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サくら&りんゴ #89 味の記憶

先日、わざわざ銀座まで出向いてすあまを買った日、超がつく久しぶりの銀座で超がつく久しぶりの何かをランチに食べたくなった。

なにがいい?

帰国後おだしのきいたおうどんが食べたい!と思っているが心の片隅に

銀座で?

すあまを買った松屋から歌舞伎座の方までウロウロしてみる。

夫が日本に来たとき、どこに行ったときだったか、幾度か一緒におうどんを食べた。食べながらだしの味がわかるかなあと思ったものである。なんせ夫はアメリカ生まれのアメリカ育ちのマヨラーで。でもうまみと言う言葉を知っていて、Udon(Uにアクセントby 夫)のスープのUmami(maにアクセント)について話していたことがあった。のちに、うまみはUmamiという英語になっていることを知るのだけれど。

そんなことを思い出すとますますおだしの効いたおうどんが食べたくなる。

ちょっと気にかかっていたおうどん屋さんの前に着く。
そうしたら長い行列!
うそ?

あきらめて少し行くと、何のお店だろう、古いティールームのようにも見えるがそこにも若い人たちの列。

何?全く見当がつかない。

日本のテレビを見なくなって、ちまたのグルメ情報からとんと疎くなっている。

銀座のお寿司は、はなから除外されているし、歩いてみて目につく日本食はしゃぶしゃぶだったり焼肉だったり、そしていわゆる洋食屋さんが結構あることに気づく。


そうだ洋食屋さん!


私の記憶の扉が開かれた。
まだあるのかなあ、あのお店。あの昭和のマダムなお店。

洋食屋さんと言っても高級感漂うそのレストランは、多分数回ほどしか行ったことがなくて、昭和な私の憧れの場所でもあった。

そこで売られているクッキーは、クッキーそのものより缶が可愛くて(クッキーも美味しいよ)あれこれ集めたものだ。

歌舞伎座界隈から踵を返して銀座通りを新橋方面へ。

このあたりにあったはず
もう少し先だったかなあ

やっぱり昭和のマダム御用達の洋食屋さん、もうなくなったかとあきらめかけた時

あった~!その外観の重厚な趣もそのままに
資生堂パーラー。

中に入ると今時に手消毒をした後、日本語が堪能な外国の人がエレベーターの案内をしてくれる。

昭和なマダム御用達の洋食屋さんと思っていたが、家族連れや若いカップルがランチを楽しんでいた。

そして私が頼んだのは超がつく久しぶりの

オムライス。
プレートがテーブルに置かれた後にとろ~りとトマトソースがかけられた。

スプーンでひとすくい、口に運んで

あ、この味!

私はソースの事などすっかり忘れていた。けれど一口食べた瞬間、ケチャップでないそれを舌が覚えていたのである。

甘く炒めた玉ねぎやあっさり福神付けシロップ付けのミカンの薬味が添えられている


不思議だ。

このまろやかな・・・などと味に関するひとかけらの単語も描写も、覚えているどころか言葉に出して表現したこともないのに私の舌は、このソースの味を確かに記憶している。

そうか記憶に言葉はいらないのかもしれない。

食べながら私は京都にある洋食屋さんを思い出していた。そこのクリームコロッケが、カニクリームだったか、エビだったか、子供のころ大好きだったのである。京都に住んでいた時なのでまだ5歳前後の頃である。のちに引っ越して、大人になって父にそのお店の事を聞いたらどこかに移転したということだった。名前もうろ覚えで、まんがついていたとしか記憶がない。まんせ?まんてい?でもこの資生堂パーラーのソースの味はそのクリームコロッケをも呼び起こすのである。

そう考えると洋食屋さんってすごく日本だなと思う。日本で育って愛されてきた特別な日本の味だと。
夫と一緒の時は日本にいて洋食を食べに行くことを考えもしなかった。
エッグサラダサンドイッチが好きでホットドックにたっぷりケチャップをかけて食べていた夫。Umamiもわかる夫の舌は資生堂パーラーのオムライスを気に入ったに違いない。

チロリアンテープを貼ってアクセサリー入れなどにもしていたクッキー缶

美味しい物をわざわざ食べに行く。
ああ、私は今この日本にいて、なんて平和で(今のところ)心穏やかなんだろと思う。

在宅緩和ケアの病床で夫と共に食べた食事。一口であっても美味しく食べられることを追って、それが最後の最後まで夫と私の喜びだった。

日本とカナダの子供たちのために使いたいと思います。