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ママからのメール

ベッドの上から
障子が半開きになった窓越しに
バンのてっぺんが見えた
外には植え込みと大谷石の塀があって全体は見えないのだが
前の通りにそれが止まっているらしかった
誰?

目を開けると天井が見えた。
右を向くとそこに障子はなく壁があるだけ。

ここはどこ?
だってあの窓は
奈良の母の家のはずだ。


ゆっくりと
解けてゆくように眠りから覚める。
発熱して寝苦しい夜を過ごし、ようやくうとうとして見た夢だとわかった。

日に焼けた障子の枠の色が
リアルに頭の中に置き去りにされている。
その古びた木の匂いも。


心が微かに痛い。
遠くでカナダグースの声がする。

あの畳の部屋から窓の外があんな角度で見えたかしら
そんなことを考えながら体を起こす。

でも確かめるすべはないのだ。

だってあの障子の家は
もうないのだから。

母は3年前に亡くなり
家は売られて更地となった。

もうとっくに新しい家が建っているはずだ。

ナイトスタンドにあるペットボトルの水を飲みながら
流行り病に罹る前に見た母の夢を思い出した。

娘と外で話していると母に似た人が歩いている
娘がおばあちゃんだ、という
似てるね
もう母が亡くなっていることを夢の中の私は知っている
娘がやっぱりおばあちゃんだという
その女性はこちらに向かってやってきて
見るとまさに母である
母は私の顔をまっすぐに見すえ
何かを言うように口を動かし始める
でも私には聞こえない

深い緑色の、サンドレスのような軽やかなワンピースを着ていた。
母が夏によく着ていたたっぷりとしたタイプの服だ。

先にこんな夢を見ていたから
奈良の家のことを思い出したのかもしれなかった。

私には姉がいて、母の亡くなった後、やらなければならない手続きを一緒にこなした。
私たちの間では母のことを今もママと呼んでいた。
ママの事が済むと姉はあっさりしとしていて、もはや連絡もなく、一方の私は今もそこここで悲しみを残している。

先日も近くにある棚卸し処分品を扱っているお店でルームスプレーを買ったら、母が昔使っていた白粉おしろいの匂いが蘇って来た。

母が持っていた三面鏡の引き出しにその白粉おしろいはあった。
粉のケースには細かい網のようなものがあって、その上にまあるい大きなパフがいつも乗っかっていた。
母が白粉おしろいを使わなくなっても引き出しを開けるとやっぱり白粉おしろいの匂いがした。

そしてその白粉おしろいの匂いのする三面鏡はまさに、夢で見た障子のそばに置かれていたのである。

障子の夢のあと、流行り病の熱が下がってもしばらくベッドから離れられずにいた。

ベッドの中でメールをチェックしようとするも
気付くとスマホは手から滑り落ちている。

夢うつつの世界。

そんな中、ある文字が私の目を捉えた

ママ

メールの着信お知らせバナーに出て来たのだ。

ママって?
そこをクリックしようとしたのにスマホは再び手から滑り
私はまた眠りに落ちた。

ママの字は夢の中に消えた。

送信者がママ
一体ママは向こうの世界から何を送ってきたのだろう。

緑のワンピースのママは確かに
私に何か言いたそうだった。

熱が治って思考の戻った朝
メールボックスを開けるとなんとその

ママ

が、まだそこにあった。

ママからのメールは夢じゃなかったんだ。

慌てて開けてみると

>>東京は11月中旬になって、いきなり寒くなってきました。季節外れの半袖姿で過ごしていた日々から一転、朝暖房をだしました。
本日お昼に遠くカナダよりのプレゼントが到着・・・・

それは友人からのメールだった。


彼女とは小学5年生の時同じクラスだった。”親友”の私たちは交換日記をしていた。スマホもSNSもない時代である。
同じ中学校に行って交換日記は続いた。
高校と大学は離れ離れになりさすがに交換日記は続けられなくなったが、スカイメイト?で学生割引が効く最後の歳に二人で北海道旅行に出かけた。

その時の写真を編集して本にし彼女は去年、ここカナダに送ってくれたのである。
実家を整理していたら出て来たの。
懐かしいショットの一枚一枚。

そのお返しに裏庭で採れた野菜のピクルスとルバーブジャムを送っていた。トラッキングもつけない船便で、示された配送予定は2~3か月後。

荷物届いたんだ!

またお会いできる日を待っております

メールはそう締めくくられていた。
彼女とはLINEを使っていてメールを受け取るのは初めてだった。
三人の子どもたちの母で、家族の連絡用に作ったアカウントを今も同じ設定のまま使っているのだろう。

今度会ったら、てっきりママからのメールだと思ったと話そう。彼女の大笑いの顔が浮かんだ。

小学生時代からの知り合いなので、亡くなったママのことを彼女は知っているし、亡くなった彼女のお母さんのことを私も知っている。

母の家の障子

メールを閉じたら

母の突然の死を知った朝のことが
太平洋を超えて力尽きた風のように
脳裏を静かに渡って行った。

遠くから湖を飛び立つ
水鳥たちの音が聞こえてきた。


日本とカナダの子供たちのために使いたいと思います。