上司との再会

人間は、関係性の中でしか生きられない

1月下旬に関東に行った。大目的は、前職でお世話になった上司に会うため。何年ぶりだっただろうか。5年以上の歳月が流れていた。

なぜ、会いに伺ったのか?

上司の退職のタイミングで、適切かつ心を込めて感謝の意を伝える事ができなかったからだ。その事が自分の中では心残りになっていた。きちんと「義」を通したいという想いから生じた、ある意味、自分自身のためだけの不純な動機だった。

プライベートの連絡先を僕は知らなかったため、まだ勤めている前職の同僚(僕は当時の会社を卒業している)にきいてみると知っていた。連絡先を教えてもらい、アポの電話を携帯にかけた。電話は繋がらなかったので留守電を残した。

「大変ご無沙汰しております。カズマです。近々プライベートで関東に参ります。お世話になった御礼を直接改めてお伝えしたいので、面会の機会を頂けませんか。」

しばらくして、折り返しの電話がかかって来た。変わらない、落ち着きの中にも優しさのある声のトーン。久しぶりに聴いたその上司の声に少しドキドキしながらも、二つ返事で面会に応じてくれた事が俺は嬉しかった。

昼間の銀座、歌舞伎座の前で待ち合わせをした。

見た目が全く変わらない事にまずは驚いた。40代半ばにも関わらず、全くもって「ふけて」いない。当時と変わらない姿に、改めて驚きを隠せなかった。挨拶がてらに「全く変わってないやないですか!」と声をかけると、少し微笑んだ。


だが、どことなく「影」を感じた。
表情が「硬い」のだ。何となく感じる違和感…。


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その元上司は、厳しい事で有名だった。正直、僕も当時は怖くてしょうがなかった。相談の一つをするのにも憚られる、良くも悪くも尖った上司だった。だが、その上司の更に上の上司から、

「彼ほど人財育成に情熱を傾けている人間はいない」

という言葉を聴いた事があった。確かに怖い上、どう相談を上げれば良いのか、難しい案件になればなるほど相談が億劫になるのも事実だった。出来るだけ接点を減らしたいとすら思った事もあった。

だが、その上司は決して部下を見限らない人だった。苦しみや悩みに、とことん付き合ってくれる人だった。レビューを受けていた際、つい涙をしてしまった事もある。大の大人が、嗚咽を垂れ流しながらだ。

それくらい情に厚く、心から信頼できる人であり、部下を「守る」事に対して真摯だった。

所属していたチームが社内で年間最優秀賞を取った事がある。全く表舞台には立たないが、裏方で後方支援をしてくれたのは間違いなくその上司だった。


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銀座から少し歩いた、有名な和食屋さんで親子丼をご馳走になった。昔話に華が咲きつつ、お互いの近況等、色んな話をした。その上司は、僕が卒業する前に独立し、今は士業として自身で生計を立てている。今もその会社に所属する僕の同僚達の話でも盛り上がった。当時同僚だった2人も今では立派に部長としての肩書と役職を持ち、日々奮闘している。タイプは違えど、とても優秀な2人だ。

関西のノリでボケつつ、ノリツッコミも交え、僕は笑いを演出した。あれだけ怖いと感じていた上司の前で堂々とボケをかませる自分自身も、少しは成長したのだろうかと思ったりもした。


面会当初の硬い表情から、徐々に柔和な笑顔が現れた。表情が変化していく様を見ながら、俺は、それがなんだか嬉しかった。


食事をご馳走になった後、近隣のカフェでコーヒーを飲んだ。「東京のカフェはなんて落ち着いているんだ!」と関西のそれと比較をして思った。関西は良くも悪くも賑やかだ。

カフェ内でも引き続き、お互いの近況やそれぞれの興味関心領域について会話が弾んだ。僕は声が良く通るタイプなので、「なんやあの関西人うっさいやんけ」と思われない様、意識的に声のトーンを落とした。

上司と会う前日、僕は下北沢を散策した。以前からずっと憧れていた街であり、一度は行ってみたいと思っていた。サブカルの聖地として独特の文化を持つ街だ。その話をすると、元上司は嬉しそうに、20年前の下北沢の写真を見せてくれた。彼も大好きな街だったそうだ。

童心に返ったように無邪気に、嬉しそうに話してくれる姿がとても印象的で、旧来の友人に話しかけているような印象を受けた。


それほど、彼は「コミュニケーション」に飢えていた。


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彼は士業として事務所を構えているが、実質は一人親方の様に黙々と過ごす日々だそう。自分でも述べていたが、仙人のような生活をしているとの事だ。

決められた時間に起き、決められた朝食を食べ、決められたタスクをこなし、決められた曜日にジムに通い(ちなみに彼は年齢からは考えられない洗練された肉体を保っている)、決められたルーティンで日々を過ごす。

正に、習慣の鬼そのものだ。「習慣は人間を創る」という意見で意気投合した。それくらい習慣とは大事なものであると僕自身も思っているし、彼自身もそうあるべきと考えていた。それを実行している自分を誇らしく思っている風に見えた。


ところで、彼の在職中から薄々気がついてはいたが、組織内の派閥や関係性上、彼は不遇の扱いを受けていた。その扱いに対して理不尽さを彼は感じていた事だろう。当時の心境を、本人の口から直接聴いた。

「人間関係なんてまっぴらだ!」

そんな思いから彼は独立する事を選んだそうだ。自ら決断した人生を歩み出した。誰にも拘束されない、縛られない、自由である身を選んだ。そして現在進行形でその自由を謳歌している。


にも関わらず、彼は独りの寂しさを感じていた。


再開直後に感じた「影」の正体は、孤独からくる寂しさだったのだと思う。

自ら望んだ自由の身にも関わらず、彼は人間とのコミュニケーションを求めている。彼自身もその事に恐らく気が付いている。発言の節々にその機微を感じ取る事が出来た。彼自身も、その矛盾に気が付いている。

別れ際の万遍の笑みが、それを証明していた。その笑顔を見れたことが俺は何より嬉しかった。

「お前みたいな律儀なやつ、今時いねえぞ」

去り際にそう言ってくれた元上司と別れた後、いつものごとく俺は泣いた。何故泣いてしまったのか明確には分からない。だが、溢れだした感情を今でも鮮明に覚えている。

全くの驕りだが、共に過ごした時間の中で、徐々にではあるが彼の「心の拠り所」としての役割を果たせたのではないだろうか。そう思っているし、多少なりそう思えた事自体が俺は嬉しかった。そして、「不肖であった」元部下を、一人の人間として、その存在自体を承認してくれた事が嬉しかったのだと思う。


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社会的存在としての人間は、関係性の中でしか生きられない。その在り方は実に複雑であり、矛盾を孕んでいる。人間関係とは実に複雑怪奇なものであると同時に、十字架のような守護の役割を果たすものだと、改めて思う。

人間関係を疎ましく思う一方で、人間関係によって救われる。そんな経験が誰しもあるだろう。小学生の時に、誰でも一度は聞いたことがあるであろう言葉、

「人と言う字は支え合って出来ている。この字の通り、人間は支え合って生きていかねばならない。」

この言葉の本質的な意味が、自身の腑に改めて落ちた出来事でもあった。

カズマさん

昨日はありがとうございました。
とても懐かしかったです。

そのまま良い意味で自分らしく
生きていってくださいね。

また、機会があれば、いつの日か
お会いしましょう。

それでは、また。

上記引用文は、面会の機会を頂いた御礼として送ったメールに対する、元上司である彼からの返信だ。この返信メールを見ただけで、また俺は泣いた。

いつの日か、もしも彼が今以上の孤独に苛まれ、SOSを仮に僕に出すような事があれば、真っ先に手を差し伸べるだけの人格と力量を磨き続けようと、そう改めて誓った出来事だった。


おわり


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