50歳を過ぎたら、のんびりと自然の流れに乗っていきたい。
いつまでも登り続ける人生は果たして、有意義な人生と言えるのだろうか。
当たり前のことだが、私たちは肉体という乗り物に乗ってこの世を生きている。
この乗り物は、あるじきを境に少しづつ弱り始める。
どんなに抗っても、最終的にはそれを食い止めることは出来ない。
しかし、私たちは今を生きるために、少しでも長く社会から必要とされる人間でありたいと思い続けている。
ひとたび社会が引いたレールから外れてしまえば、もう二度と人並みの生活には戻れないという強迫観念から、多くの人々は社会に必要とされる人間としての肉体や健康状態を追い求める。
気がつけば頑張ることこそ、人間の本来のあり方だと、自らにストレスをかけることになる。そのはけ口は、自分に向く人もいれば、他人に向く人もいる。
いったいいつまで、頑張り続けるのでしょう。
まるでゴールの無い長距離走のように走り続けて、リタイアするしか途中退場が許されないみたいだ。
このようなシステムの中で生きていくことが、生き物として本当に自然な状態なのだろうか。
我が家の猫たちを見ていると、生き物としての自然な状態がどのようなものかと随分考えさせられる
彼らは、まるで子供のように無邪気で、年老いた高僧のように叡智に満ちている。
彼らには、人間が考えるような勝ち負けがないのかもしれない。
もちろん、じゃれ合ったり追いかけっこなどで優劣がつくこともあるだろうが、人間のように、相手の人格まで否定するようなマウントのとり方をしている姿は見たことがない。
きっと彼らには、何が何でも相手の優位に立とうとするコンプレックスの裏返しのようなねじ曲がった感情がないのだろう。
私も、50歳を過ぎて、そろそろそのような生き物本来の姿に帰っていきたいと切に願わずにはおれない。
一つの命として、この世の中で、喜びを少しでも感じ味わいながら、ゆっくりと空でも眺めて過ごしたいものだ。
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