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ひとりで立つ

311から今日で11年7ヵ月…。

仕事帰りに、地元駅前で1時間ほど「原発はいらない」のソロ・スタンディングをやった。政府が今までにも増して、原発推進に前のめりになっている中、脱原発の意思を、改めて可視化しなければと思ったからだ。

毎月11日に「原発NO!」のアクションを続けている練馬をはじめ各地の皆さんへのリスペクトと連帯の気持ちも込めて。

「原発はいらない」のプラカードを見てくれた人が、原発について自問してくれたら…。駅前を行き交う人たちにボールを投げるような気持ちで、一人立っていた。言葉は交わさなくとも、「対話」が生まれれば、と。

一人で街頭に立つのは、何度やっても緊張する。
意を決して、プラカードを掲げる。チラッと見て、通り過ぎていく人たち。何か感じてくれれば、ありがたいと思って、立ち続けた。

30分ほど経った頃だろうか。
同世代と思しき男性が近づいてきた。「サヨナラ原発」と記されたキーホルダーを見せてくれた。
そして、その直後、「がんばってください!」と、今度は20代の男性が声をかけてくれた。
彼らと、それぞれ、ひとしきり話を交わした。

もしかしたら私が一人で立っていたから、声をかけやすかったのかもしれない。
でも、声をかけるのも勇気がいる。それは、意思表示でもある。
そうした人たちと出会えたことが、うれしかった。

加藤典洋さんの文章を思い起こす。

「私が鶴見(俊輔)という人と知り合ったのは、自分がたった一人でその新しい世界に飛び込んだからでした。(略)一人でいないと、一人には出会えません」(「ヒト、人に会う」、『もうすぐやってくる尊王攘夷思想のために』幻戯書房、2017年

何より励まされたのは、私だった。
路上での出会いに、希望をもらった。

【追記(10月22日)】
敬愛する先輩に「ソロ・スタンディングに応えてくれた人がいた」と話したら、こう言われた。

「それは、きっと、そうした土壌があるからだとも思うんですよ」

決して、私ひとりの力によるものではない。先達が、この地で声を上げ続けてきたからこそ、市民が意思表示し、地域と社会を変えていく(変えられる)という土壌が育ってきた。あの夜の出来事は、そうした積み重ねによって受け取ったことなのだ。

歴史に支えられていることを、改めて思った。



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