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『尾崎豊を探して』ここから2020年がスタート

2020年元日において、この映画唯一の公開場所が新宿TOHOシネマズ。
この日ここでしか過ごせない時間を味わった。

尾崎豊さんが亡くなってから、もうすぐ28年。
彼が生きた時間よりも長い歳月が経つ。
そんな中、佐藤輝監督、須藤晃プロデューサーをはじめ、依然として多くの人間が続ける問いかけにより、この映像が公開された。

”尾崎豊という存在は何なのか”

この問いに

”正しいもの、それがこの胸に解る”

そんな日はやがて来るのだろうか。
もし完璧な答えを出せたなら、佐藤輝監督は、その手を休めるのか。
少なくとも、『尾崎豊を探して』といった作品は生まれないであろう。
心筋梗塞や脳梗塞をも経験してきた71歳になる監督。
そして、彼が続ける自問自答。
それこそが、400時間にもなる映像を見返して、編集し、世に出していく "執念" ともいえるエネルギーとなっているのだろう。


やはり、”問いの答えを自らで求め続ける” そんな人間は強い。
そして、自分の頭で再構築するゲシュタルト、それを他人に提示する為のインプリメンテーション。
もの創りをする人間のかっこ良さを感じた。

『尾崎豊を探して』の中には、ドラマのような物語も脚本も必要ない。

パンフレットに載るこの言葉の意味を、僕がくみ取れているかは分からない。

いち感想として、“映画全体に通す明確なSTORY” といった感覚は、個人的にほぼ感じえなかった。
・冒頭にある、渋谷駅前での若者に対するインタビュー
・終盤にある、クロスタワーを訪れる若者に対するインタビュー
その ”起-結 感“ は分かりやすかった。

映画を観て僕が彷彿したのは、

<白紙の錯乱>

生前に尾崎さんが出した書籍タイトルが頭を過る、そんな感覚だった。
入り乱れる感情や考え、その混乱の中で自ら答えを見い出していく。
映像から、言葉から、自分なりに尾崎豊を探していく
そんな時間。

「自分のくらしが一番自分を傷つける」
「目まぐるしく変わっていく、そんな生活の中で、僕がつま弾く音楽のひとつひとつなんて、ある時は耳障りだし、それは僕自身にとってもそうなんだ」

こういった言葉や、今まで聞いてきた曲の歌詞でも、これまでとは違う文脈で提示され、また異なる角度で意味を考えさせられた。


なぜ僕は尾崎豊を好きなのか。
尾崎豊が好きだと言うと、
”凄惨な生き方してるわけでもないお前が何言ってんだよ。”
そんな感じで見られることもある。
でも、そういった側面はあくまで彼の付随部分で、コアにある優しさのような部分とか、人と向き合う際の姿勢だったり、洞察の仕方、そういう部分に僕は魅かれるのだと思う。
まだ明確な答えではないけども。


須藤晃プロデューサーがパンフレットに載るインタビューで語った

「尾崎豊の最大の特徴は ”アマチュアリズム” なんですよ。」

この一言からどれだけ得るものがあったか。


こうやって色んな見解に触れられることが、すごくありがたい。

モノローグのNGシーンで見せた表情や、涙を浮かべながら歌う姿、
そんな映像もあり、ほんと、なんともいえない時間を過ごさせてもらった。

どうしても期待値が高くなる題材だからこそ、「もっと編集が、どうの、こうの…」みたいに言ってる人も上映後見受けられた。
でも、きっと、それはそれでいいんだろう。
みんな、自分なりに尾崎豊を探している、その証なんだ。

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