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中央フリーウェイ

帰国中、深大寺じんだいじに行こうと
ずっと考えていた

それが今日行こうと思いついたのはナミヘイ(海色の車)と一緒に来た歯科医院の待合室。

なんせカナダでは医療は無償だが歯科は別枠。
保険をかけていなくて、以前1回で終わるかぶせ物の治療が4万円かかった。なので歯の治療は日本帰国中にやらなければならないことのひとつである。

さて通っている歯科医院は新座にいざ(埼玉)にあって東京の自宅からナミヘイと1時間のドライブという場所。
待合室でグーグルマップを見ると深大寺じんだいじ(東京都調布市)はそこからさほど遠くないではないか。

深大寺そばが食べたい!
(日本帰国中に食べるもの 2 おそば)

🌸🌸


体の奥に閉じ込めていたものが、何かをきっかけに明確な言葉となって、ふいに浮上してくるときがある


あれはカナダに住んで最初の年だったろうか。

夫ジェイが、Mississaugaで開催されているジャパン・フェスに誘ってくれた。
そろそろ日本が恋しいのではと思ってくれてのことだ。
でも私はホームシックにかかるたちではなかったし、それより新生活で目いっぱい。日本を懐かしむ暇があるならもっとカナダのことを知りたかった。

だからさほど気が乗らないまま私はジェイに連れられてジャパン・フェスに行った。
焼き鳥のブースに並んだり、浴衣姿の子どもたちの写真を撮ったり。
ステージではミュージックライブが始まっていた。

それは何曲目だったのだろう。
ふいに日本語が私の体に入ってきたのである。

♪中央フリーウェイ~
調布基地を追い越し~
山に向かっていけば~♪

ああ、母語よ、おそるべし。
注意をしていなくても、どんな雑踏の中にいても、どんな遠くからでも私の耳は母国語をとらえることができるのだ。

それはユーミンの曲、中央フリーウェイ。
日本人らしきアマチュア(?)シンガーの歌声に思わず口ずさむ私。

♪中央フリーウェイ
右に見える競馬場
左はビール工場・・♪

ジェイは奇妙な顔をして、もちろんユーミンの歌を知る由もなく、ずれた私のサングラスを指先でちょいと戻してくれた。

(ヘッダー写真はジェイのサングラスに映るジャパン・フェス)


調布市の深大寺東町に4年ばかり住んだことがあった。ジェイと出会うこともカナダに住むことも想像すらしていない20代。

その深大寺東町から少し西に中央自動車道路の調布インターがあった。
当時そこは遠出をするときの出発地点。
住んでいた頃は、中央フリーウェイの歌詞にある調布基地はなく調布飛行場となっていた。
一度飛行機を見に行ったことがあった。
その後そこに味の素スタジオができた。

初めて中央高速道路を走った時は、競馬場はどっち?ビール工場は?と探したものである。
ユーミンの歌がいつもそばにある学生時代を送った世代である。

ジャパン・フェスで中央フリーウェイの歌を聴きながらそんなことが次々と思い出された。

♪この道はまるで滑走路
夜空に続く
夜空に続く~♪

私って、ひょっとしたら日本のこと恋しいのかも・・・?
喧噪の中で歌詞を追いながら思った。

いや、
ちがう。

そうではなかった

日本というより。
日本語が恋しかったのだ。

注意しなくても勝手に耳に入ってきて理解できる母語。

カナダ生活は私にとって第二言語の世界。頭の中はいつもフル回転。猛スピードでカタカタとキーボードで英文を打ち込んでいるような感覚だった。そこには聞き取れなかったいくつものスペースキーも含まれていて。

ボーっとしていても勝手に理解できる母語って、なんて安楽なの!

マイクを通した中央フリーウェイの歌詞は
スペースキーを押すこともなく
ひとつひとつの単語があまりに鮮明な音で
そして確かな意味を持って私の体の中に落ちていく

日本語が恋しい

はっきりとそう意識した瞬間だった。


そんなことももう10年近く前のことである。
今やカナダにいても動画やネットで日本語に不自由することはない。
でもこの思い出の歌は今も私のスマホに
Chuo Freeway
というタイトルで入ったままだ。


久しぶりに探してそのプレイリストを開いてみる。
歯科医院を出た私はナミヘイに乗ってボリュームを上げた。

♪片手で持つハンドル
片手で肩を抱いて
愛してるって言っても聞こえない
風が強くて

さあ、調布へ!

そしてたどり着いた深大寺
お参りに立ち寄る
そういえば深大寺では毎年だるま市が開かれていたっけ。
そしてもちろん深大寺そば
カナダでは食べられそうにない山菜となめこ。
深大寺山門前にある嶋田家さんで

水面の青空を見ながら

深大寺東町に住んでいた頃も度々お参りに来ておそばを食べた。
そして当時は感じていなかったが、このあたりに足を踏み入れた途端芳しいそばつゆの匂いが漂ってくるではないか。

あの頃決まって入ったおそば屋さんは確か山門からは離れたところにある今にも壊れそうな二階建てのお店だった。
名前を覚えていない。
それらしきお店を見つけることもできなかった。

帰りはせっかくだから調布インターから中央高速道路に乗って自宅に戻ろう。
ん?しかし待てよ。
中央フリーウエィと歌われていても日本の高速道路はフリーでなく有料だった!(カナダはフリーです!)自宅に戻るための高井戸は調布インターからたったひとつぶん。

高速代って確か千円とかだったりしたっけ?

仕方なく甲州街道を地味に行く東京貧乏暮らしである・・・。
(深大寺を出て東八道路を東に行くと甲州街道に繋がっていた・・いつこの道ができたのか?これまた浦島な気分)


時は忠実に流れているんだなと思う
カナダに住もうが東京に居ようが
この地球のどの地にいても
平等に

だるまの土鈴をひとり連れて帰った




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