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【ひよわな校長の処方箋63】もったいない教育

 そもそも学ぶということは贅沢なことなのかもしれない。世の中には生きるのだけで精いっぱいという人もいる。実際、ヤングケアラーのような境遇にいる若者の中には進学をあきらめざるを得ない者もいる。
 日本は教育よりも防衛に多くお金を使っているようだ。学ぶことよりも、生きるのが精いっぱいということなのだろうか。しかし教育は未来を創るが兵器は未来を破壊しているだけのような気がするが。
 そんなわけで、日本ではギリギリの教員数で、一度に大人数の子を教育しなくてはならない。その制限の中で、できるだけ予算を使わない教育を工夫してきた。
 もうずいぶん昔の話になるのだが、自分が勤務した中学校では、新学期を前に、教員が自分の学級の生徒の机をやすりがけするという作業があった。当時は机にペン先で傷をつけて落書きしたり、穴をあけてしまう者がいたので、まず、その傷や穴を木工用パテで埋める。それが乾いてから、電動やすりをかける。この作業がけっこう粉まみれになって大仕事なので生徒にはやらせられない。それが終わったら、水拭きして削り取った木屑をぬぐい取り、またよく乾かす。最後に刷毛でニスを塗って出来上がりである。
 あまりにも傷がひどい机は、新しい天板に変えるのだが、全部替えるほどの予算はないので仕方がない。
 修理した机は、明らかに新品とは違って、パテで埋めた部分がまだらで、ニスを塗っても手ざわりがザラザラする。新入生もこの机を使う。できれば、もう少しましな机を用意してあげたいが、これが精いっぱいだ。
 その学校に勤務した初年度は、予算をちゃんとつけてせめて天板を全部替えてあげるようにできないものかと思ったのだが、生徒がこの机をけっこう大事に使っているのを見て考えが変わった。
 こうして修繕して代々使っているというのが子どもの教育にはいい効果を生んでいるような気がしたのだ。「もったいない教育」とでもいうのだろうか。古いものでも、手直ししながら大事に使う。
 働き方改革を考えると、新品を買った方が効率的だし、生徒も気分がいいだろうが、物を丁寧に使うという気持ちの育成や環境問題などを考えるとこの「もったいない教育」はSDGs向きなのではないだろうか。
 こうして学校ではお金を使わない教育を大切にしてきたのだ。
 今の勤務校では校舎もだいぶ老朽化してきており、下水が詰まったり、雨漏りしたり、修繕に明け暮れている。
学校を挙げての「もったいない教育」は続く。

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