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[短編小説] オレノ、ココロハ、ドコダ。~宍道湖 

 晴雨の雨垂れの音と、テレビから流れる事件のニュース。県警宿舎の東端の部屋で、亮はコンビニエンスストアのミックスサンドウィッチを頬張りつつ、眠い目を擦りながら荷造りをする。
 「そういう話じゃないんだよな…」
 そう呟くとテレビを消し、ゴミ袋と古惚けたチェスナットブラウンの革鞄を持って、鍵を閉めた。

 水鳥が水面に漂う湖畔の公園の薮中で、一体の焼死体が発見された。
 重大犯罪の急激な増加に伴い、全国の重要事件を警察庁の特別班が捜査協力する時代となった。亮はこの事件の担当として、東京から現場へ直行した。
 
 「筒井警部補、お疲れ様です。私、島根県警の江角真璃子と申します」
 「あぁ、よろしく…」
 気のない返事は亮のいつもの態度だ。そんな亮でも、真璃子がプライドの高い女であることはすぐに気が付いた。
 「被害者の身元が判明しました。埼玉県川口市在住の金築巌、55歳男性。ジャンパーのポケットから免許証を発見し、本人であると確認しました」

 仏の周りの藪は、穏やかな湖と対比し無残に燃え尽くしている。灯油の燃えた臭いがまだ周囲に漂っている。
 「埼玉の人間が、何故ここで…」
 「本籍地は島根県松江市とありました。金築という苗字は、島根県では比較的よくある名前なんです」
 「そうか…」

 冬の凍える湖上に浮かぶしじみ漁の船を眩しく見つめながら、亮はこの湖に謎を解く鍵があると感じた。
 被害者は30代位まで松江に在住していたこと。地元の女性と結婚したが、死に別れたことを契機にこの地を離れたという。彼の実家、妻の実家の住所は調査済みという。

 「私は県警に戻った後聞き込みを再開致しますが、警部補はいかがなされますか?」
 「あぁ、俺は被害者の妻の実家周辺に直接行って調べてくる」
 「本部での会議はどうされますか?」
 長い会議は何かと面倒だ。
 亮は軽のパトカーの前で茫然と立ち尽くす真璃子を背に、サイレンを鳴らし始め湖面に波紋を描きながら、南東の対岸に向けスカイジェットを飛ばした。

 東に向かうにつれ急に風が強くなり、浅い湖は高波を打ち始めた。
 コハクチョウも強風に煽られながら両羽でうまくバランスを取りながら、群れを崩さずホバーリングする。

 この風のせいなのか、湿気の多い山陰の冬が合わないのか。スカイジェットのエンジンがおかしな音を立てている。亮はその音を生理的に受け付けない。コックピットを右手で思わず叩くと機体が傾き、バランスを崩してしまった。
 「まずいぞ…」
 そう呟く間もなく、機体は国道9号線上を走る白い軽バンと接触してしまう。
 機体は転落後道路上を20m滑り、ようやく止まった。

 「警部補! 筒井警部補!」
 接触して山側に衝突した軽バンの老男性は幸い軽傷で済み、その老男性からの通報を受けて真璃子は事故現場に直行した。
 意識を失っていた亮は真璃子の呼び声に反応し、ロボットのように突然パッと両目を見開いた。
 「江角巡査部長、申し訳ない。どうも装置が故障してしまったようだ。ここに電話して、対応を取ってくれ」
 そう言って、亮は真後ろの頭皮を剥がす。
 そこにはメタルの錠付装置。
 真璃子は一瞬たじろいだが、連絡先の紙を見て一息置いて落ち着いた後、電話をかけた。

 パトカーの後部座席に亮を乗せ、真璃子は病院へ向かった。
 「俺、もう三度死んでいるんだ」
 「それが、その装置の理由ですか」
 「そうだ。あとは心臓と肺にある」

 「…サイボーグってやつですか」
 「驚かせて本当に申し訳ない。警察庁は、簡単に死なせてくれないんだ」
 「警部補が優秀でいらっしゃるからです。それでも、そこまでなって、何故まだ刑事をお続けになるんですか?」
 「使命…それだけ、だな」
 「他には?」
 「分からない。大脳のダメージで、感情をうまく表現できないんだ」
 「感情がないわけでは、ないんですか?」
 「そう…」
 一瞬、亮は動揺したように感じた自分に気が付いた。
 「…本当は、それも分からない。昔の自分ではないことは、理解できてはいるんだが…」

 装置の交換のため、亮は3時間程眠らされた。
 真璃子は病院で待機中、タブレット端末で警視庁の衛星から受信した被害者の情報を分析していた。
 「待たせてごめん。何か分かったかい」
 「金築さんの部屋から、手紙が一通発見されたようです」
 「どれどれ…妻の母からの手紙か」
 「出雲空港まで来てくれ、とだけ…ここで金築さんは何かに巻き込まれたのでしょうか」
 「あぁ、俺もそう思う。今から妻の実家に行こうか」
 そう言った亮は黒のジャケットを羽織りながら、軽パトカーの方へ足早に向かう。
 それを追うように、真璃子も先を急いだ。

 金築の妻の実家は、湖から車で10分程南西に行った場所にある、黒光りする瓦屋根の古い日本家屋だった。

 「…金築さんとは空港で会いましたが、そこで別れました。その先は分かりません」
 家主の老婦人は、明らかに話したくない素振りでそう言った。
 「私がばあちゃんを空港まで送り迎えしました。ほんの10分位でばあちゃんは空港から出てきて、その後帰り道のスーパーに寄ってここに戻ってきています」
 老婦人の孫である健太郎が口を挟むと、真璃子は訝しげな表情を見せた。
 「空港で、男性と共に国内線出口から出てくる悦子さんを見たという証言があるんですが」
 「それは、人違いです。何かの…」
 「健ちゃん」
 悦子は健太郎を制止した。
 「空港の出口まで金築さんは送ってくれたんです。そうだったでしょ、健ちゃん」
 深い青空と電線にとまる雀の大群を見ながら、亮も真璃子も、この話がいささか空しく響くように思えた。

 「犯人は悦子さんですね」
 「あぁ、俺もそう思う。ただ、殺さなければならない理由が分からない」
 「そうですね…もう少し、この辺りをあたってみましょうか」
 「そうだな」

 悦子の近所の人々から聞いた話から、金築の妻、つまり悦子の娘である珠代は、湖に誤って転落して溺死したことが分かった。
 「あれは自殺だって話、ここらへんじゃそげ言われとうよ。悦子さんには絶対言わんけどな」
 「嫁ぎ先から何度も帰って来ちょったよ。なんかいつも寂しげな顔しちょったわ、珠代ちゃん」

 古いオレンジ色をした3両連結のディーゼル車を横目に、本部へ戻る車の中で、亮は考え込んでいた。
 「結婚すると、そんなに悲しむようなことがあるものなのか」
 「いい話も、聞きたくない話も、ありますよ…それは」
 「嫁姑の不仲とか?」
 「そうですね…赤の他人が嫁として入っていく訳ですから…」
 「人間って、シンプルに生きられないのかな」
 「警部補、そういうことも忘れてしまっているんですか? 仕事であっても、いろいろ嫌なことあるじゃないですか」
 「いや、俺は少なくとも、そう思って刑事をやってはいない。多分…」

 左手に見える湖の中に浮かぶ小さな島を見つめ、亮は忘れていた何かを取り戻そうとしていた。

 ふと、目が覚めた。
 疲れ切ったのだろう。知らぬ間に眠ってしまっていた。
 深夜2時半。県警宿舎の窓を開け、亮は一人灯りも付けずに、ぼんやりと見える城と星空とを眺めていた。不夜城東京では見ることのできない、星の光だけで紺碧に色づく空を。
 「俺…どこにいっちゃったんだろう……」
 冷たい空気をゆっくりと吸い込んだ後、亮は心臓装置を静かにメンテナンスした。

 悦子を重要参考人として送致することが決まった翌日、事態は急変した。
 齢にそぐわない大きな鞄を抱えて車に乗る悦子の姿を見たという、近所の住人からの連絡が入ったのだ。
 健太郎の車だ、亮と真璃子は確信した。

 急を要する。2人は修理が完了したスカイジェットに乗り込み、最寄駅の来待駅に急行した。

 米子行の列車が到着するまであと2分のところで、スカイジェットは小さな駅に到着した。
 そこには、健太郎のものとは違う車が停まっている。

 亮は、しまった、という表情をして再び離陸しようとした。
 「待って!悦子さんがホームにいます!」
 助手席の真璃子が叫ぶと亮はエンジンを急停止し、扉を開けたまま駅のホームに駆けていった。
 そこには、悦子と健太郎がいた。
 2人は逃げも隠れもせず、観念した様子だった。そして、列車が到着した。

 「やはり、あなたがやったんですか」
 亮が言うと、悦子は無言で鞄を足下に静かに置き、頷いた。
 「どうして…」
 真璃子の言葉に、悦子は顔を抑えて跪いてしまった。

 「母は、嫁ぎ先で姑との関係が悪かったんです。それでも、金築は…父は…母の味方にはなってくれなかった。私は…溺死した母のお腹から、奇跡的に生まれた子なんです」
 「やはり、珠代さんは宍道湖に身を投げたと…」
 「いえ、珠代は金築に…金築に殺されたようなもんです! あの日、あの夕方…夕日を見ると言って出かけた、珠代は不思議と笑顔だったんです。嫁いでから一度も笑ったことのなかったあの娘が…」
 亮は、何故か悲しくなった。
 そう、悲しいという感情。いつから失っていたのだろう。

 発車のベルが鳴り、列車は走り去った。
 「嫁ヶ島伝説、ですね」
 真璃子が口を開いた。
 「その伝説は?」
 亮の言葉に、健太郎が答えた。
 「母のように若い嫁が溺死し、それを水の神が憐れんで、嫁ヶ島を浮き上がらせたという伝説があるんです」
 天を見上げて悦子は目を閉じた。

 「あぁ、家が嫁ヶ島の見える場所だったら、えらくて今まで生きてこれんかった…長くおんぼらと…もちろん、忘れぇことなどできませんが…穏やかに生きてきたのに、あの男が、何故か今年年賀状をよこしてきたんです」
 「何故…今頃になって、私達の心を乱すようなことを父がするのか…全く理解ができませんでした…日を追うごとに、憎しみが込み上げてきて…そんな私を見かねて、ばあちゃんが父に手紙を送り、話がしたいと呼び寄せたんです」
 「殺すつもりはありませんでした。ただ、空港で会ったあの男の一言が、どうしても許せなかったのです…」

 真璃子は静かに問い質した。
 「金築さんは、何と言われたのですか?」
 山からの強風がホームに一瞬吹いた。そして暫く経った後、悦子は口を開いた。

 「私は悪くない、珠代さんが弱かっただけだ、と…」
 悦子の頬を涙が伝った。亮は見ていられなかった。
 ふと、拳銃で撃たれ意識が遠退くその時に、自分を見つめる女の頬の涙の残像が過った。
 亮は駅舎に貼られている、小学生の絵のほうに振り向いていた。

 悦子と健太郎はパトカーに乗せられ、本部へ連行された。
 健太郎の車のトランクには灯油のタンクがあり、最初から殺すことを想定してタンクを積んでいたと、健太郎は自供した。

 スカイジェットは、県警本部の屋上にいた。
 朱く眩しい夕日。その陰になった嫁ヶ島を、亮と真璃子は見つめていた。

 「悲しみなんて、恨みなんて…どうしてそんな感情があるんだろう」
 「それがあって、初めて人間なんじゃないですか」
 真璃子の言葉に、亮は目を閉じ、ゆっくりと頷いた。

 「次は宮崎か。また遠いな」
 亮は鞄を足元に置き、スカイジェットのスイッチを入れる。
 赤いサイレンが廻り、白い車体は県警本部の屋上をゆっくりと離れる。鼠色の空から洩れる陽光のように凛と冷え込む空気を切り裂き、東に向かって飛び去った。
 次の指令が、待っている。

(※この文章は、作者本人が運営していたSSブログ(So-netブログ)に公開していたものを転記し加筆修正したものです。)

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