夕日

67歳の母に寄せて

先日誕生日を迎えた母。
家族LINEにメッセージが届く。
皆のコメントを見た母から、

みんなありがとうね。
もう少し、頑張るからね。

と届いた。

何とも表現しがたい。
もう少しってなんだ?
言葉が沁みる。
心を打たれた。


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過去の記事でも書いたが、我が家は在日韓国人の家庭だ。5人の兄弟姉妹は僕を除いてみな帰化をしてしまったが、文化的風習は今でも残っている。

母は戦後の生まれ。詳細の経緯は分からないが、半島から移住し居を構えた祖父母の元で産まれた。長男、長女、母、三女、四女の家族構成。

よくある貧しい家庭の話になるが、母が6歳の時、祖父が亡くなった。僕も面識はない。90歳を超えた祖母は、毎日の様に祖父へ祈りを捧げている。

どうか、家族をお守りください。

経済的には困窮を極めた。生活保護も受けた。
支給される学校制服の質感が違うからと揶揄されたそうだ。

祖母は行商で生計を立てた。早くから市場へ出かけるため、食事を含めた朝の段取りは長女が取り仕切っていたそうだ。僕が中学生の頃は帰り道でよく祖母を見かけた。


しかしまあ、女手で一つでよく5人の子どもを育てたもんだ。


中学を卒業した母は、洋裁学校(≠高等学校)へ通い裁縫を習った。卒業後は大阪へ赴き、小売の飲食店に就職をした。裁縫はどこへやら。

大阪で数年を過ごした母は帰省し、父とお見合い結婚をした。お見合いといっても、小さな港町であるゆえ子どもの頃からお互い面識があったそうだ。

父方の祖父は地域を管轄する民団の役職でもあったためか、当時貧しかった母方の祖母をはじめ、母の兄弟姉妹を手厚く支援した。お見合いはその延長線上の様なものだった。

両親の結婚当時、我が家も飲食店を経営していたため、母はその手伝いをすることになった。

程なくして、長女(僕の姉)が産まれた。
同時に父方の祖母が寝たきりになった。

祖母の介護をしながら、子育てをしながら、店の手伝いをしながら。いつ眠っていたのだろうか。プライベートもクソもあったもんじゃない。

僕が生後半年の時、介護状態だった祖母が亡くなった。もちろん、僕も面識はない。遺影の中でしか、僕は祖母を知らない。

更に2人の弟が産まれた。
貧乏人の子沢山とは正にこの事だ。

そして僕が5歳の時、経営難から店をたたんだ。

父も会社員として勤め出す一方、母もパートとしてフルタイムで働いた。フルタイムで働きながら5人の子ども達を育てた。家が貧しかったからしょうがない。

主婦経験のある人ならば想像できると思うが、フルタイムで働きながら家族7人分の家事・育児を担う事は並大抵の事ではない。

小さな身体で、よくもまあ勤め上げたものだ。

母から現実逃避的な発言を今まで一度も聴いたことがない。投げ出したくなることはなかったのだろうか。「私の人生とは」と問う瞬間はなかったのだろうか。

以前母に、同じような趣旨を尋ねたことがある。帰って来た返答は、

日々を生きるので精一杯、覚えてないよ(笑)


そんな母に、俺は頭が上がらない。


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母はおおらかで朗らかな人だ。ちょっと天然が入っていて、それがまた可愛らしい人でもある。「大器晩成」を「晩器大成」と言ってみたり、「支離滅裂」を「尻決裂」と言ってみたり、多いに笑かしてくれる人だ。

僕が20代の学生の頃、母は腰に大きな手術をした。長年の無理による腰への負担が大きかったのだろう、腰から脚への痺れがあまりに酷く、手術する事になった。10時間を超える大手術だった。今でも母の腰には2本のプレートが埋め込まれている。それでも完治する事はなく、コルセットを常に巻いている。それでも年々、腰が、背中が丸くなる。

冗談で母が、

形見になるね(笑)

なんて事を言う。冗談でもそんな事は言わないでほしい。だけれども、現実的に残されている時間は刻々と少なくなっているのは確かだ。その現実を受け止めたくないだけなのかもしれない。

医師を務める弟が、

「もう3年も持たんだろうね」

と現実的な事を言う。


その度に俺は考え込んでしまう。

・母の人生は幸せだったのか?
・母にとっての幸せとは何だったのか?
・息を引き取る瞬間に自身の人生を肯定できるのか?
・余命に向けて俺に何ができるのか?
・…

問いは尽きない。

どこまで行っても、息子は息子なんだろう。不肖の息子である事をまるで罪人の様に罪深く思っている。俺に何ができるのだろうか。

もしかすると、何がどれだけ好転したとしても、俺は俺自身を不肖の息子だと思うのかもしれない。きっとそうなんだと思う。


離れて暮らす身となり10余年、あと何回母に会うことが出来るのだろうかとよく考える。母の人生にとって、何ができるのか。そう思う事すら、烏滸がましいのかもしれない。母には母の人生があり、自身で選択してきた人生なのだから。

だからこそ、現実に対する不平不満愚痴の類を母は言わないし、言うまでもなく人生に満足しているのかもしれない。

ただ、母の息子としてこの世に生を授かり、その母へ何かしらの恩返しをしたいと思う気持ちは、一向に収まる気配はない。むしろ年々強まるばかり。


俺に何ができるだろうか…


もう少し、もう少し、長生きしてくれよな。


おわり

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