会社国宝社

『はじめての人類学』奥付及び裏表紙から引用

◇紹介書籍選出理由

そして、今週の投稿に本書『ハンチバック』と、
『はじめての人類学』を選んだ理由になるんですが、
そちらにつきましてはパート1の投稿で簡単にですがお話しておりますので、
もし詳しく知りたいという方がいましたらぜひパート1の投稿をご覧ください。

◇投稿内容とその目的

そして、今週の投稿の内容につきましては、


前々回のパート1で市川先生の『ハンチバック』を完全要約していき、
前回のパート2で奥野先生の『はじめての人類学』を要点解説していき、
今回のパート3でその二冊を掛け合わせた考察をしていきます。


なので、今週のこの【人間らしさ】シリーズの投稿を、
パート1からパート3まで全部ご覧いただいた暁には、


第169回芥川賞受賞作『ハンチバック』の内容が概ね理解でき、
また「人類学」という学問について、ある程度の知見が持て、
芥川賞受賞作『ハンチバック』に秘められた人間らしさを人類学的に理解できる!


そんなシリーズになれば幸いだと思っております。

ちなみに今回のパート3の投稿は、
本作『ハンチバック』のネタバレを含む箇所が一部ございますので、
もしそちらが気になる方がいましたら、ソッとこの投稿を閉じていただき、
ご自身で本作『ハンチバック』をお楽しみいただければと思います。

それでは、令和のこのコンプラがガチガチに固まった世の中で、
本当の人間らしさを見つけるための読書の旅へ一緒に出かけましょう!

◇「中絶するために妊娠する」の背景と意味

それではようやく今回の投稿の内容に入っていきますが、
今回の投稿内容は先にも少し述べましたが、再度おさらいしておくと、
この【人間らしさ】シリーズのパート1で完全要約をしました、
市川沙央先生の『ハンチバック』という小説に登場するある一節。

〈普通の人間の女のように子どもを宿して中絶するのが私の夢です〉

『ハンチバック』p17

こう紹介していてもなかなかすごい一節だなぁと感じますが、
この一節について【人間らしさ】シリーズのパート2で要点解説をしました、
奥野克巳先生の『はじめての人類学』で解説をされていた人類学の知識を用いて、
その一節の秘めている人間らしさについて考察していきます。

なので、早速その考察に入っていこうと思いますが、
その前にまずは先の一節が、

「一体誰がどのようなシチュエーションで述べているのか?」

という疑問について明らかにしていこうと思います。
先の一節が述べられることになった背景がわからなければ、
この言葉が秘める本当の意味もわかりませんからね。

ではまず「誰が述べたのか?」に対する答えですが、

これは本作『ハンチバック』の主人公である、
井沢釈華さんという人物が述べた一節になります。

この井沢さんという方は、
「ミオチュブラー・ミオパチー」という遺伝性筋疾患を患っておりまして、
その疾患のせいで井沢さんの外見というのは本作の描写をお借りすると、

右肺を押し潰すかたちで極度に湾曲したS字の背骨

『ハンチバック』p9

という重度の脊椎側湾症が見られるお体をしております。

つまり、先の「誰が述べたのか?」という問いに対して、
ものすごく端的に、そして、言葉を選ばずにいうと、

遺伝性筋疾患を持つ障害者である井沢さんが述べた、ということになります。

これで「誰が」の部分は明らかになったので、
もう一つの疑問点である「どのようなシチュエーション」について、
次は明らかにしていこうと思います。

そもそも先の一節が登場するのは、
本作『ハンチバック』の主人公の井沢さんが、
自身のパソコンのブラウザ上のドキュメントアプリの、
「Evernote」というアプリを開いたときに登場します。

その「Evernote」は井沢さんが、
日々の鬱憤の想いを吐露する場所として、
作中では描かれているのですが、

では、井沢さんはどのような鬱憤から、
先の一節を思いつくに至ったのでしょうか?

そのキッカケが語られているのが本作のだいたい中盤あたりになりまして、
井沢さんが在籍している通信大学の卒論について考えているときに、
どのようなテーマで卒論を書いていこうかという思考の延長線上で、

ふと井沢さんは「出生前診断」のことについて思考を巡らせます。

この「出生前診断」というのは、

胎児に先天性・遺伝性の病気、奇形、染色体異常などがないかどうかを調べる検査の総称

出生前診断とは?検査の費用や種類、時期は?問題点もある?ーこそだてハック
(https://192abc.com/14498)

になりまして、要するに、

子どもが生まれる前に、子どもに病気があるのか?
身体が奇形ではないか?などを調べることのできる検査になります。

本来、この出生前診断というのは、

「染色体異常や遺伝性の病気にかかっている赤ちゃんの予後を向上すること」

が目的の検査になりますが、
一方で、胎児に異常が見つかったご家庭では、
人工妊娠中絶をする方が増えるのではないか?という倫理的な見方もあります。

そして、後者の見方の意識が強い井沢さんは、
この出生前診断というのが、端的に、また、誤解を恐れずに言うと、

障害者を殺すための検査であると捉えていました。

なので、健常者が出生前診断を理由に胎児を殺すことができるのであれば、
障害者だって胎児を殺したっていいだろうと井沢さんは率直に考えます。
それで健常者と障害者のシーソーの均衡は保たれるだろう、と。

さらに言えば、健常者が行う出生前診断が「普通」であるのならば、
障害者として鬱屈した日々を過ごしていた井沢さんからしたら、
この「妊娠をして中絶をする」というのは、

ある意味では「普通」になるための行為と捉えることができます。

だからこそ、井沢さんは先の一節、

〈普通の人間の女のように子どもを宿して中絶するのが私の夢です〉

『ハンチバック』p17

という一節を思い付くに至ったわけなのです。

◇「中絶するために妊娠する」は一つの完成された障害者の人間らしさ

では、これで『ハンチバック』における衝撃的な一節、

〈普通の人間の女のように子どもを宿して中絶するのが私の夢です〉

『ハンチバック』p17

この一節の背景とその意味について、
大まかにですが抑えることができたと思いますので、
次は奥野克巳先生の『はじめての人類学』で解説されている、
人類学を用いて、この一節に込められた人間らしさを紐解いていきましょう。

早速結論から参りますが、
先の一節に込められた人間らしさについて、
人類学を用いて考えてみるとこう結論づけることができるかと思います。
それがコチラです。


「中絶するために妊娠する」は一つの完成された障害者の人間らしさである


これだけではイマイチピンとこないかと思いますので、
キチンと順を追って解説していきます。

まずこう結論づけるのに用いた人類学の思考としては、
本作『はじめての人類学』の中で最重要人物の一人として紹介されていた、
クロード・レヴィ=ストロースの思考に基づいています。

彼はそれ以前の人類学の根本的な考え方の、

西洋近代社会(現在の欧州)が中心であり、高貴で気高く、
「外部」である現地は遅れていて、野蛮である、

というような考え方に異を唱えます。

なので、彼が至った人類学における考え方というのが、

「外部」には「外部」の完成された人間の精神がある

というものでした。
要するに今風に言うと「みんな違ってみんな良い」ということを、
人類学で最初に唱えたのが、このレヴィ=ストロースという人物でした。

ではこのレヴィ=ストロースの考え方をもってして、
先の一節について考えてみると、

まず、この人類学における「外部」というのは、
本来であれば調査対象となる「現地」を指しますが、
それは西洋近代社会を「内部」と考えた時の場合です。

なのであれば、
本作『ハンチバック』における「内部」と「外部」というのは、

「内部」が普通の人間たちである「健常者」、
そして「外部」は普通ではない人間たちである「障害者」、

とも捉えることができるかと思います。
なぜならば、あくまでも起点は「健常者」にあり、
そこに対して井沢さんは「普通でありたい」という反応を抱いている描写が、
本作からは見られるからです。あくまでも起点は「健常者」です。

けれど、
その「外部」である「障害者」の精神というのは、
レヴィ=ストロースから言わせれば、
「内部」である「健常者」から見た時に、
遅れているとか、野蛮だとかいうことではなくて、

「外部」には「外部」の完成された人間の精神がある

ということになります。

つまり、障害者である井沢さんが認めた、

〈普通の人間の女のように子どもを宿して中絶するのが私の夢です〉

『ハンチバック』p17

という一節に込められた精神というのは、
「内部」である「健常者」から見た時には、

それは一つの完成された障害者のための精神である

ということが言えるわけです。
そこに対して遅れているだとか野蛮だとかいう批判は甚だ見当違いであり、
そこにあるのは、

ただ一つの障害者のための完成された人間らしさがあるということです。

これが本作『ハンチバック』に登場する、
「中絶するために妊娠する」を人類学で読み解いた一つの結論になります。

◇「中絶するために妊娠する」に健常者はどう向き合えばいい?

こうして、
本作『ハンチバック』と『はじめての人類学』を交えた考察をお届けしてきて、
ある一つの結論を導き出したわけですが、そこで皆さんはこう思うはずです。

「結局どうすればいいの?」と。

その「中絶するために妊娠する」という考え方が、
障害者にとっての完成された一つの精神世界、
つまり、人間らしさであることはわかったけど、
じゃあそれを踏まえて私たちはどう考えて行動すればいいの?
と皆さん思われるかもしれません。

正直、この疑問に対する答えというのは、
私自身あるにはありますがとても個人的な感情が含まれているので、
皆さんにはご参考程度までに聞いていただければいいと思います。
「こんなこと言ってたなぁ」ぐらいの感覚で結構です。

では、その答えが何かと言いますと、

「他人の精神を尊重しつつ、自分の精神を生きる」

というのが私の答えです。

レヴィ=ストロースによれば、
この完成された人間の精神というのは優劣がつけれるものではなく、
互いに尊く、互いに敬う必要があるものになります。

それはつまり、先にも言いましたが、
「みんな違ってみんな良い」ということです。

こういうことを言うと、
人によっては「そんなの綺麗事だろ!」と思う方もいるかもしれませんが、
それも一つの完成された精神です。そう思う方がいたって問題ありません。

そして、互いに相手の精神を尊重して敬いつつ、
一方では、自分だけの精神を生きていく。

これこそまさに、
『はじめての人類学』の最後の最重要人物である、
人類学者のティム・インゴルドが提唱した、
人と人との対話により人間の生きる道を探る方法を用いて、
本作『ハンチバック』の井沢さんと私との対話によって、
導き出した答えになります。

◆おわりに


いかがでしたかね!

今回のこのパート3の投稿では、
2023年6月30日に文藝春秋さんから発行されました、
市川沙央(いちかわ・さおう)先生の『ハンチバック』と、
2023年8月20日に講談社さんから発行されました、
奥野克巳(おくの・かつみ)先生の『はじめての人類学』の内容を参照して、

『ハンチバック』に登場する「中絶するために妊娠する」について、
『はじめての人類学』で解説されている人類学を用いて考察を行ってきました!

今回は芥川賞という誰もが知っている文学賞を用いて考察を行ってきたので、
なかなかにハードルは高くなってしまったかと思いますが、
それでも個人的には人類学という学問を用いて、
上手くまとめられたのではないかと思います。個人的には上出来です。

現在、世界各地で様々な戦争が起こっていて、
かと思えば、国内でも様々ないざこざがあって、
相手の意思や心情を侮辱する言葉というのを日々見聞きしています。

そんな今だからこそ、先のレヴィ=ストロースが唱えたように、
相手の精神は完成された一つの精神だと思い敬う、
その姿勢が大事になってくるのではないかと思います。

憎み合いの果てに何が生まれるのかなんて、知りたくもないですからね。

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どちらもお忘れなきようこれからも応援してくれるととても嬉しいです。

それでは、また次回の投稿でお会いしましょう。またね👋

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