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子供時代(1970年頃)の新宿

私は新宿生まれの新宿育ち、山の手ですし両親は東京出身ではないので、江戸っ子というわけにはいきませんが、まあ間違いなく都会っ子なわけです。新宿育ちと言うと特に地方の人には歌舞伎町のような景色で育ったと誤解されがちなんですが、50年くらい昔の新宿はまだまだ都心とは言えず東京というのは丸の内や銀座を指すのだよという立場でした。

アニメではないですが、空き地には土管が並べられていて、長屋のような庭もあるのだか無いのだかわからないような2階建ての戸建てが多く、アパートのような建物こそありましたが、マンションなんかはようやく建ち始めた頃です。まだ路面電車が幅を利かせていて、新宿まで出かけたり幼稚園に通うにも毎日のように乗っていました。

新宿もまだあくまで乗り換えのためのターミナル駅という扱いで、ようやく緑色の私鉄電車ではなくクリーム色の電車が走り始めた頃です。国鉄はもちろん全面が路線の色の電車が活躍していました。デパートも東口には伊勢丹や三越が頑張っていて西口には小田急と京王です。高層ビル群はまだ建設途上で毎年のようにビルが増えていきましたが、まだ空き地が多かった頃です。そして南口はまだバラックの飲み屋が残る戦後の面影を残していました。

こんな新宿も自分の成長に合わせたかのように大きな変化をし続けて、空き地は児童公園になり、地域の商店街はスーパーが出来るとともに八百屋や魚屋と言った専門のお店は陰が薄くなり、千葉から毎週のように来ていた背負い籠に野菜を詰めたおばあさんも来なくなり、トラックで移動販売をしていた八百屋や魚屋も来なくなりました。米屋や酒屋の御用聞きもいつの頃からか電話になり、最後まで出入りしていたのはクリーニング屋かもしれません。

幼稚園の年長の時に近くを走る路面電車は廃止となり、かわりにバスが走り始めました。近くを走る筈だった地下鉄は建設が遅れに遅れ、結局、大人になった頃になってようやく完成しました。お屋敷のような立派なお宅は気がつけばマンションのような建物になり、少しずつ空が小さくなっていきました。

ヘッダ画像は1970年代の新宿をイメージする画像をBingCreatorに作ってもらったのですが、そろそろモノクロではなくてカラーが始まった頃なんだけど。

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