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都市とVRが共栄する世界線へ

COVID-19が日本に与えた影響

新型コロナウイルス(COVID-19)の影響を受け、世界中で都市封鎖や外出制限が実施されています。その結果、大企業の在宅勤務が推進され、ZOOM飲みのようなオンラインコミュニケーションが加速しています。ここで私たちは「あれ?仕事の大半、オンラインでよくね?」「ZOOM飲みのほうが金銭的にも時間的にもコスパよくね?」といった感覚に到達しつつあると思います。ここで起きていることは、実空間を伴う既存の都市機能がデジタル技術で代替されていると抽象化することができます。オフィスや会議室、さらには飲食店までもがHangoutやZOOMに置き換えられています。Number Girlの復活ライブはYoutube Liveで東京大学の卒業式はClusterで超合同オンライン卒展がHASARDで。私たちはデジタル技術によって出来ることが思いの外多いことに気づかされ、今回の新型コロナウイルスによって、日本でもオンラインとオフラインの主従逆転が起こったと言ってもいい状況です。

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中国都市部におけるオンラインとオフラインの関係

アフターデジタルでは、中国の都市部で既に起きているこの現象のビジネス事例を紹介しています。例えばアリババが展開する生鮮食品スーパーマーケット『フーマー』は、オンラインで注文すると、店舗の3km圏内であれば30分以内に配送してもらえるというUXを備えています。その上で、実店舗ではその場で生きた魚を捌いてもらったり、オンラインで注文された商品を輸送するバッグが天井を移動していく様子を見ることができたり、ちょっぴり贅沢な体験をすることができます。フーマーは、利便性重視のオンラインをベースに、体験重視の実店舗も展開しています。これは従来の「店舗に来てもらうのが普通だけど、一応WEBでも買えるで!」的発想とは数段階離れていて、オンラインでなるべく顧客に長い時間寄り添いながらも、実空間での贅沢な体験もひとつの手段として使っていくという姿勢です。中国では政治的な要因はあるにしろ、この姿勢が主流となりつつあります。そして新型コロナウイルスが日本でもこの姿勢を主流にせざるを得ない状況を作ってしまいました。怪我の功名と表現するのはやや憚られますが、デジタルとアナログの主従逆転に到達できるチャンスとして捉えることもできると思います。

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アフターコロナの都市

ではこのウイルスの影響が去った後(早く収束することを願って止みません)、人が密集する実空間である都市は、どんな役割を果たしていけるでしょうか。デジタル技術によって出来ることの多さに気づいた私たちにとって、都市は贅沢化していくことはまず間違いないでしょう。わざわざ身体を持って行って映画を見ること、重要な営業相手なので対面でプレゼンすること、お医者さんに直接診察してもらうこと。これらの体験は全て贅沢な選択肢となるでしょう。身体を持っていかなくてもスマホで映画は見れるし、社内のプレゼンならHangoutでいいし、LINE Botで診察や薬の処方が可能になるかもしれない。都市は、贅沢な体験のプラットフォームとしての役割を担うことになるのではないでしょうか。

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贅沢な都市の条件

贅沢体験のプラットフォームとして、デジタルと比較したときの都市の利点は大きく3つあると考えられます。

・圧倒的な情報量
・偶発性
・再現不可能性

建物の隙間から入る複雑な光、車のエンジン音と話し声が混ざった喧騒、最近できたあの花屋の匂いなんかに気を取られていると水溜りをうっかり踏んでしまい、飲みかけのコーヒーをひっくり返す。後処理を手伝ってくれたうえに紅茶をくれたお兄さんは同じビルで働いていた。オフィスでいただいた紅茶を飲むと、あまりに美味しい。都市には、現在の技術では到底処理しきれないほどの情報が散りばめられています。それらとの遭遇は、原理的には2度と同じようには起こらない、とても偶然の出来事です。急に主観的になってしまうのですが、僕はこういった贅沢な体験が好きで仕方がない。魅力的な都市をつくるということは、このような3つの利点を十分に意識し、そこでの体験を計画レベルからデザインするということになっていくはずです。

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VRとSF

 視点をデジタルからVRに飛ばして、廣瀬先生の『バーチャルリアリティ(VR)とSF』を読みます。コンピュータの世界に入り込むようなサーバーパンク的SFは、ドラッグカルチャーの延長として不良的なものと捉えられがちだったが、トロンブレードランナーニューロマンサーを経て、コアなファンを増やしてきました。ニューロマンサーでは、VR空間へのジャックインという世界観が描かれ、空間そのものがデジタルで記述できる未来を想像させています。

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2018年には、スピルバーグの『レディ・プレイヤー1』が公開されました。彼は2045年の、環境汚染や気候変動、政治の機能不全によって荒廃した世界を描いています。スラム街で暮らさざるを得ない状況に陥った地球上の人類の多くが、「オアシス」というVR世界に現実逃避し入り浸っているという設定です。ブレードランナーは、酸性雨が原因で大都市に密集して住まざるを得なくなるという設定です。これはとても似ています。そして今現実世界で起こっている、新型コロナウイルスによって外出が制限されているという事実も、これに近いと言えてしまうでしょう。

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これらのSF内で描かれる都市はどれも荒廃しています。もちろん設定なのですが、今現実で起きている都市封鎖や外出制限は、これらのSFが部分的に現実となることを想像させるに十分な非日常です。

都市とVRの共存共栄

バーチャルリアリティ(VR)とSF』内では、次のような記述があります。

VR技術を「欲望のスポンジ」と呼んだのは、ほかならぬこの技術の創始者のひとりJ.ラニアである。われわれのああもしたいこうもしたいという欲望のはけ口としてVRの世界があると指摘したのである。これはある面の真理をついている。しかしながら、その技術を受け取る側の人間の心理がきちんとしている場合についてのみ、代替行為は意味があるのであって、そうでなくなった場合、必ずしも面白い結果ばかりが待っているわけではないことに留意する必要がある。

これは、レディ・プレイヤー1でスピルバーグが伝えたかったことと似た内容だと思われます。技術の発展のままに生活のすべてをVRに移すのではなく、その恩恵を理解したうえで、VR化したほうが良いと納得される機能から順次移行していく。そうなることが望ましいのではないでしょうか。

そうはいっても天災は忘れた頃にやってくる。今だってそうです。そこで私たちがやるべきことは、ASAPで都市とVRが共存共栄する世界を具体的に模索することではないでしょうか。アフターデジタルで語られた、利便性重視のオンラインをベースに、体験重視の実店舗も展開する『フーマー』の事例は、とても参考になります。例えば、温暖化の進行で夏は気温が40度を超えまくる、という未来において、東京のデジタルツイン(VR上のほんものそっくりな東京)が保険としてあれば、気温が40度を超える日は日没まで外出を禁止し、あらゆる活動は基本的にツイン上で行うものとする、というような条例が作れるかもしれません。

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これは清水建設が先日プレスリリースを出した『豊洲MiCHiの駅』のデジタルツイン構想のイメージですが、こういった具体的な都市実装を矢継ぎ早に仕掛け、そこで何ができて、何ができないのかをまとめるという作業を、行政と連携しながら進めていくフェーズに来ています。都政に宮坂さんが現れたことはとても心強いです。都市には都市の得意なことできること(偶発的で再現不可能な体験など)、VRにはVRの得意なことできること(非接触で再現可能な体験など)があり、それを双剣化した人類はどんな天災にも立ち向かっていけるでしょう。

まとめ

新型コロナウイルスによって爆発的にデジタル技術が生活に浸透したことによって、オンラインとオフラインの主従逆転が日本で起こりつつあります。これからの都市は、圧倒的な情報量、偶発性、再現不可能性を伴う体験のデザインを計画段階からするべきでしょう。SFが示唆する都市荒廃を避けるためには、都市とVRが共栄する世界を行政まで一気通貫で実装していく必要があります。そうすれば人類は最強になれます。






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