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[俺に中森明菜を語らせろ]たくさん見ていただいてありがとうございます

皆さん、この三連休いかがお過ごしでしょうか?
どこかにお出かけ?それともウチでのんびりですか?
連休なんて関係ねーぜってお仕事の方々は、ホントにお疲れ様です。
皆さんのおかげで、僕らは好き勝手に三連休を過ごせるんだよなーと、かつてサービス業や介護福祉関係で勤めた経験のある僕はありがたく思っています。

さて「俺に中森明菜を語らせろ」。
僕の想像を超える反応(閲覧数、スキの数)をいただき、嬉しい限りです。
ご覧になってくださって、ありがとうございます。

もちろん、フォロー数、閲覧数が遥かに多いプロNoter(勝手にそう呼んでる)には全く及びませんが(笑)

それでも「中森明菜」で検索すると、僕の記事が「人気」の上位で安定しており(トップページに出てくる「中森明菜」の記事一覧には出てこないのが不思議ですけど…多分収集する何らかのアルゴリズムが、検索と違うんでしょうね)、やっぱり素直に嬉しかったりします。

Noteのアルゴリズムのいたずらなのか、どういったことがきっかけで皆さんのNoteにおススメとして出てきたり皆さんが見つけてくれるのか、ITエンジニアの端くれのくせにぜーんぜん分かりません(苦笑)。

特に「駅」の記事、公開後すぐに閲覧数が伸びるのはいつも通りですが、この記事についてはコンスタントに閲覧数やスキの数が増えています。
なんなら2週間前よりこの一週間のほうが多いし…なんなんでしょうね。

それと不思議な現象。
「DESIRE」や「少女A」みたいに一般的に有名だと思われる曲よりも、今となっては隠れアイテムみたいな曲のほうが、閲覧数の割にスキが多かったりするんです。
有名過ぎる曲は既に語られ尽くされているからなのかな、とか思っています。

もちろん、フォローされている数が少ない頃より、今のほうが数値の伸びがいいんですけどね。

「北ウイング」から始まった記事アップ。

この記事は未だに細々と閲覧数が増えます。こういう地味な動きも嬉しい。


Noteでは滅多に自分語りをしないですが、今回はお礼ついでに僕の中森明菜「推し」歴、その内容をちょっとお話しします。

僕は幼いころ、4歳くらいから流行歌を聴いたり歌うのが好きでした。
おもちゃ代わりに黒いラジオを父からもらったことがきっかけです。
昭和のヒット曲。
演歌だろうが何だろうが歌ってましたね。
高校生・大学生の頃は「歩くジュークボックス」と自ら名乗っているくらいでした。

テレビの歌番組、TBS系列で木曜21時からやっていた「ザ・ベストテン」(1978年1月~1989年9月)は、僕にとって夢のような番組でした。
ピンクレディー「UFO」が1位になった第1回から、工藤静香さん「黄砂に吹かれて」が1位だった最終回まで、たった1回だけ見逃しただけでそれ以外は全てリアルタイムで見ていました(見逃したその日は小学校での泊りがけの山間研修と重なったとき)。

明菜さんを知ったのも、この番組が最初でした。その頃はまだ数多いる流行歌手の一人としてしか認識していませんでした。

それならなにきっかけでハマったのか?
まず、6歳離れた僕の姉が明菜さんのファンだったんですね。
で、年の離れた姉弟二人してベストテンごっこして遊んでました。明菜さんの真似をすると特に二人ともノリノリになってました。
今思い返すと、大体僕がどの曲も歌っていた気がします。姉は何役してたんでしょうね(笑)。

アイドルシンガーも好きでしたし、いわゆるニューミュージック、ロックも演歌も好きでした。
その中で明菜さんが好きになったのは、多分声の音域が近くて歌いやすかった、そして何より歌って楽しかったからです。
振り付けや衣装に魅力を感じた、つまり彼女の表現力が僕の感性に見事にヒットして、真似するのがとにかく好きになったんです。

振り返ると「北ウイング」が、中森明菜という歌手を好きになった最初の曲でした。
で、その次の「サザン・ウインド」で可愛らしい明菜さん、「十戒(1984)」でのカッコいい明菜さんを見て、彼女の表現の振り幅のデカさにとにかく圧倒され、それこそトリコになりました。

僕は昔から男の割に声が高く、その頃高音域を出す男性シンガーが少なくて僕の音域に一番合うのが女性シンガーの曲だったんです(後に安全地帯[玉置浩二さん]、杉山清貴さんなどが出てきましたが)。
その中でもやはり大好きだった明菜さんの曲が歌いたい、好き過ぎて完コピしたい、とまで思ったのです。声、歌い方、手脚の繊細な動きや歌っている時の表情や視線の置き場まで、です。

で、カラオケが世に出る前だったので、キーを上げ下げするなどという賢いやり方を知らず、常にオリジナルキーで歌う癖がついてしまいました。
そうやって音域高めの曲を歌い踊って(!?)いるうちに、いつの間にか声変わりの季節を知らぬ間に通過してしまいました…今もなお喉の調子が良ければ、八神純子さんや渡辺真知子さん、Whitney Houston(ホイットニーヒューストン)が素で歌えるほど、音域は高めです(笑)

高校まではやはり、男が女性シンガーの真似などしていると、余計な雑音もたまに聞こえてきました。
でも僕は割とそういうのを平気でかわしてました。だって笑いを取るというより、完コピして相手にぐうの音もでないくらいのクオリティを目指していましたから。

そのクオリティを最大限に見せつけてやったことが、一度あります。

体育祭の前日にある文化祭で「部活動対抗歌合戦」なる行事が、当時僕の中学校でありました。
で当然のように僕が代表に選ばれるわけです(今ではなぜ入ったのか分からないバレーボール部代表で)。
ステージの上の緊張感も、嫌いじゃなかったです。休憩時間に廊下で歌い踊っても、何も恥ずかしくなかったので。
中学2年生の時は同級生の意向を汲み、菊池桃子さんの「卒業(GRADUATION)」を完コピしたのですが、新体操部に負け2位止まりでした。

これが地味に悔しかった。
僕の中では全力を出し切れていないし、そもそも本意ではないもので2位に甘んじるなんて、納得いかなかったんです。
で、また当然のように翌年の歌合戦でまた僕は体育館のステージに立ちました。

曲は中森明菜さんの「AL-MAUJ(アルマージ)」。
当時「TATTOO」がヒットしていたので、それを歌ってと言われました。
でも僕は、明菜らしい表現、言い換えれば中森明菜が憑依したような自分の表現をを出し尽くせるのは、その曲ではなく一つ昔の作品でマイナーな「AL-MAUJ(アルマージ)」だと思い、その世界を完コピすると心に決めました。

歌声も振り付けもですが、衣装も大事。
ということで当日は、親には内緒で布団カバー何枚かとベルトを抱えて登校し、その曲で明菜さんが身につけていたアラビア風衣装に仕上げてステージに立ちました。

正直ここまで完璧に上手くできるとは思いもしないほど、声も良く出て振り付けもよろけることなく、いい出来のままで最後の決めポーズをし終えました。
そこで起こった大歓声。体育館にいる800人越全体が沸き上がるような歓声とアンコールの声を受けました。やったね、やったった。
(ちなみにアンコールでは、中山美穂さんの「人魚姫-mermaid-」を完コピしました。)
なお当然ですが、圧倒的優勝でした。
翌週職員室に用があって入ると、校長先生から「君はこの前中森明菜を歌った子かね、凄かったねぇ」と声を掛けられて、なんか恥ずかしかったです…。

明菜さんのデビュー曲「スローモーション」からその時期の最新曲だった「ひらり -SAKURA-」までのほぼ全てのシングルを一人カラオケしたことも、今となっては懐かしい思い出です。4時間半くらい経ってました(笑)。
記事の中にカラオケ(歌うコツ)をたまに入れているのは、こういう歴史があるからです。

僕の明菜「推し」歴を、これでも結構かいつまんでお話ししました。
長話にお付き合いいただき、ありがとうございました。

そういうわけで、中森明菜さんの曲の魅力を自分なりに表現したいと思い、こうやって書いています。
明菜さん自身にはいろいろあったりマスコミに書かれたりしていますが、僕はそういうものにそもそも興味ないです。
純粋にJ-POP、歌謡曲として彼女の歌声、表現、そして曲が好きです。
それをできる限り客観的な視点で紹介するスタンスで、ここに記事をアップしています。
そういう視点でこれからもたまに覗きに来ていただければ、嬉しいです。

これまでの記事は、かつてSo-netの僕のブログにアップしていたものを加筆修正したものです。
そういえばブログに載せた時も確かに、マイナーどころの曲紹介のほうが、閲覧数やNiceの伸びが良かった気もします。

もう少ししたらストックも切れちゃうので(笑)、新たな記事も書き始めました。少々お待ちくださいね。

改めて、わざわざ見に来てくださってありがとうございます。これからもよろしくお願いします。

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