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今月の3冊 #1 『陰翳礼讃』と"暗い美しさ"

"北欧/無印良品的"ミニマルな美しさもある一方、日常生活はどんどん明るくなり、暗さを失っている気がしてならない。

たまに、寺社仏閣・古い家屋にいくと、そこにある「暗い美しさ」に心惹かれることがある。そんなことを思いながら、谷崎潤一郎『陰翳礼讃』を読んでみた。

以下、気になった箇所の抜粋。

西洋紙の肌は光線を撥ね返すような趣があるが 、奉書や唐紙の肌は 、柔かい初雪の面のように 、ふっくらと光線を中へ吸い取る 。
浅く冴えたものよりも 、沈んだ翳りのあるものを好む 。
支那に 「手沢 」と云う言葉があり 、日本に 「なれ 」と云う言葉があるのは 、長い年月の間に 、人の手が触って 、一つ所をつる 〳 〵撫でているうちに 、自然と脂が沁み込んで来るようになる 、そのつやを云うのだろうから 、云い換えれば手垢に違いない 。して見れば 、 「風流は寒きもの 」であると同時に 、 「むさきものなり 」と云う警句も成り立つ 。とにかくわれ 〳 〵の喜ぶ 「雅致 」と云うものの中には幾分の不潔 、かつ非衛生的分子があることは否まれない 。
もし近代の医術が日本で成長したのであったら 、病人を扱う設備や機械も 、何とか日本座敷に調和するように考案されていたであろう 。これもわれ 〳 〵が借り物のために損をしている一つの例である
日本の漆器の美しさは 、そう云うぼんやりした薄明りの中に置いてこそ 、始めてほんとうに発揮されると云うことであった。
昔からある漆器の肌は 、黒か 、茶か 、赤であって 、それは幾重もの 「闇 」が堆積した色であり 、周囲を包む暗黒の中から必然的に生れ出たもののように思える 。
金蒔絵は明るい所で一度にぱっとその全体を見るものではなく 、暗い所でいろ 〳 〵の部分がとき 〴 〵少しずつ底光りするのを見るように出来ている
ともし火の穂のゆらめきを映し 、静かな部屋にもおり 〳 〵風のおとずれのあることを教えて 、そゞろに人を瞑想に誘い込む
人はあの冷たく滑かなものを口中にふくむ時 、あたかも室内の暗黒が一箇の甘い塊になって舌の先で融けるのを感じ 、ほんとうはそう旨くない羊羹でも 、味に異様な深みが添わるように思う
美は物体にあるのではなく 、物体と物体との作り出す陰翳のあや 、明暗にあると考える 。



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