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四葉のクローバー

「遠いところ」2023年 日本。

純沖縄県産映画。貧困ゆえに夜の闇に落ちてゆく10代の女の子を描く。

この映画を見て、思い出した。

90年代前半、沖縄コザで10代の僕たちのバンドは少なからずファンみたいな子もいてグルーピーとは言わないけれど、それなりの追っかけがいた。毎週、街のライブハウスだけじゃなく米軍基地の中でも演奏してたし。

ある日のライブの後、いつも通りグダグダで酒飲みながら、俺は追っかけのあの子はいいと思う、俺はあの子が可愛いと思う!みたいな話をしている時。

ドラムのトールちゃんが一言。

「・・・俺、(追っかけの)Aちゃんが気になるんだよね」

えええ!Aちゃんってあの痩せっぽっちの髪まっ金キンで、なんか幸薄そうな娘でしょ〜!15、6歳ぐらいなのにすでにお水のバイトしている娘でしょ〜!なんで〜?

みんなが言う中、トールが語り出す。

「先週、U.S.O.でライブしたじゃん」

U.S.O.というのは嘉手納基地の中にあるライブハウス。基本的には米軍属しか入れないけど当時は基地ゲートの検問も薄く簡単に入ることができ、よくライブしてた。

「ライブの後、U.S.O.の後ろの原っぱで酒盛りしたじゃん、隣のShoppet(基地内のコンビニ)で酒買って」

うん。

「みんな、ビール飲みながら芝生でゴロゴロしてたじゃん。俺もそう。んで、ふと見るとAちゃんがビール瓶片手に芝生の上でハイハイしてんの、赤ちゃんみたいに」

うん。

「気になって、何してんのって聞いたんだよ、俺」

うん。

「そしたらさ、言ったんだ、彼女。『四つ葉のクローバー探している』って」

四つ葉のクローバー?

「うん、四つ葉のクローバー。『さっき、一つ見つけて、これは弟にあげるから次は自分のさがしているんだ!』って」

・・・・。

「それ聞いたと時さ、俺、Aちゃん抱きしめたくなったんだよ。彼女、いつも俺らのライブの後『仕事あるから行くね〜』って帰るじゃん、夜11時くらいから。あれ、どうみても15歳だよな〜!変な子だな〜!って思ってたんだけど。だけど先週、ビール瓶片手に弟と自分のために必死に四葉のクローバー探す彼女みてさ、なんかたまらんくなった。あの後ろ姿が忘れられん」

・・・・。

翌週のライブで僕は歌いながらAちゃんを探したけど、いなかった。ライブ後の道端での酒盛りにも彼女はいなかった。そして次も、その次のライブでも彼女を見つけられなかった。

思えば当時、基地の中でライブする時、少なくとも一人のエスコート(同伴して身元を保証する米軍属)が必要で、そのエスコートについていけば簡単には入れたんだけど、その時、Aちゃんは一緒じゃない。

ライブが始まると何処かからフラ〜っときてライブ後、道飲みに参加して、気がついたらいなくなる感じ。基地の外のライブでもそう。誰かと一緒に来るのではなく、気がついたらいて、気がついたらいなくなってた。

そして、空も白みかける5時ごろ、閉店前のライブハウスのカウンターで俺たちがボロ雑巾のように潰れかけている頃、フラ〜っと入ってきて。「お疲れ〜」って言いながらコーラか何かを飲んで、またフラ〜っといなくなる。

気になって周りの子やバーテンに聞いてみたら、みんな見かけたことあるけど話はした事ないって。外人でしょ?あの子。っていう人もいた。そう言われれば、日本語、ウチナーグチと一緒に英語も喋っていたな。今考えると、あの金髪もヤンキーのそれじゃなく、地毛だった気もする。でも、バイトは飲み屋のホステスだって言ってた。う〜〜ん、わかんない。

結局それ以来、Aちゃんを見ることはなかった。そしてトールの淡い恋も消えたのだけれど。

今もたまに考える。

彼女は日本人だったのか、基地の中の人間だったのか、それともそれ以外だったのか。

沖縄には「ベトナムの落とし子」と言う言葉がある。1960〜1970年代、ベトナム空爆の中継地とされた沖縄に大量に駐留しいた米兵と地元・沖縄の女性の間にできた子供たちのことを指す。往々にして父親である米兵はベトナムに出撃後、2度と帰ってこない。そのまま本国に還ったのか、それとも戦地で命を落としたのか。残された沖縄の女性と「落とし子」たちは何の支援も受けず厳しい暮らしを強いられた。

ベトナム戦争が終わっても沖縄には米軍基地が残り続けた。

1990年代、あの時の沖縄はそんな感じの子が結構いた気がするよ。

彼女が四葉のクローバーを見つけることができたかどうかは、今はもうわかんないだけどさ。



#映画にまつわる思い出

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