健康と文明病 ⑭(狩猟採集から文明へ)

文明誕生とユートピアの喪失

 狩猟採集民は、ホモ・エレクトス以来約 200万年に亘って、構成員が互いに助け合い支え合って平等社会を築いて来ました。しかし、約11700年前の最終氷期の終了と同時に起きた急激な気温上昇の中で始まった農耕の開始、即ち農耕革命・新石器革命とそれに引き続いて起こった文明の誕生は、長く続いて来た狩猟採集民のユートピアを崩壊させる事になります。狩猟採集から農耕への生活様式の転換が、社会の在り方を根本的に変えてしまったのです。

図110)グリーンランド氷床コアから求められた氷床表面の気温変化(赤線、横軸:1000年前)

(出典:ウィキメディア・コモンズ)

 この時の気温変化が如何に劇的だったかは、図110)を見ると良く分かります。最終氷期の最後で、ヤンガードリアス期と呼ばれる急激な寒の戻りが起こりますが、その終わる約11700年前の最後の10年間で気温が8.3℃も急上昇しているのです。こうして最終氷期が終わり完新世に入ると、気候環境が一変して地球全体が温暖化・湿潤化して、森林の増加と草原の減少が起こります。この気候変動の中で、生息環境の縮小に見舞われたマンモス・トナカイなどの大型哺乳類が、次々と絶滅に追い込まれて行ったのです。また完新世の初期には、大陸氷床の融解によって海面が130m以上も急上昇したと言われます。こうした地球環境の激変の中で、人類は狩猟採集生活から定住した農耕牧畜生活に大きく転換して行く事になるのです。

図111)トルコ、ギョベクリ・テペ遺跡(約11500~10000年前)

(出典:ウィキメディア・コモンズ)

 このように、地球環境が激変した直後の完新世初めに作られたのが、約11500年前のトルコのギョベクリ・テペ遺跡です。ここではまだ農耕の跡は発見されていません。しかし、この地域は「肥沃な三日月地帯」として知られるチグリス川・ユーフラテス川の上流域に位置し、近辺はヒトツブコムギなど幾つかの穀物の原産地であり、穀物加工に使われたと思われる砥石や乳鉢・乳棒が発見されている事などから、狩猟採集生活から農耕生活への移行期に作られた遺跡と考えられます。遺跡に並べられたT字型の巨大な石柱は 10~20トン、採石場に残されたものの中には50トンにもなるものも有り、大規模な土木工事を統括した政治的あるいは宗教的指導者の存在を窺わせます。


文明と不平等

 農耕生活では、狩猟採集とは比べ物にならない膨大な労働を、何年にも亘って継続的に土地に投下し続ける必要が有ります。そして、肥沃な農地を持つかどうかで収穫量が大きく変わります。つまり、限られた肥沃な土地の占有が富の源泉となり、土地は農耕民にとって特別な価値を持つ財産となったのです。狩猟採集時代の様に、気軽に他人に与えたり分配出来る様な代物では無くなった訳です。

図112)農耕の起源と広がり<米国東部(4000-3000 BP )、中央メキシコ (5000-4000 BP)、南アメリカ北部 (5000-4000 BP)、サハラ以南のアフリカ ( 5000-4000 BP、正確な位置は不明)、肥沃な三日月地帯 (11000 BP)、揚子江と黄河流域 (9000 BP) 、ニューギニア高地 (9000-6000 BP>

(出典:ウィキメディア・コモンズ)

 こうした土地の私有は貧富の差を生み出し、持つ者と持たざる者との格差を拡大し、農地が特定の階層に集積して行く事になります。農耕の開始によって、「拡大し続ける不平等は完新世の典型的な特徴となった」(『暴力と不平等の人類史』ウォルター・シャイデル 著)のです。また生活の糧である農地と収穫物を敵から守る必要や、灌漑施設などの大規模土木工事の統括や水管理の必要は、政治的指導者の誕生を促したと思われます。

 さらに農業では、日照・降雨量・気温などの気象条件に収穫が大きく左右されます。こうした人間の力ではどうにもならない自然現象への恐れから、収穫を左右する神々への信仰が盛んになり、これがまた宗教的指導者を生む事になったのでしょう。東南アジアでは、寺院や僧院が水管理や農業生産、周辺の村落間の紛争解決に極めて重要な役割を果たしています。僧侶によって労働力や余剰農産物などの再分配が行われ、僧侶は宗教面でも世俗面でも行政官としての役割を果たしていたのです。「僧院はかつても今も灌漑農地をイデオロギー面で支配し、神政主義の景観を生み出していた」(『水と人類の1万年史』ブライアン・フェイガン著)のです。またカンボジアのアンコール・ワットは、1000平方キロメートル以上にわたる水路と堤防・貯水池の広大なネットワークの中心に位置し、水管理と宗教儀式を通じて農業生産を支配していたのです。

 こうして権力は特定の政治的・宗教的指導者に集中して行き、身分の上下が出現し社会を分断して行きます。そして国家が形成されると、「政治的不平等によって経済的不平等が強化・増幅された。農耕時代の大半の間、国家は多くの人々を犠牲にして少数の人々を裕福にした」(『暴力と不平等の人類史』ウォルター・シャイデル 著)のです。

図113)アテネのアクロポリス

(出典:ウィキメディア・コモンズ)

 この特定の社会・特定の階層への富の集積と偏在こそが、文明を誕生させる事になるのです。高度な文化は、富の偏在と集中によって初めて可能になります。富の偏在こそは文明の目立った特徴であり、その本質なのです。また富の集中は、富をめぐる略奪・戦争を引き起こし、戦争捕虜からは奴隷が生まれる事になります。古代ローマのユリウス・カエサルのガリア遠征では、ローマ軍団の後を売春婦と奴隷商人がぞろぞろと付いて歩いたと言われます。ローマの戦争は奴隷狩りでもあった訳です。そして、この遠征によってカエサルは巨万の富を手に入れるのです。古代ギリシア・ローマ文明が、奴隷の犠牲と搾取の上に築き上げられた事は良く知られている通りです。共和政ローマではイタリア半島に数百万の奴隷が入り、大邸宅や作業場・農場で過酷な労働に従事させられたと言います。

図114)ミレトス(西暦 2 ~ 3 世紀) の囚人または奴隷のレリーフ

(出典:ウィキメディア・コモンズ)

 こうして、約200万年間も続いた狩猟採集民の争いの無い平等社会は、農耕牧畜の開始を契機に、貧富の格差・身分制・奴隷・戦争を特徴とする文明社会に取って代わられる事になったのです。戦争が文明の不可分の特徴である事は、ウクライナ戦争によっても明らかです。文明誕生から1万年を経過した現代になっても、ロシアの様な国連安全保障理事会の常任理事国が、領土的野心を露わにして一方的に隣国を侵略し、弱小国を核兵器で恫喝しながら一般市民を標的にミサイルを大量に打ち込むという、荒っぽい侵略戦争を仕掛けている訳です。文明誕生以来、世界に戦争の無い時はほとんど無かったと思えるほど、人類は戦争に狂奔し続けてきたのです。


疫病・戦争による平等化

 戦争と略奪は、益々特定の階層・国家への富の集中を加速して行く一方で、戦争による破壊は富の喪失によって格差が解消するという皮肉な結果も生む事になります。文明は常に貧富の格差を拡大する傾向を持ちますが、人類史の中で富の不平等が劇的に縮小した事件が幾つか有ります。それは疫病と戦争です。ヨーロッパでは、長い歴史の中で不平等の大きなピークを3つ経験しています。ところがこのピークの直後に、疫病と戦争によって急激な不平等の縮小が起こっているのです。

 不平等の最初のピークは、紀元後最初の数世紀のローマ帝国の円熟期です。その後、ローマ帝国の衰退とともに不平等は縮小して行きますが、それを決定的にしたのが6~8世紀に発生したヨーロッパ初の腺ペストの大流行だったのです。

図115)黒死病

(出典:ウィキメディア・コモンズ)

 2回目の不平等の縮小もペストの流行が原因です。 1347年の黒死病の大流行前夜には、ヨーロッパは封建制度下の経済成長でローマ帝国時代以来、久しぶりに不平等が高まっていたのですが、この疫病で一気に不平等が解消してしまったのです。黒死病の流行によって数千万人が死亡し、1400年迄にはヨーロッパの全人口の1/4以上が死亡したと言われます。この劇的な人口減少は労働力不足を発生させ、15世紀半ば迄にはヨーロッパ全域で非熟練都市労働者の実質賃金が約2倍に跳ね上がったのです。また食生活が向上した事で、一般人の身長も高くなっています。 この未曾有の大災害は、不平等を劇的に引き下げたのです。

図116)1942年12月10日、レニングラード包囲戦

(出典:ウィキメディア・コモンズ)

 3回目の不平等縮小は2度の世界大戦です。第1次世界大戦直前には、主要8カ国の上位1%の富のシェアが平均48.5%と集中度のピークに達していました。それが2回の世界大戦後には、平均で17.1%も低下しているのです。特に、超富裕層の富の圧縮が顕著だったと言います。戦時中の徹底的な強制収用と再分配、この期間の数百倍にも上るインフレーションによって、エリート層の富の大半は実質的に一掃されたのです。

 文明の歴史は、経済発展による富の不平等の拡大と、疫病・戦争による劇的な解消を繰り返して来たと言う事も出来ます。「数千年にわたり、文明のおかげで平和裏に平等化が進んだことはなかった」。つまり我々人類は、疫病・戦争といった破壊的・暴力的手段でしか不平等を克服出来なかったのです。

 1980年以降、世界の富の不平等は再び拡大し始め、現在トップ1%の裕福家庭が世界の富の37.8%、トップ10%では75.6%を占有しています。一方、ボトム50%の貧困家庭が所有する富は全体の僅か2%に過ぎません。戦前の日本も、世界で最も不平等な国の1つでした。1938年には上位1%が所得全体の19.9%を手にしていたのです。この富の極端な偏在が国内市場の発達を阻害し、戦前の日本を戦争へと突き動かして行ったのです。お隣の中国や米国を見ても分かる様に、極端な不平等は社会を分断し不安定化させます。

 今日、世界的な不平等の拡大と同時に、世界中で戦争の足音が高まりつつ有ります。ウラジーミル・プーチンのウクライナ侵略戦争によって、世界は一気に戦争モードに突入した様に思えます。人類は、再び世界戦争の惨禍によって、不平等を解消する道に踏み出すのでしょうか。不平等の拡大による社会の分断の中での戦争機運の高まりに、不気味な恐怖を感じるのは私だけでは無いでしょう。

(つづく)

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