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なぜ他人の意見は聞けるのに、身内の意見は聞けないのか。企業内でもそうですよね。

すこし前のニュースで、振り込め詐欺にそそのかされて、携帯電話をかけながらATMでお金を引き出そうとした女性が、隣で実の娘が「おかあさん、騙されてるって!」と言っても聞かなかったところ、隣で異変に気付いた見ず知らずの人が「いったん電話を切ったほうがいい」とアドバイスをして事なきを得たという話がありましたね。
なんで、身内のいうことが信じられず、外部の人のいうことを聞いちゃうのでしょうか。
これって、企業組織の運営にも多いに当てはまるんです。

なぜ、身内の話が信じられないのか

身内の人の中でも、例えば親子、会社であれば、上司部下みたいな関係では、上位者に位置する人は、どこか、「自分のほうが知恵がある」「自分のほうが全体をわかっている」という自負があるものです。
なので、下位の人から、自分が知っていること、自分が信じていること以外の提案や意見がでてくると、情けないことですが、反発しちゃうのだと思います。
まぁ、ひそかに「そうかもね」と思っていてもあまりにも図星の提案だとかえってひねくれてしまい、「そうじゃない!」とか言い出すんですよね。
まぁいらないプライドだと思いますが、人の気持ちって、そう簡単じゃありません。

では、問題は上位者なのか、というと、その反対も多いにあります。親が子供に「これはやめておきなさい!」といっても、「どうせ親はわかっていないから」とか「親の考えは古いから」と、言うことを聞かないこともしばしばある話です。
職場でも、あるあるなのが「これまでのやり方を改めて新しい方法で進めよう」と上位者が言っても、「どうせあの人たちは現場をしらないから」といって上司の方針をスルーしたり、反発したりすることってありますよね。

この現象に共通していることは、身内とは、ある意味、微妙な力関係が生じる関係なので、あれこれ言われたことに簡単に賛同してしまうと、心の中では「負けた…」的な気持ちが生じてしまうんでしょう。
勝った、負けたではないんですけどね。
第三者の場合は、身内間の微妙な力関係からは外れているので、素直に受け取ることができるのでしょう。

客観的視点をうまく使う

本に書いてある事柄の引用や、お客様の声を参照して自分の考えを述べるだけでも、客観的視点が入ったということで、相手の納得度も高まります。
親子でもそうですよね。
近所のおばちゃんが言ってたよ、ということで聞く耳を持ってくれたりします。
組織変革とか、組織のシステムを変えるときに、これまでの組織の慣例となっているようなことを変えるとなると、「あいつのいうことは聞かん」という人も多いし、現状変えたくないという人も多い中、身内だけだと限界があるのでしょうね。外部からコンサルタントが介入することは多いです。
コンサルタントの果たす最大の役割って組織内の軋轢を緩和させて推進するという役割なんでしょうね。

互いに納得するコミュニケーションには工夫とコストがかかる

これを書いていて気づいたことは、身内であっても変な邪推なく納得のコミュニケーションができるには、日ごろから信頼関係を構築する努力が必要ということかもしれません。身内だと特に「私のことはわかってくれているはず」という甘えも含めて、コミュニケーションが雑になってしまっているのかも。具合が悪いことに、知っているからこそ、「あの人はこんなことをしがちだ」というレッテルを貼ってしまい、そのレッテルだけを見たコミュニケーションになっているのかもしれません。

良い関係性を築くには、日ごろからの工夫と、それなりに投じた関係構築コスト(時間と労力)をかけないと実は難しい。これまでしっかり関係構築コストをかけてこなかったのに、「なんでわかってくれないのか!」と互いに憤懣を抱えてしまうのは残念なことです。

変な感情的な否定をしあう関係ではなく、自分の意見を言い合い、互いに尊重しあいながら、良い解決策を導き出さる関係構築って理想ですよね。
でもこれはなかなか実現できることじゃないので、工夫とコストをかけることも考えないといけないんでしょうね。

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