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僕たちは生きている意味を最大化したいだけなのかもしれない

たぶん、80年以内に僕は死ぬ。クリスチャンなので死後にエターニティ があると信じているけれど、それでも死後の世界を考えたとき、今生きているこの世界で何が出来るのか、生きている意味って何なのか考えてしまう。

今の時代、マズローの欲求五段階でいう、物質的欲求(生理的・安全の欲求)はかなり満たされていて、精神的欲求(愛・承認・自己実現の欲求)を僕たちは追い求めるようになっている。

戦争があった頃は安全の欲求が満たされないまま、みんなそれを手に入れるためにお金を稼いで家を買ったりすることによって物質的欲求(安全の欲求)を満たしてきたと思う。けど、僕たちは60年前と比べて平和な世界で生きているし、これからAIやベーシックインカムが導入されるにつれて、最低限の生活はこれらによって保証されるから、物理的な欲求が常に満たされてる状態になると思う。

精神的にいかに満たされるかが重要で、誰から愛されたいとか、認められたいのかとか色々と、人生に意味を見つけて生きて行くことによりフォーカスを当てて生きて行くことになると思う。そして、それを続けて行くと、自分の人生の意味を最大化することによってより高度な幸福を追い求めて行く段階に入っていくのかなあと思う。

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堅い話はこれくらいにします笑

数年前人生の意味なんて持っていなかった僕が、持てるようになって、今はそれを最大化させようと思っているエピソードがあります。

僕は大学受験に失敗して、(この話1億回くらいした)生きている意味を完全に失ったことがあります。勉強が世界の全てくらいに思っていたのに、そこでさえも自分の人生を否定された感じがして、行きたく無い大学に入った頃には全てを失いました。このまま適当に大学終わらせて、そのうち働いて適当に死んで行くのかもしれないとか思ってました。

たぶんだけど、僕と同じような中間レベルの学生にとって、こういう状況に陥った経験って結構あるんじゃ無いかなあ。

その状況ってめちゃくちゃ辛くて、友達と集まってお酒飲んで誤魔化そうとしたり、適当にサークル入って遊んだり、彼女作っても結局は誤魔化しきれなかったです。自分が辛いことを言い訳にして、他の人を傷つけたりもしました。本当にごめんない。

時折、一人で寝ているときに将来の不安みたいなのが一気に襲ってきて、眠れないし、てか俺、なんで今こんな生活送ってるんだろうって状況を言語化できないまま悶えてました。

「生きている意味ってなんなだろう...」っていう疑問はすでに心の中に湧いてきてはいるんだけど、なんか頭悪いことを言い訳にして「わからんからいいや」って誤魔化して生きていました。

その状況から脱却するために、何か始めて人生の意味を見つけようかなあと思っても、出来ない理由だけを考えてしまって、結局ほとんどがやらず仕舞いでした笑

けど、たまたま運が良くて、中国に行くことができて広い視野を得て、人生の意味を見つめ直すきっかけがあったから、この人生の意味がわからない状況を抜け出すことができたと思います。

そこで自分を振り返ることができて、在日朝鮮人として生まれたこと・いじめ・幼少期の体験・インターンシップ・海外生活・多くの人に助けられてここまで生きてこれた事実をやっと見つめることができました。これらの幅広い経験と事実を言葉に起こして認識することができて、やっと僕は人生の意味みたいなのを見つけることができました。

今、僕が書いたような状況にいる人も、海外に行くだけじゃなくてもいいから、まず何かを始めることでいつかは必ず道が開ける時が来ると思います。

道が開けるまで本当に大変で、真っ暗でどっちに進んでいいかわからない時もあるけれど、自分を信じてポジティブに思考を重ねれば、いつかは道が開けると思います。

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こっからが一番言いたいことです笑

自分の過去・今したいこと・今していることから人生に意味を見出したあとは、その意味をどうやって最大化できるかというプロセスに入ってくると思います。

例えばスポーツ選手なら、「今やってるスポーツで世界一を取って、若い世代に勇気を与えて自分が感じているスポーツの喜びを伝えよう」とか、

経営者だったら「自分が苦しんだことで、苦しむ人を少なくすることによって、世界が幸せになるようなことをしよう」とか。

こんな感じで意味をある程度見つけられた人は、自分が選んだ分野・世界観の中で、自分の幸せの基準と上手く照らし合わせて、目指せる最大級の意味を探してしまう本能があると思っています。

「生きる」って結構そういうもので、誰より成績がいいとか、誰よりすごいとか、誰よりお金稼いでるかって本質的にあまり意味のないことなんじゃないかなぁと思います。


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番外編:やりたいことが見つかってない人へ

上に書いたことは、あえて今の社会の言葉を使っていうなら、既にやりたいことが見つかった、強い人に向けた言葉かもしれません。

言いたいのは、やりたいことが見つかってない人が悪いってことでは全くないので安心してね!ってこと。てか、そもそも、その人が悪いとか、社会が悪いとかっていう話ではなくて、たまたま君たちは機会を逃してしまっていただけなんですよね。なので、君は悪くない。

20,30,40,50歳になってやりたいことが変わって、脱サラしてカフェ始める人だっているし、別に比べるわけではないけれど色んな人がいて、それでいいんだよね。見つけるのが早かったから偉いってわけでもない。

これからどうやって人生に意味を探していくか、それが結構重要なんだと思う。

君のペースでいい、ゆっくりでいい。

ただ、常にポジティブな思考で素直に考え続けられるかどうかが、やりたいことを発見する機会を最大化してくれると僕は思う。

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