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良い歳になっても、ワクワクしてデザインのしごとを続けるための工夫

ものづくりは楽しい。
多くのことを犠牲にしてもいいと思える仕事だし、趣味でもある。
一方で、良い歳になってくるとワクワクできず、どこか惰性で続ける、もしくはものづくりから遠のいてしまう。なにをつくってても楽しい時期は過ぎ、同じものの再生産、自分が上手くなっているのか実感も沸かず、公私ともにノイズが増え、むしろクオリティが下がってる気さえする。

35が見えてきた辺りからその傾向が出始め、抗い続けて最近なんとなく昔のワクワクを取り戻せてきた気がするので、書き連ねてみる。

ワクワクを失う原因

「飽きる」「疲れる」かしたときに、ワクワクは減り、たび重なったときに「諦め」になり、恒久的にワクワクしなくなるんだと思う。ということは、飽きと疲れに抗えば、ワクワクして作り続けられるのではないという仮説。

日々の仕事に、新マイルールを導入して刺激を。

まずは、飽き飽きした日々を打破するために、毎回なにか新しい刺激を日々の制作に持ち込むことにした。

禁止プレイ:使いがちなフォント、配色、あしらいを禁止する
オマージュプレイ:元ネタにはっきり敬意が伝わるようなオマージュを盛り込む
クリティカル・シンキングプレイ:通例として凝り固まってるパターンを崩してみる(メインビジュアルにはメインコピーが乗るとか)
他人のバランスでリテイクプレイ:一度つくってから、他の人のバランス感を擬態していじってみる

名前がつけられると、ゲーム感覚が出て、なお面白い。
毎回不慣れなことをするので、クオリティが下がる気がするが「いつもの」に戻ったときに少し上手くなった気がする。

新しい業種に挑戦して、スキルセットに刺激を。

「ドラクエの法則」と名付けているんだけど、レベル10からレベル30くらいはすぐに上がる。ところがレベルがあがるにつれ、いくら敵を倒してもレベルアップしない。確かに経験値は溜まっているんだけど、実感がない。どこかにメタルスライムいないかなーとグルグル歩き回ることになる。
だったら、「転職」して技を引き継ぐのも手だ。

ウェブデザイナー、グラフィックデザイナーに近接する異業種はたくさんある。
イラストレーター、フォトグラファー、プログラマ、編集者など。
異業種に挑戦してみるのは大変だけど、半分くらいは雰囲気わかる「50%挑戦」だからどうにか成立すると思う。ただ、良い歳をしているということは、それだけ職歴がある、ちゃんとしてると見られるということだ。出来ると思ったから挑戦したわけだけど、やってみたら全然出来ない。
その歯がゆさは相当なものだが、出来ないってことは練習したらすぐに成長を感じられるので、ある種の癒やしになる。異業種から見て、職業人としての自分はどう見えるのか、その業種ならではの感覚が上乗せされるなど実際にやってみないと分からない特典はたくさんある。

今は映像分野に挑戦している。その前は書籍の編集に挑戦した。
少なくても2~3年続けて、ようやく、すこし分かってくる。

色々な視点を持てたから出来たかなと思う仕事は以下で紹介いただいた。
このnoteのような精神論ではなく、方法論をまとめていただいた。

また、ウェビナーやります。

自分の限界を認めて、世界観に刺激を。

ずっと独学でやってきて、この数年はじめてクリエイティブなことを教わっている(もちろん、今もこれまでも会社のみんなやクライアントから気付きをもらうことは多々ある。先生・メンター的にがっつりとして初という意味)。独学というのは、おもしろい。自由気ままだし、どこかかっこいい響きだ。今でも最初は独学で進めて良いと思っている。でも、スキルやテクニックではない、世界観が変わるような仕事を見せつけてくる大人には弟子入りするべきだと考えが変わった。

いわゆるデザインを和訳するなら「意匠」になるが、「設計」としてのデザインを学ぶ機会に恵まれた。その人は肩書としてはデザイナーだが、Photoshopはおろかビジュアル的なことは専門外で、その分「設計」の類はなんでもこなす。
ビジネスモデルから、図面の読み方、書籍1ページのレイアウトまで、同じくらい考えを練る。ワークフローまでデザイン(実験)する。

ウェブだと、良くない表現だと思うけど、よく「コーディング後にテキストを流し込む」という。そういう感覚が染み付いてた自分は、勝手にデザインの射程範囲を自然に定めてしまっていた。効率化と決めつけは悪だ。あらゆるものはデザインの対象で、クリエイティブの範囲なのだと、いつも怒られながら学ばせてもらってる。デザインは、年齢との戦いだと決めつけていただけど、戦場は広かった。

徒労を愛し、罪悪感を溜め込まない。

いろいろな経験をすると、図太くなる。
コンペには落ちるし、理不尽な出来レースには巻き込まれる。
期待値のコントロールが上手くなり、過度な期待をしなくなる(からワクワクしなくなるのだけど)
危ないボールはよけれるようになるし、仕事や責任を抱え込まないようにも逃げれる。
それでも疲れてしまうのは、体力の低下だと思っていた。
運動しよう、自律神経がオーバーヒートしないようにしよう、よく寝ようとかは役に立つけど、本当のところは、養生より供養だ。

「最後まで」「ちゃんと」やらないから疲れる。
それに気付いたのは、前述の編集仕事に追われていたときだ。「コンテンツのコンセプトつくり」くらいの甘い認識で参加したが、はじまってみたら地獄だった。整理しては崩れ、練っては崩すの繰り返し。めっちゃ怒られるし、自分が不甲斐ないし、あげくは「デザイン業ならこんな目に合わないのに」って考えまでもたげてくる。
それでもどうにか終えたら、美談のように脳が再記憶してくれる(このように)

デスクワークで、数日引きずる物理的な疲れはない、頭茹で上がっても、数日休めば直る。
ただし、あのときしんどかったなーって記憶は、その仕事を終わらせない限りたぶん残る。
世に出なくても、ボツになっても、忘れた頃に完成するのでも、ちゃんと供養しないといけない。適度に無理をして、終わらせる必要がある。物理的にそのときはそれしか出来なくても、いつかリベンジすると決める。

慣れてくると、もう負け筋だなと諦めがうまくなるけど、終わらなかった仕事はどこかで罪悪感が残る。その累積がいつか致命傷になるんだと思う。終わらせれば、美談になって疲れがリセットされると信じて、なんでこれ引き受けちゃったんだろうって仕事に、今日も取り組む。


お知らせ
・ウェビナーやります
https://peatix.com/event/1916331/

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カバーには、Linustockさんのイラストを使わせていただいた
https://www.linustock.com/


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