見出し画像

湖畔だより。その後21 冬のカナダを離陸、そして日本へ。

バンクーバーは雨である。

東京への直行便キャンセル、乗り継ぎ便のキャンセル、時間変更などを経てようやく、バンクーバー経由での日本帰国である。

早朝Simcoe湖畔の家を出た時は、マイナス5Cであった。バンクーバーの方が緯度が北にあるにもかかわらず、気温が高いことに驚く。
湖畔の家ではもう、雨にはならない気温である。
湖は凍るのを待っている。

ちょうど前日マーガレットがやって来て、

このあたりもレッドレベルになるわよ。

と言った。今はナーシングホームで看護師として働いている彼女は、そういう情報をタイムリーに得ている。
レッドレベルとは、ロックダウンの一段階下のステージである。トロント地区はもうとっくに入っていたが、Simcoe湖畔は人口より水鳥の方が多いような地域である。いったいどうやって感染が広がると言うのか。

ロックダウン寸前となると空港までの交通手段が不安になった。Uberで知り合ったケニア出身の女性が午前3:45に迎えに来ることになっていた。快く引き受けてくれたものの不安なので、前夜、確認のメッセージを入れる。すぐに返信があって安心する。そしてとにかくお迎えまで、眠らずにいることにする。トロントで乗り遅れたら、バンクーバーから先、東京行きのフライトは三日後にしかない。

お迎えの後、空港までの1時間半弱の道のりで少しうとうとできるし

と思っていたら、

彼女がスピードを出すのでおちおち眠っていられなくなる。

すいているから早く着くわ。

というのはいいが、140kmは出しすぎである。おまけに頻繁に車線変更をするので、こちらは気が気でない。
おかげで(?)1時間もかからずピアソン空港ターミナル1に着く。

いくつもの入り口が封鎖されていて、使用できるドアが限られていた。
中は閑散としている。

セキュリティを通過する前のチケットチェックで、ドキュメント確認にカウンター12に戻ってくれと言われた。そんなことは今までにはないことである。国際便には感染拡大防止のための国別ルールを把握しておく必要があるからかもしれない。

窓口に戻ってパスポートを出すと、ほかにもドキュメントは?と聞かれる。

パスポートしかありません!

日本人で日本に帰国できることが当たり前だと思っていた。
審査官がたてるカタカタと言うキーボードの音が何とも不安を掻き立てる。審査官はパソコンとにらめっこをしている。

成田で感染拡大国からの渡航者を受け入れていないかもしれない?

色々な想像が頭をめぐる
しかし、とにかくQ14というサインをもらって通過。
そしてとりあえずバンクーバーまでは到着できたというわけである。

帰国の準備をしていて、数か月の予定とはいえ、湖畔の家を離れがたい気分でいた。いない間レベッカに壁塗りと、バスルームのドアの取り付けを頼んでいるので、戻った時はもう夫の家の色を残していないであろう。

そこここがドライウィールむき出しで、
そこここに建築道具と建築用材がおかれている。
それが夫の湖畔の家なのだ。
だから寂しいし哀しい。
私たちのベッドルームに、夫はアーモンド色を帯びた白を選ぶ予定で、色のサンプルカードに走り書きが残っている。

909 bedroom

しかし私はmoonlit beachというオレンジ色を帯びた白を窓側の壁に選んだ。隣の部屋との境の壁にはピンクを帯びた灰色。レベッカが驚くべき色数のチャートを見せてくれた。

画像1


フルムーンの時もそして三日月の時でさえも、
この部屋には月あかりがともる。
そんなとき窓の向こうの湖面に現れるムーンリバーは、
妖しいまでのきらめきである。
たどって行けば、
どこか違う世界にたどり着けるのではないかという
魅惑で満ちている。

そんな寝室がどんなふうに変わるのか、新しい色になった部屋を想像すると、寂しいけれど、ちょっとうれしくもある。

うれしくなれるようになった。

今はまだ辿れない思い出は辿らないまま、もう忘れてしまうのかもしれない。

画像2

バンクーバーから成田行きの便には、繰り返しアナウンスが流れた。アメリカからの搭乗者はPCR検査陰性の確認証が必要な事、搭乗券にはQ14の承認済みサインがいること、確認のためカウンターまで来るようにと、個人名が次々読み上げられる。3時間以上ある待ち時間にこのnoteを書こうと思っていたのに、アナウンスの度に耳を澄まさなければいけない状況である。

髪を、輝く空色に染めた日本人の若者と出会った。
11か月のワーキングホリデーを終えての帰国だという。トロントにいたというので、せっかく来たのに、街がロックダウンになって、残念な事だったなと察する。でも、そんなことを上回るエネルギーが彼にはあふれていた。今終えたばかりの数々の体験に、まだ興奮が冷めやらない様子があって、ああ、こういう若い人たちがこれからの日本を作っていくのだなと思う。やっと自分の体が前に向き直ったような気分になった。

最後のテキストメッセージを確認してから、iphoneのsim カードを日本キャリアのものに入れ替える。

搭乗開始のアナウンスが流れた。
冬のカナダとしばらくお別れである。


日本とカナダの子供たちのために使いたいと思います。