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【ひよわな校長の処方箋58】一枚岩は玉砕する

「職員一同、一枚岩となって全力で取り組んでもらいたい」というような言葉をよく聞く。しかし「一枚岩」は割れやすい。一か所亀裂が入ると全体が割れてしまう。
 木目の方向がバラバラな板を張り合わせたべニア板のように、多様な人間が集まってそれぞれの考えを出し合いながら取り組んだほうが割れにくいし、いいアイデアも出る。
 同じように、「一致団結」もよくない。かつての日本軍のように、誰かが間違えたらみんなで玉砕してしまう。
 それぞれが言いたい放題になってしまったらまとまらなくて困るじゃないかと言われるかもしれないが、それは対話の基本を知らないのである。
 みんなが対話の基本を共有していれば大丈夫だ。そんなに難しいことではない。相手が話しているときは「聞く」。この「聞く」をお互いが守るだけである。そして相手が話し終わったら自分の意見を言う。今度は相手が「聞く」番だ。聞きっぱなしはいけないし、言いっぱなしもいけない。お互いが「聞く」を守るというのはそういうことだ。
 そんなに難しいことではないと思うのだが、テレビの中継などでちゃんと聞けない大人が長時間映っていたりすることがあって、本当にあれは教育上よくない。
 とにかく相手が話しているときは「聞く」こと。これをお互いが守ればいいのだ。
 これは校長も同じ。校長が話しているときはもちろんみんな聞くだろう。しかし話し終わったら今度は校長が「聞く」を守る。
 そのとき、何でも言える風土が大切になってくる。いろんな方向の木目が重なっていたほうが丈夫なべニア板になる。間違ったことを言ってもいい。よくまとまっていなくてもいい。気づきは大切にする。
 これは教室と同じだ。教室は間違えるところ。どんな意見も大事にされなくてはならない。学級運営には組織運営のヒントがたくさんある。
 もし、校長が話したあとは発言しにくいという風土があるならば、校長が話したあと、少し近所で対話する時間を取ればよい。「今の話についてどう思われたか話してみてください」これも授業と同じである。
 そして校長自身も自分の考えが絶対であるという幻想を捨てるべきである。自分の考えに自信をもつのはいい。むしろ語るときは自信をもって語るべきである。しかし、それが絶対ではない。
 そうやって対話した結果、校長の思いと違った方向に話がまとまってしまうこともある。しかし子どもの安全・安心が保障されているかぎり、それでいいのだ。
 一枚岩の橋ほど怖いものはない。

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