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「友達」と呼ぶのが、少し怖い

友達が多いよね、と最近人に言われたことがある。

多分、SNSで友達と一緒に居る様子を載せているとかそんな理由だろう。(たまに自分で飲み会やイベントなどしてます)

「友達」

「友達」とはなんだろう。

自分を振り返ってみるに、「友達」が多い人生ではなかったと記憶している。

決して、「友達」がいなかったわけではないが、学生時代からクラスの中心にいるようなタイプではなかったし、人見知りなのですぐに人と打ち解けるのはなかなかにハードルが高い。

ただ、中学高校などを思い出すと、休日や放課後に学校外などで「友達」と遊んだ記憶があまりない。

普段、学校の中ではつるんでいたり、下校などを一緒にする「友達」はいたが、ゲーセンに行く、カラオケに行く、映画に行くなどのイベントはあまりなかった。

みんながみんな行っていなかったとかそんなわけではなく、そういうイベントをしている連中もいたのだろう。

中学時代に花火大会におばあちゃんと行っていたら、同級生がつるんでいるのを見かけたこともあるし、(思春期なのでめちゃくちゃ恥ずかしかった。今は何も思わない。おばあちゃん大好き)

地元の大学の学園祭の日に母親の運転する車に乗っていたら、学園祭に遊びに行くであろうクラスメイトの一団を見かけたこともある。

特に、いじめられたりとか、ハブられていたわけではないのだが、そういったイベントに行く際には声をかけられなかった。ただ、それだけ。

ただ、それだけだけど、その時のなんとも言えない寂しさや悲しさは今も胸の奥に残っている。

スクールカーストよろしく、「友達」の中にも一軍、二軍みたいなのがあって、僕は一軍ではなかったんだ。もしくは、僕は「友達」と思っていたけど、相手は「友達」とは思っていなかったのかもしれない。

そんなことを考えていた。

そんな経験があったからか、今でも時折「友達」について考えてしまう。

「友達」になるのに、条件も理由もいらない。

もちろん、人によっては

「飲みに行ったら友達」

「恋愛話をしたら友達」

みたいな価値観があるかもしれないが、一般的にこれをしたから「友達」になるというものはない。

一度会っただけで、すぐに仲良くなる人もいるし。

何度会ってもどうにも話がかみ合わず、なかなか距離が縮まらない人もいる。

顔も名前もわかるけど、「いいね」すらしたことも、されたこともないFacebookの「友達」

顔も名前もわからないけど、共通雨の話題で死ぬほど盛り上がれるTwitterの「友達」

何を以って友達というのが正解かはわからないけど、

僕は誰かに紹介する時に「友達」と紹介したい人は「友達」だと思っている。

紹介する時に「友達」以外の代名詞を使うのは簡単だ

「知り合い」

「地元の人」

「学校が同じ」

「イベントで会った人」

でも僕は仲良くしたい、仲良くなりたいと思ったら「友達」と紹介したい。

相手がどう思っているかはわからない。

もしかして、相手は僕のことを「友達」だとは思っていないかもしれない。

だから誰かを「友達」と紹介する時、いつも少し怖い。

心の中で不安を抱えながら言っている。

だけど、「知り合い」と言ってしまったらそこに距離が生まれる気がして、相手が少しでも自分のことを「友達」だと思ってくれているとしたら嬉しいので勇気を出して言っている。

思春期にモテなかった人はその後の人生でいくらモテたとしても、モテなかったというコンプレックスが一生残るそうだ。

僕が「友達」と呼ぶことが少し怖いのも同じかもしれない。

それでも、「友達」と呼ばなかった時より

「友達」と呼んだ時に生まれるものの方が素晴らしいと思っているから心を少し奮わせて言う。

「友達」と。

誰でもかれでも「友達」になりたいとは思わないし、

少し有名な人と飲み会とかイベントで同席したくらいで

「〇〇って知ってる?あれ俺の友達」などとのたまう奴には死んでもなりたくないと常々心がけている。

ただ、好きなものが同じ人や、言動が面白い、素敵だと思った人とは仲良くなりたいだけだ。

「友達」の数を増やしたりすることを目指すのは違う気がするけど、結果的に素敵な「友達」が増えるのは素晴らしいことだ。

あなたにとって「友達」ってなんですか?

よかったらぜひ教えてください。


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