見出し画像

人生を振り返って自分のWant toを考える

前回は自分のビジネスゴールについて考えましたが、ゴールはWant toと深くリンクしている必要があります。ゴールとは現状の外であり、今の自分では到底到達できないレベルのものです。その過程では成長痛を伴うため、Have to(しなければならない)レベルでの動機では達成できません。心からやりたいと思う=Want toが根底にあるから頑張って到達できるものになります。そこで、若干順番が前後していますが自分の人生を振り返ってWant toが何なのかについて考えていきたいと思います。

0~6歳:幼稚園・保育園

宮崎県田野町という小さな田舎町で生まれた私は生まれつき心臓病と腎臓病を抱えた病弱な子供でした。心室中隔欠損という左心房と右心房を仕切っている壁に穴が空いていることで静脈血と動脈血が混ざってしまうことで体全体に酸素がうまく回らない症状でした。また、腎臓は片方が萎縮しておりほぼ機能していません。そのため、もう片方が役割を補おうと肥大化している状態でした。心臓に関しては手術をして完治しており、日常生活で問題ない状態になっております。腎臓については元から日常生活に支障が出るレベルではなく、塩分過多にならないように水をしっかり摂取していくことで一生付き合っていくものになります。

5歳のときに両親が離婚したこともあって、心のどこかで人と比較して劣等感を感じることが多かったように思います。そのため、「欠けているものを埋めよう」という欲求が芽生えていたように思いました。

6~12歳:小学校

小学1年生〜5年生までは宮崎の小学校に通い、小学6年生からは母の仕事の都合で福岡の小学校に転校することになりました。小学生時代を通してカードゲームにハマっていました。父方の祖父母が会うと必ずお小遣い1,000円をくれました。その1,000円を使ってカードパックを買いに行き、目当てのカードが出るまで買い続けました。母は父方の家族と関係が良くなかったこともあり、そのことを良く思っていませんでした。そのため、父方の祖父母の家に行くことを禁止されていました。しかし、私は禁止されていたにも関わらずリスクを犯して会いに行き続けました。カードを没収されるリスクを抱えても、自分が理想とするデッキを作りたいという欲が勝っていたのだと思います。

また、ゲームボーイ全盛期でロックマンエグゼシリーズとポケモンにもハマっていました。それぞれ全く違うゲームですが、今思うとハマっていた部分は似ています。ロックマンエグゼにはいくつかボスキャラが登場するのですが、そのボスの行動パターンを記憶してどのように対策すれば勝てるのか考えていました。また、攻撃をするために必要なチップ(武器みたいなもの)をデッキのように構築する必要があるのですが、それを集めることにもハマっていました。ポケモンもジムリーダーを倒すのに必要なポケモンとどれくらい育成すれば勝てるのかという観点でハマっていたので、非常にハマった観点が似ています。ゲームについてもやり過ぎて母から禁止令まで出ていましたが、やめることができませんでした。

このことから私は「自分が理想とする形にコツコツ近づけること」、「目的達成のために必要な要素を分解して対策を考えること」に惹かれていたのだと思いました。

12~15歳:中学

中学では野球部・生徒会・勉強を全て両立させたいと思い、時間を工面して何とか頑張っていました。母からは勉強が疎かになるから野球部には入るなと言われていましたが、成績が学年で10位より下になったら退部するという約束のもと入部することができました。足が速いということが自分のアイデンティティだったこともあり、友達から一緒の部活に入らないかという期待を裏切りたくなかったのだと思います。もう少し抽象化すると困っている人を見捨てないと言えます。

中学時代の印象に残っているエピソードが2つあります。

1つは地球温暖化について取り扱った国語の授業でした。地球温暖化を防止するためにどのようなことを我々は気をつけるべきかというテーマに対して自分の意見を発表するという場で、技術革新が進むので何も対策しなくて良いという発表をしました(笑)
みんなゴミをリサイクルするなど正統派な意見を出す中で、尖った意見を出して授業がざわついたのを覚えています。そこで先生から「どうしてみんなと同じ意見を言わないの?」と言われました。自分は正しい意見を言っていると思っていたので、自分の意見は貫きたいと思い反発しました。

2つ目のエピソードは生徒会のときに担任の先生に言われた言葉でした。
生徒会のメンバーはみんなの規範となるような行動をしなさいと言われました。なぜかその言葉を聞いて「みんなと違うことやってやる!」という動機づけがされてしまいました(笑)
すぐに校則を破った髪型を変えて先生に怒られることになります。

これらのことから私の中で、「自分が正しい・自分らしくありたい」と強く思っていたのだと考えました。

15~18歳:高校

高校受験では第一志望の高校に合格することができず、滑り止めとして受験していた私立の男子校に行くことになりました。各教科の中で数学と英語が非常に得意で、国語が全くできないという状態でした。母からは将来潰しが効くからと理系に進むように言われていましたが、ドラマ「HERO」の影響で法律関係の道に進みたいと考えていました。そのため、母の反対を押し切って文系に進みました。文系に進んだことで国語が全くできないこと苦しめられることになります、、、

「HERO」に影響されていたのは正しいことを貫いている久利生 公平(演 - 木村拓哉)がかっこいいと思ったからでした。また、検事という型にはまらず自分らしくある姿にも憧れていたんだと思います。

大学受験では母に防衛大学校か九州大学を勧められていました。安定した職についてほしい、九州から出ないでほしいという母の願いは叶わず私は関西の大学に進学することになります。第一志望は東京の大学でしたが、合格することができず滑り止めとして受験していた大学に行きました。母からは学費は出さないと言われていましたが、奨学金とバイトで何とかしてみせると伝えて上京しました。

ここでも自分が正しいと思うことを強い意志で貫いていました。このあたりから母は思い通りにならないことを悟り、好きにやりなさいと言ってくれるようになりました。女手一つで育ててくれた母には非常に感謝していますが、期待を裏切り自分の道を進んだことを後悔したことはありません。

18~22歳:大学

大学では経営学を専攻しました。ゼミでは「国際人的資源管理論」を選択して、グローバル企業が抱える組織に関する課題を研究テーマにしました。グローバルという多様な価値観が存在する中で、どのように1つの解を出すのか非常に難しくも奥深いと考えていました。経済学ではなく、経営学を専攻していたのも人という要素を内包している点に惹かれたからでした。

22歳~現在(社会人)

大学卒業後はDXベンチャー→AIベンチャーにて一貫して営業分野で経験を積んできました。1社目は新卒文化でカルチャーが徹底されていました。そのため、画一化された価値観に基づいてマネジメントが強烈に機能する体制だったように思います。(当時は全くそんなことを思っていませんでした)ただ、プロセスを分解して理想の形に近づけていくという思考を高い練度で実践している会社でした。その訓練の場としては非常に楽しく入社してよかったと今でも思っています。

そこから2社目のAIベンチャーに転職することになりました。そこでは自由な価値観が認められ、様々なバックグラウンドの人が一緒に働いていました。1社目で培った強い足腰(ビジネス力)と自由さが相まって高い成果を出すことが出来ました。

私のWant to(本当にやりたいこと・禁止されてもやり続けること)

現状をより良くするために、欠けている部分を要素分解したい
要素分解した上で、それを埋めて完璧な形に近づけたい
自分も周りの人も自分らしく友好な関係である状態をつくりたい

これが私の過去を振り返ったときに抽出されたWant toです。前回の記事で掲げたビジネスゴールもWant toが根底にあることが確認できました。組織における足りていない・課題となっている部分を主体的に解き、自分らしくメンバーがいられる環境を作りたいと思っています。

自分というものがどのように形成されたのかを自分が確認するために書いてみましたが、どこかの誰かが読んで自分のWant toを特定するヒントになると嬉しいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?