自分の心が体が、魂レベルで求めていることを”与えて”あげよう。
どうも、相馬一斗(@soma_kazuto)です。
いま白金台のシェアハウスに住んでいるのですが、最近は他の住民のみなさんからも人生相談を受けることが増えてきました。
仕事柄、普段から人生相談を多く受けているのですが。やはり、一番深刻だと思うのは「自分は、本当は何がしたいのかわからない」という状態になってしまっていることだと感じていて。
そんなこと、感じるままにつらつらと書いていきます。
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さて。
突然ですが、最近クライアント案件でシングルマザーのママさんとお話しする機会がありました。そのママさんは、2歳のお子さんと暮らしており、僕も数日間一緒にその子と暮らしていたわけです。
いやぁ、すごいすね。
率直に感じたのは、「2歳3歳の子供の素直さ半端ねぇ、、!!」ってこと。おもちゃ箱あさって粘土出してきたかと思ったら、今度はシルバニアファミリィの家を出してきておままごと。
そして、有無を言わせず僕はどんどん遊びに巻き込まれていく。笑
気がつけば部屋中おもちゃだらけで、遊び疲れたその子は眠りだす。
んぅ~、すぎょい。。
もうね、”生き方の鏡”だなと。
密かに、僕にとって大きな学びになっていた。
と同時に「この子に片付けすることを無理強いせず、強要せず。そのまま成長したら、いったいどんな大人になるんだろう..??」とふと興味が湧いていた。
別に何でもかんでも片付けせず、興味の赴くままに次々と手をつけ遊び続ける。そして、周りの人が次々にその遊びに巻き込まれていく。
なんだか、仕事と遊びを超越した、現代の働き方に近いものを感じた。
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ちょっと話を戻す。
何が言いたかったか。
誰でも幼少期はみな素直で「自分のやりたいことが~~~」とかそんなこと頭で考えず、感覚的にやってしまっていたんだ。
でも、社会に出て大多数の人は会社員になり、自分で意思決定する機会がめっきり減ってしまう。そして、気づけば自分の人生の手綱さえも会社に受け渡してしまう。
こんな感じかな?↓
確かに、自分らしく生きたいと願ってる。
でも内心、「今後の人生をどういきたいか?」考えずとも、やることはあるし、やりがいはある。最低限のお金はもらえるし、娯楽もできるし。ある意味充実してるといえる。うん、悪くはない。そう、悪くはない。
でも、違和感がないかといえば嘘になる。。
「本当にこのままでいいのかな..?」とかふとした瞬間に考えてしまう。
だからといってどうしようもないから、、「でも今は..」「もう少し..」とか。そんな言葉でジブンを押し殺し、また朝が来る。
でも、本当は違うんだ。
どれだけ時を経ようとも、無垢な子供のように、生きられる。
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最近、こんなことを思う。
『人間は、まるで果実を実らせる樹のようだ。』
この身体を『樹』とするなら、人生が『実』、行動が『水』だろうか。
端的にいうなら、自分が魂レベルで求めていることを、きちんと行動として表す(与えてあげる)ことができれば、より早く、より大きく。そして美味しい果実となる。
しかし、そこまで望んでいないことをいつまでもしていては、一向に成熟されない感じ。どう表現したら良いだろう。
例えるなら、そう。
本当は内心行きたくもない会社の飲み会。ならば断るか早々に帰り、本屋で一目惚れし、いつか読みたいと購入していた本を読んでみたり。
夢見たアメリカ移住に向けて、英語の学習をしてみたり。とか。
人によって様々あるだろうけど。それを素直に行動に移してあげる。
言ってしまえば、どうしようか『悩む』というのも一つの選択だと思う。
まだ、自分の中で腹落ちしていなくて『考えたい』のであれば、別に考えても大丈夫なんだ。
人々の中には、悩むことや考えることを否定したりする人もいる。でも、それも一つの熟成的行為だと思うしね。
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今日も感じるままにつらつらと書いてしまった。
伝えたいこと。
要は、頭で云々考えて合理的に行動することも時には重要だけど。
意図せず、ついつい勝手に体が動いてしまう行動を大切にしてあげようね、という話でした。
※あとで追記していこっと。
きょうも、きょうとて一休み。
以上
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