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テレビを知らない子供たち

自分が小さかった頃「戦争を知らない子供たち」という歌が流行りました。確かに両親は戦前生まれで、戦時中は子供だったものの、どんな時代であったかは、いろいろな形で話してくれたものです。

歌ではないけれど、その時代を知っているのが大人で、知らない君たちはいつまでも子供なんだよ、僕らとは違うのだよ。と、聞こえなくもなく、そんな自分ではどうにもならない線を引いてくる大人に反発を感じたような記憶があります。

その意味では、今の殆どの大人たちも、実はみんな子供なんですが、世代間の断絶を感じなくて済むのは幸せかもしれないとは思います。親も子供も多少の変化はありますが、同じように学校に行き、大人になれば同じように働いているわけです。自分と親を比べると制度そのものが違うので、やはり何かと時代の違いを感じていました。

そうは言っても、いろいろと変わってしまったものもあります。自分の親の世代は、子供の頃は家に居ても娯楽と呼べるようなものは少なく、兄弟と遊ぶか本を読むか、せいぜいラジオを聞くくらいで、テレビもテレビゲームもありませんでした。

自分たちが子供の頃には、もう殆どの家にはテレビがありましたし、少し大きくなった頃には自分の部屋でテレビを観るようになっていました。電話も親に遠慮しながらではありましたが、友達と話すこともできましたし、こちらも思春期の頃には自分の部屋に子機を置けるくらいの時代になっていました。

こういったものは親の時代には無かったものなので、共通の体験を持つことは難しく、何かにつけ「今の子供は」と言われたものです。それが今では親子で同じシリーズのテレビ番組を楽しんだりしているわけです。親が見ていた番組そのものがDVDになっていたり、配信されているものもあり、一緒に楽しむことすらできます。もっともデジタル化されている映像を観ていると、あまりにもキレイで、当時はこんな精細なものではなくて、少し色がズレていたり時々斜めに傾いたような少し丸い画面を一生懸命に覗き込んでいたんだけどね。とは思うのですが、こういうのは今の子達には伝わりません。

とはいえ、自分の子供時代にはなかったネットやスマホについては、子供たちがちょっと羨ましく思うこともあります。たまたま自分がその発展に関わるようなお仕事をしてきたこともあり、家にはだいたいにおいて最先端の環境が揃っていました。ですから子供たちにとっては当たり前の道具であると思ったようで、すっかり使いこなし、友達に教えるだけに留まらず先生にまで教える羽目になったと文句を言われたこともあります。お陰で我が家では断絶するどころか会話のきっかけになるくらいです。親子で次のスマホをどうしようかと楽しんでいます。

さらに時代が進んで、今の子供たちは最初からデジタル・ネイティブなので、どうして大人たちはアナログな方法をするんだろうと思われているようです。自分たちにとって当たり前なことが、どうしてできないのか理解できないみたいです。

ハッキリしているのは、ネットの普及によって「知っている」ことの価値がほとんど無くなってしまったことです。大事なことは「知るための方法」であり、必要な時に結果が得られれば、記憶しておくだけ無駄なわけです。もちろん人間の脳みそは常にロジカルな思考をして物事を判断しているのではなく、経験によってあまり考えることもなく瞬時に行動することが多いので、そのための経験を積む必要が有ることに違いはありません。ただその経験の種類が変わってしまったようだとは感じています。「知るための方法」を実践する経験が必要になっているのです。

時代は一周して、少なくとも放送されているテレビ番組をタイムテーブルに合わせて視聴するなんていうことは、あまりしなくなり、家族でテレビを観るという行為も珍しくなるかもしれません。ディスプレイは残るかもしれませんが、もうテレビは観ないという世の中がやってきても不思議ではありません。

ヘッダ画像は、いらすとや より
https://www.irasutoya.com/2013/09/blog-post_2602.html


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