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巻き込んで、巻き込まれること

昨年から2つのコミュニティに所属しています。
(本当はもっといっぱいあるんだけど、数多くなりすぎるとわかりづらくなるので抜粋して2つだけ。それ以外も全部好きです)

1つは銭湯再興プロジェクト。
これはいわゆるオンラインサロンで、銭湯の価値を再定義し、新たな文化を作ることをコンセプトに現在70名近いメンバーが高円寺の銭湯・小杉湯をベースにイベントしたりなど活動しています。

最近、銭湯再興PJのメンバーで銭湯イラストレーターの塩谷さんの本「銭湯図解」が発売されたから気になる人は買ってね!

もう1つはヒミツキチ森学園。2020年に神奈川県の逗子に、子供が自分で考え、自由に学ぶことのできるイエナプラン教育の考えをベースに"生きる力を育てる"学校を作るために170名近いメンバーが動いています。

現在、DIYして校舎に使うための空き家を探しているので、良い物件をご存知の方がいたら教えてください。(逗子駅からほど近い100平米/30坪の、月30万くらいの物件だと最高です)

この2つに入った理由は、端的にいうなら「なんとなく楽しそう」だったからだ。

もうちょっと詳しく言えば、銭湯再興PJは発足される半年前位に当時通っていた映像制作のワークショップの課題として、自由に5分程度のドキュメンタリーを作るという課題があり、その題材としてイベントでその存在を知った小杉湯を取材させていただいたことがあったり、ヒミツキチは友人が参加したのをSNSで知って興味を持ったからでした。

もちろん、元々銭湯や温泉が好きでちょくちょく行っていたりしたし、教育に関してももっとこうなれば良いのではないか、という考えは元々あった上での参加だった。

ただ、それでも
銭湯が好きとは言え、自分で銭湯を経営したいとかいう夢があるわけではないし、
銭湯の価値が再定義され、もっと身近になれば良いとは思っても、自ら何か声を上げようとはしなかったと思うし、
自分が先生になりたいとは思ったことないし、ましてや学校を作りたいとは思わなかっただろう。

プロジェクトの理念には共感しても、それを自ら興すことはなかったと思う。

そして、いざ参加してみると、僕以外のメンバーには例えば、デザイナーとかフォトグラファーとか現職の先生とかスキルや経験があり、明確に貢献できる分野を持っている人たちがたくさんいた。
かたや、僕には特に何もない。
差し出せるものがない。

そもそも、みんなが自由意志で参加しているので、何かをお願いされることはあっても、強制されたり義務として何かを要求されることはない。何かをやるもやらないも自由だ。
(銭湯再興PJに関しては、オンラインサロンという形態をとっているため、会費は毎月払っているが、それはどちらかというとメンバー全員の為の活動資金に近い)

参加した当初は、何をして良いかわからなくて正直ちょっと戸惑っていた。
僕よりも何倍もすごい人が、発足したばかりとは思えないくらいのスピードやクオリティで様々なプロジェクトやイベントをまわしていた。
(銭湯再興PJもヒミツキチも2018年の春頃に立ち上がった)

そんな中で、僕にできることといえばメンバーを募集していたプロジェクトに参加して、やれること(例えば、イベント当日のスタッフや事前の準備を手伝うなど)をするだけだ。

ただ、そんなことを繰り返したり、思ったことを言ったりして1年くらいがたち、前よりも相談されたりお願いされることが増えたのではないかと思う。
そして、自分で自発的に何かをしなくても、誰かのやりたいことに巻き込まれて、厳密に言えば巻き込まれにいって、自分が楽しめれば良いのではないか、というスタンスになってから参加することが何倍も楽しくなった。

また、チャレンジすること、一歩踏み出すこと、は誰かを巻き込むこと(自分から何かを新しく始めること)だけではないのではないかと思うようになった。

僕の友人がチャレンジに関して話していてとても面白いと思った話がある。
回転寿司屋さんに言って、食べたいマグロが回っていなかった時に、マグロを職人さんに頼むこともチャレンジだと彼はいう。
チャレンジと捉えるハードルは限りなく下げてもよいと彼は言っていた。
そして、マグロが頼めればエビだって頼める、それ以外のネタも頼めるだろう。

チャレンジすることは、あまりにハードルが高いことのように捉えられているのでは、と僕も思う。
例えば、起業、フリーランスになる、移住する etc。

それらは勿論チャレンジだとは思うけど、それだけがチャレンジではないのではないだろうか。
ほんのすこしの行動や意思で自分が望むもの、好ましいと思うものを手に入れたり、実現できるかもしれない為の行動は全てチャレンジなのではないかと思う。

ただあまりにも、自分で何かを生み出し、声を上げ、巻き込んでいくことだけがチャレンジとして捉えられているようでならない。

スキルや経験には差異があるし、誰もがすぐに巻き込む側になることはできない。
今すぐインフルエンサーやブランド人にはなれないし、なる方法もない。

だが、手を挙げ、自らの意思を表明し、巻き込まれる、巻き込まれにいくことはできるのではないだろうか。

マグロの寿司を食べたいと思った時に、自分で寿司を握ることは今すぐできなくても、マグロの寿司を注文することは出来るのではないだろうか。

そして、大事なのは、自ら巻き込まれにいくことだ。
貴方が巻き込まれたい、巻き込んで欲しいという、人なり、会社なり、プロジェクトがあっても向こうは貴方のことをほとんどの場合認識していないので声がかかることなんてまずない。

マグロが食べたいと思ってる時に、職人さんのほうから「今日いいマグロ入ってるんで召し上がりませんか?」なんて都合よく言われることはそうそうないだろう。
だったらどう考えても注文したほうがよい。

そして、巻き込まれて、巻き込まれていくことを重ねていくうちに繋がりや経験が出来て、いつか巻き込む側になることができるかもしれない。

僕自身のことでいえば、銭湯再興PJも、ヒミツキチも、自分で同様の内容のコミュニティやプロジェクトを立ち上げることは出来なかっただろうけど、参加することは出来た。
そして、参加して様々なことに巻き込まれて、巻き込まれにいっている内に、やりたいことの解像度が上がってきた。
みんなと何かをやりたいと更に強く思った。
そして、自分が何かをはじめなくても、おもしろいと思えることを始めてくれるメンバーがたくさんいるからそこに乗っかればよいのだ。

巻き込むこともチャレンジだが、巻き込まれることもチャレンジだ。

この記事が参加している #週1note と言う企画も「なんか面白そう」なので巻き込まれに行ってみた。そして参加してみると、書くことも他のメンバーの記事を読むのも楽しい。でもきっと自分でこの企画はやらなかっただろう。

偉そうにいうのも恐縮なのだが、一歩踏み出せない、チャレンジできないと悩んでいる人がいたら、(自分とって比較的ハードルが低い)何かに巻き込まれにいってみてはどうだろうか。

それはもしかしたら貴方の人生を変えるくらい刺激的な出来事になるかもしれない。

さあ、巻き込まれに行こう。


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