川口和正

ライター。著書『ひとりから始める~「市民起業家」という生き方』(同友館)、『道遠くとも…

川口和正

ライター。著書『ひとりから始める~「市民起業家」という生き方』(同友館)、『道遠くとも~弁護士・相磯まつ江』(コモンズ)など。

最近の記事

作為と自然と――長い時間をかけて紡がれるもの

作為のないものを書きたい。 そんな思いに、しばしば駆られる。                *** 先日、ある人物ルポを読んだ。 それは、志を持って、仕事を続けている人を取材したものだった。十分な下調べをして、インタビューしたものだということがうかがえた。相手の言葉を丹念に取り上げ、エピソードをうまく連ねている。取材時の景色が見え、ライブ感も伝わってくる。 私が考えるノンフィクションの大切な要素を、その文章は満たしていた。 資料や文献を「読む」 現場を「歩く」「見る

    • 世界を幸せにするために――柳原和子さんのこととともに

      大晦日。この時期になると、思い出す。 30年ほど前、出版社で働き始めた頃、雑誌で連載を書いていたライターさんが、飲みに誘ってくれたことを――。 大晦日の夜、先輩と一緒に、ライターさん行きつけの寿司屋へ行った。一年の仕事を労い合いながら、3人で酒を酌み交わした。 「私たちは、理論派ではないかもしれないけど、現場に足を運ぶフィールドワーク派として頑張っていこう!」 ライターさんはそう言って、励ましてくれた。 当時、まわりの仕事関係者は、私より知識も経験も実績も能力も全て

      • 記録者として、伝達者として

        編集者が最も大切にするべきことは何か。 『君たちはどう生きるか』の著者、吉野源三郎は魯迅の詩の、あるフレーズを紐解きながら述べている。少し長くなるが、引用する。 「編集という仕事については、中国の作家魯迅の詩の『眉を横たえて冷やかに対す千人の眼、首を俯して甘んじて孺子の牛となる』という句を、いいことばだなと思い出すことがたびたびです。 『千人、万人の人からなんと見られようが、そんなことには、冷然として心を動かさない。子どものためには、甘んじて首をたれ、それを背に乗せて黙

        • 知の立体地図としての本屋――ちくさ正文館のこと

          故郷の馴染み深い本屋が、この夏、店を畳む。 名古屋の「ちくさ正文館」。高校時代から通い始め、郷里を離れてからは帰省するたびに、必ず立ち寄っていた。 1961年創業の老舗書店。閉店の理由は、店舗の老朽化と売上の減少が理由だという。 人文・文芸・芸術などの選書が素晴らしかった。向かって右手の入り口から店に入ると、左側が詩や短歌、近現代文学などの文芸棚、右側が哲学、思想、言語学などの人文棚。壁際には歴史書などが並び、奥には映画や演劇、音楽などの本が置かれていた(*1)。その棚

        作為と自然と――長い時間をかけて紡がれるもの

          小さくても豊かな物語を、自分たちで紡ぐ――リクオ『ピアノマンつぶやく』を読んで

          桜を見に、先日、国立へ出かけた。 駅前からまっすぐに伸びる大学通り。その両側に、約200本の桜の木々が佇んでいる。 訪ねた日は、三分咲きぐらいだったろうか。 でも、真っ青な空の下、日差しを浴びながら、桜を見て歩くのは、気持ちがよかった。 この界隈は高層ビルがなく、空が広い。 歩道の脇には、随所に花壇が設けられ、パンジーなどの花々も目を楽しませてくれる。 街にベンチが多いのも、うれしい。老若男女が座り、弁当やパンなどを食べている。アイスクリームを頬張る幼い子らを、母親が「

          小さくても豊かな物語を、自分たちで紡ぐ――リクオ『ピアノマンつぶやく』を読んで

          28年目の「満月の夕」

          阪神・淡路大震災から28年となった1月17日の夜。 友人から、ある動画が送られてきた。 それは、震災から1年後の1996年1月、神戸で歌われた「満月の夕」のライブ動画だった。「満月の夕」とは、ヒートウェイヴの山口洋さんと、ソウル・フラワー・ユニオンの中川敬さんが阪神大震災での経験をもとに作った楽曲。 動画は、神戸の長田神社で行われた「つづら折りの宴」というイベントを映したものだった。 山口さんやリクオさん、友部正人さん、ソウル・フラワーの奥野真哉さんらが演奏していた。

          28年目の「満月の夕」

          ひとりで立つ

          311から今日で11年7ヵ月…。 仕事帰りに、地元駅前で1時間ほど「原発はいらない」のソロ・スタンディングをやった。政府が今までにも増して、原発推進に前のめりになっている中、脱原発の意思を、改めて可視化しなければと思ったからだ。 毎月11日に「原発NO!」のアクションを続けている練馬をはじめ各地の皆さんへのリスペクトと連帯の気持ちも込めて。 「原発はいらない」のプラカードを見てくれた人が、原発について自問してくれたら…。駅前を行き交う人たちにボールを投げるような気持ちで

          ひとりで立つ

          経験と継承と…

          8月24日。 その朝、スマホでインターネットにアクセスした。 しばらくして、「Yahoo!トピックス」に刻まれたニュースに腹立たしくなった。 「首相、原発7基の再稼働進める」 司法から運転差し止めとされている東海第二原発や、原子力規制委員会から運転禁止を命じられている柏崎刈羽原発なども含んでいるという。政府は、それらを強引に動かそうというのか。なんてこった! それから、2時間ほど経った頃だろうか。 仕事で調べものをするために、PCを開けて作業をしていると、今度はこんな

          経験と継承と…

          原爆ドームと鷺をながめた日

          今日は、77回目の「広島・原爆の日」。 十数年前の秋、初めてその地を訪ねたときに出会った、ある光景を思い出す。 当時、書いた日記をもとに、覚え書きとして記しておく。 *   *   * 広島に着くと、ホテルに荷物を置き、すぐに原爆ドームへ向かった。路面電車に乗って「原爆ドーム前駅」で降りる。小雨の中、目の前にそれは佇んでいた。 テレビや本などで、その姿は何度も見てきたが、直接向き合うと、胸がいっぱいになった。焼け落ちて、鉄骨だけになったてっぺんに、鷺が3羽止まって

          原爆ドームと鷺をながめた日

          「現場」に立つということ――取材小論

          人と話す時、「マスク越し」になって、2年余になる。 いくら話しても、物足りなさが残る。 マスクで顔が覆われているため、目から気持ちを察することしかできない。 一方、「画面越し」であれば、相手の顔はすべて見える。 でも、同じ場所に居るわけではないから、雰囲気がわからない。 どこか通じ合えていないのではないか、と不安になる。 相手が話している姿を間近で、直接、目にするということは、コミュニケーションの上でどれほど大きな存在だったか。それを、改めて感じている。 取材においても

          「現場」に立つということ――取材小論

          教えて教えられないもの~30年前の大工の棟梁の聞き書きに出会い直す

          死者と、仕事を共有する 「自分のしごとの本質的な部分を死んだ人間と共有する。はたされなかった計画のつづきとして自分のしごとを考える」(津野海太郎)。 津野さんは、かつて晶文社の編集者として数多くの本を手がけた人である。冒頭に紹介した一節は、その津野さんが、これまでに書いてきた中から選りすぐりの「編集論」をまとめた『編集の提案』(黒鳥社、2022年)で述べられていたものだ。 それは、作家・長谷川四郎に関する記述であった。長谷川が、亡き畏友・花田清輝を、自身の文章の中に「幽

          教えて教えられないもの~30年前の大工の棟梁の聞き書きに出会い直す

          もうひとつの日本地図

          折々に思い浮かべる本がある。 『もうひとつの日本地図 1992~1993』(『自然生活』編集部編、野草社)。 タイトルから分かるように、30年ほど前に刊行されたもの。 副題には、「いのちのネットワーク」と掲げられている。 農場、八百屋、美術館、民宿、フリースクール、さらには、村おこしや自然保護、海外協力等に関わるグループなど、全国220ヵ所の活動内容やメッセージを収録している。 「自然と人間とがますます破壊されつつあるいま、暮らしを作り変え、新しい社会をとねがい、さまざ

          もうひとつの日本地図

          波は続いている

          久しぶりに、海に来た。 向こうに広がる水平線。 沖合にはタンカーが何隻か佇んでいる。 空には雲がほとんどない。 日差しが強い。 波の音と、風の音に包まれる。 砂浜に、波が次々と押し寄せる。 沖にも、波の白い筋がいくつも見える。 太古の昔から、海にはずっと、こうして波は続いていたのだ――。 当たり前のことが、ふと、腑に落ちた。 ささくれ立っていたものが、少しほどけた。 「すいません! いま、何時ですか?」 不意に、小学生と思しき男の子が尋ねてきた。 「今ねえ……、4時23

          波は続いている

          ネット以前の自分に戻る

          「アナログレコードを聴くと、ネット以前の自分に戻れる」 先日、行われた山口洋さんのインスタライブに、ファンからこんなメッセージが寄せられた。 レコードをケースから取り出し、ターンテーブルに載せ、盤に針を落として、耳を澄ます。自分はレコードで音楽を聴くことがなくなってしまったけれど、この感覚は分かる気がする。 「ネット以前の自分」という言葉にも、強く惹かれた。 いまや、公私ともインターネットなくしては成り立たない。 便利さを通り越し、私たちにとってライフラインに近いもの

          ネット以前の自分に戻る

          温度差を縮める、あるいはパラレルワールドに橋を架ける ――東京五輪を前に刻むこと

          五輪開会を直前に控えた一昨日(7月21日)、自衛隊のブルーインパルスが東京上空を飛行する予行演習が行われた。 居合わせた先では、その姿を目にした人たちから歓声が上がった。スマホで写真を撮り、興奮した口調で沸き立っている。 私は、とてもそんな気にはなれなかった。 東京五輪への嫌悪感、違和感が離れないからだ。 コロナ禍にある今、こうした「温度差」をたびたび感じている。 先日もこんなことがあった。 飲食店を営む人から、コロナ禍で感染対策に気を配り、神経を尖らせながら日々の商

          温度差を縮める、あるいはパラレルワールドに橋を架ける ――東京五輪を前に刻むこと

          見て見ぬふりはしない、ということ。――路上と日常と

          資源ゴミ回収の朝昨日は、缶、ビン、ペットボトルの回収日だった。 所定の場所に向かうと、真っ白なゴミ袋が見えた。 ああ、今日もか……。 45リットルのゴミ袋に缶が入ったまま、回収箱に置かれていた。袋から缶を1本1本取り出し、潰して、箱に入れ直す。 すでに箱に入っている缶も潰す。缶の嵩(かさ)を少しでも減らして、箱から溢れないようにするためだ。 ペットボトルを入れる所定の袋にも、ゴミ袋に入れた物が積まれていた。中を見ると、すべて蓋とパッケージが付いたままである。1本1本取り

          見て見ぬふりはしない、ということ。――路上と日常と