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「子供嫌い文化」のアメリカが紡ぐ下手くそな継承物語【映画「トップガン マーヴェリック」】

トップガンマーベリックをアマプラで観た。

相変わらずのスタントなしのアクションやマニアのツボを突くような戦闘機やバイクの撮影は一作目当時にリスペクトしか感じられない作品で、ただただ面白かった感想は同じだった。

今作はそれから30年後のマーヴェリックが教官となり英雄となった彼が下の世代に教育していく設定になっていく。日本で言えば師弟関係、継承の話である。

作品全体の展開だけで見ればそこまで深みが感じられた人は少なかったようで、むしろその薄さが面白さを出しているとほめている人もいた。

確かにアメリカの映画にはそういった師弟関係の考えや修業期間が描かれることが少ないと言われる。

ただ個人的には全くそうではなくむしろこのトップガンは無意識的にアメリカ独自の歴史的な物語性や文化がよく詰め込まれている作品と思えるのでその辺を書いていきたい。

あらすじ
海軍パイロットのトップとして30年以上軍務に服してきたピート・“マーヴェリック”・ミッチェル(トム・クルーズ)は、今もなお勇敢なテストパイロットとして限界に挑み続けている。しかしエリート卒業生グループを訓練するために“トップガン”に戻ったマーヴェリックは、過去の亡霊と向き合うことを強いられ、元パートナーである“グース”の息子ブラッドショー大尉(マイルズ・テーラー)と対峙することに。そして選ばれたパイロットたちが究極の犠牲を求められる特殊任務に挑む時、激しい対立が起こる。

日本ではありえない軍人視点のカリスマ映画

戦闘中もCGを使わない現代でも常識外れなアクションやトム・クルーズのカリスマ性やファッション、マニアが喜ぶ戦闘機、バイク、車の撮影法やそのセンスなど映像的な視点だけで見ても男心をくすぐる要素はとにかく詰め込まれている。

自分はこの映画に関しては全く世代では無かったためイマイチ1作目公開当時の熱狂ぶりに肌感覚は分からないが、映画をあまり見ない自分の父親でもバイブルのような感覚で続編も観に行っていたので個人としてはそれだけでこの作品の持つ影響力と言うのは感じられる。

好きな人には申し訳ないが正直この作品シリーズに関して何か深い物語性を感じられるかと言えば戦闘機にでも興味も無ければ全くもって薄い。

大戦後の戦闘機で訓練する陸軍兵士を主人公にして国の英雄のような物語として見せていく映画。

日本でもし自衛隊員を主人公にしてその一人をカリスマとして英雄視していく物語を作るかと考えれば考えられない話で子供は喜ぶかもしれないが大人からは非難轟々だろう。

それでもこれだけそういう映画が日本でウケてるのは個人的には不思議で面白いのである。


アメリカ人がこの映画に熱狂するのも制作するのも分かる。アメリカはそもそも「起源が黄金」という思念の元で歴史が動いているし、それを国の「物語性」に最も昇華してきた国でもあるから。

アメリカは建国からそして今までもずっと「理想の国」で既にあるからこれ以上どう良くするかより、「どう悪くならないか」の下で制度化設計されていると言われている。

これは他国の人間から見れば中々考えづらい建国設計で日本人として見ても定着はしない発想でもある。

だからアメリカが作る映画は現実に置いてのもしもの「最悪の想定」を盛り込んだ物語性が多いのだと思える。

SFやアクション映画を観ても、基本的に性善説よりも性悪説を人物や物語性に組み込んで「人間の愚かさ」から勘定に入れていくドライな視点は、アメリカ独自のイデオロギーからしみ込んでいるのだろうと思える。

ただ不思議なのは自国の歴史を描くうえでもドキュメントという形式より「物語化」にこだわる作品が多く、こと軍人を描くうえでは野心的で自己中心的な人物ほど「負の勘定」には入れずに英雄的に描くことが多いということ。

日本はもちろん世界の歴史映画を見ても逆のテイストで描かれる。

ここの違いは個人的にはやはり敗戦国とそうではなかった国の違いが大きく出てるのではないのかなとも思う。

アメリカは隣国が周りになく「戦争のない国」とも言い表された。それだけ戦争や財政に脅かされる機会が少なく「栄光的な軍事の野心」を恐れる必要もないのだと。

歴史を振り返ってもワシントンから続く国民が選ぶ大統領は常に軍功のあるものが選ばれてきた。

他国との軍事の歴史を辿っても自国の被害を最小限にするために時に非人道的なやり方で同盟にしていく成功体験を常に収めてきた。

そういう意味でもアジアやヨーロッパで負の歴史と語られる軍事の野心はアメリカにとっては逆で、愚かな勘定には入らず、

普通の軍人でさえも栄光的に描かれることが多く国民は熱狂していたのだろうと思える。

そして日本人がそこに熱狂してしまうのはやはり一つの理想国家の具現とカリスマの形としての潜在的な憧れなのかもしれないと思えるのである。

むしろ日本では戦ってきた世代の大人たちが「二度と同じ過ちは起こさないでくれ」と純粋無垢な子供の魂を大きな武器(ロボット)に閉じ込めて、愚かな勘定を許さない暗い話にしかならないから。


「子供嫌い文化」がチラつく下手くそな継承物語

ようやく本作についての話になるが、今作はマーヴェリックが教官になりトップガンの新たな訓練生を教育していく話になる。

教育的な視点を期待しても話自体は薄く、CGなしの訓練の映像や過去にトップガンがしていた内容を懐かしんでいくシーンが続いていくことが多い。

ただ本題のテーマとしてその訓練生にグースの息子がおり、過去に自分のせいで亡くなった父のことで彼と上手く向き合えないことが軸になっていく。

最後はグースの息子もマーヴェリックの思想を継承して互いに信頼関係を築きハッピーエンドで終わるのだが、個人的には終始二人の話が「子供嫌い文化」のアメリカの物語性が出ており日本人が見てもぎこちないまま終わったように感じた。

まず面白かったのはマーヴェリックはグースの息子がパイロットになろうとしていたことを教官になる数年前から知っており、彼の卒業を常に邪魔していたということ。

マーヴェリックは母親も亡くしたグースの息子をそれだけ気にかけており「親父の代わりになろうとしていた」と神妙な雰囲気づくりをして恋人に打ち明けるのだが、親子関係の構築の意志としてはかなりシビアなところが見えた。

日本人では数年にわたるこれだけの子供の将来への介入は考えられない。むしろ逆で相違が交わらなければ大体は突き放すことで厳しさを教えていくのが自然だろう。

それだけ日本は子供を甘やかすし、子供を大切にすることを自然に教育させられる。

ただアメリカやヨーロッパから見ればそうではなく親は子供を平気で「邪魔扱い」している文化で、宗教観から罰や神の子どもという概念が生まれてその倫理を制限させた歴史もある。

子供が出てくるアメリカの映画を見ても悪ガキが常に大人の邪魔や翻弄するように描かれるのは確かに多い。ホームアローン、チャーリーとチョコレート工場もその代表だろう。

最近のホラー映画の「ミーガン」も結局は子供の邪悪な魂がAIのアルゴリズムに入って具現化された形が大人にとってのホラーとして昇華されたような作品だった。

常に子供を嫌っている向こうの文化は大人にとって、また親にとっても時に邪魔もの扱いをしているし愛さなければいけない母性の考えも拒絶している団体もいる。親子で権利を奪い合うために裁判で戦うなんてニュースもあるぐらいに。

今回のマーヴェリックの介入もある意味その「面倒くささ」を感じている子供嫌い文化から見える独特なアメリカの親子関係の話に思えた。端的に言えばグースの息子は自分の日常を脅かす「邪魔な存在」でもあったかもしれないと。

だからアイスマンはマーヴェリックに「過去は水に流せ」と言ったのだろう。グースの死から立ち直れという話ではなくて、「グースの息子の存在を受け入れてみなさい」という話であり彼の派遣だったのかなと。

ただその後のクライマックスに二人が共闘しても全く継承の話としては入ってこないのが私が思う「この手の話はアメリカへたくそだな」と思ったところだった。

結局マーヴェリックとグースの息子はP-51を見つけ最後帰還していくのだが、操縦権は最後までマーヴェリックなのである。

それまで彼の哲学である「考えるのではなく感じろ」という思想だけはグース息子に背中を見せて継承して助けに来たのに、それを師匠の前で体現する絶好のクライマックスでは全く譲らないのはめちゃくちゃ違和感あった。

この辺もドライな物語性のところが見える。そもそもそれまでも彼の技術には信頼していないという理由で修行機会を減らしているところもあったのが見事に繋がっている気がした。

マーヴェリックの姿を見ていると最後まで「継承ではなく共存」のために頑張ってたように見えた。

マーヴェリックの活躍を見に来ている人がほとんどだっただろうし、こんなところ気にしている人も少ないのだろうが、

個人的にはこういう地続きで復活した作品こそ師から弟子への教育や継承の視点を期待する部分の方が大きい。

これも日本人的な発想でそもそも物語において修行過程をすっ飛ばす傾向にあるむこうの映画ではやはり最後まで独自性が見える作品だった。

ドンピシャ世代ではない人間が見たトップガンの感想でした。








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