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【シーズン4-11:エグゼクティブの成功マインドを磨くCEOコーチング】「社会」とうまくつきあう②~お金とは何か

(1)お金は掴みどころがない!?

 
こんにちは。
エグゼクティブ専門コーチの久野和禎です。
 
シーズン4のテーマは、「つきあい上手になる考え方」。
今回のテーマは「お金」です。
 
お金とのつきあい方は、私も含めて多くの人が難しいと感じているのではないでしょうか。
「お金の教育を受けてこなかった」ことも理由の1つですが、お金というコンセプトを抽象度を上げて捉えると、「交換機能」「価値貯蔵機能」「価値尺度機能」といった複数の要素を内包していることもあり、掴みどころがないように感じてしまうからだと私は思います。
 
ここでは、掴みどころがない「お金」について、複数の視点から考えてみましょう。
 
生理的欲求、安全欲求がピラミッドの土台となっている「マズローの欲求5段階説」に照らすなら、「給料(お金)の心配をすること」は「餓死するのではないか」と考えることと距離はあるけれど、つながっていると考えられます。
 
私たち人間は生き延びるためにがんばっています。それは「本能」と言ってもよいでしょう。具体的には、食料と水を確保したり、獣に襲われないように安全な場所を探したりして、今日まで人類は生き延びてきました。
そうした行為が現代では「お金を稼ぐこと」に置き換わっているのです。
お金があれば食べ物、飲み物に困る確率は下がりますし、お金があれば動物に襲われたり、嵐に遭遇しても困らないような住宅を建てることもできます。
逆に、お金が減っていくと、深いレベルの潜在的な恐怖が頭をもたげてくることになります。
生き延びたいという本能と直結しているという意味で、お金とのつきあいは難しいのです。

(2)餓死しないことを理解する


そうすると、別の考え方もできます。飢えてしまうかもしれないと思っているから、お金のことが心配になるのであれば、「飢えない」ことを理解できれば、お金とのつきあい方は一段楽になります。
 
もちろん国によって状況は違いますが、現代の日本においては、餓死する心配はほとんどありません。そのことを理解できれば、お金に対してもう少し心広くつきあえるようになるのです。
ここまでがベーシックな話です。
 
脳の仕組みの話をすると、「老後、病気になって、お金がなくなって死んでしまうのではないか」といったお金に対する不安感、恐怖感は、「爬虫類脳」とも呼ばれる脳の古い部分から出てくる突き上げられるような衝動と考えられます。
 
そうした衝動に対抗するのが、前頭前野とか前頭葉から出てくる論理、アイデアであり、脳は「あっ、なんだ。自分は餓死することはないんだ」と論理的に理解して、感情というか、情動というか、深いところに対しても、「基本的には大丈夫だよね」と思えるようになるのです。
そうなれば、お金は「友達」になってくれるでしょう。

(3)なぜ、お金を増やしたいと思うのか


ここまでが「お金がなくなる心配」についての話であり、ここからは、もう1つの側面である「お金を増やしたいという思い」について考えていきましょう。
 
「お金がなくなる心配」と「お金を増やしたいという思い」のルーツは一緒ですが、完全に一致しているわけではありません。もし、完全に一致しているのであれば、ある程度のところまで増えたなら、「これ以上増やさなくてもいい」となるはずです。
でも、そうはならずに、「もう十分」を超えて増やしたい、もっと贅沢をしたいと思うのはなぜでしょうか。
 
「もっていることがセキュリティになって安心につながる」というのは、先述した「爬虫類脳」の話の延長である一方、さらに増やしていきたいと思うことはどう考えるべきなのでしょうか。
 
まず、「ゲーム感覚」という切り口で考えてみましょう。
たとえばビジネスにおいては、お金は1つの尺度、モノサシです。であるならば、お金をたくさん稼いだり、動かしたり、借りたりするのを楽しむゲームが「ビジネス」と捉えることもできそうです。
「大きな仕事をするために総合商社に入りたい」といった志望動機を聞くことがあるのは、ビジネスにゲーム性があるからではないでしょうか。
 
ゲーム性という点では、ゲームセンターでお馴染みの「ただひたすらメダルを落とすゲーム」も「仮想通貨」も同じようなものかもしれません。
ゲームの対象が、現金なのか、仮想通貨なのか、メダルなのかの違いはありますが、どれも「ゲーム性」を有しています。

(4)お金が「自尊心」につながる人

次は、「自己評価」という観点で考えてみましょう。
お金をもっていて、それを使える自分であったり、お金を使って購入したものが自分の持ち物になったときに感じられる何かみたいなものが、自分の能力の評価につながる人もいます。
 
心理学的、あるいは認知科学的に捉えると、「エフィカシー」(自己効力感)とか「セルフエスティーム」(自尊心)につながる人、「お金がある自分はすごい」と思える人は、それでもいいと思います。
自尊心みたいなものをお金で測ることは否定しませんし、それでハッピーに過ごせるのならいいと思います。
もちろん、行き過ぎるのはよくありませんが、なんとなく社会的に「見せびらかすのはいかがなものか」という感じもあったりしますので、過度に行き過ぎないようにできているのではないでしょうか。
 
ここまで、お金がもつ複数の側面をいくつか分解して考えてみましたが、こうやって考えると、お金は難しいものでもなく、色もついていないし、悪いものでも、いいものでもないことがわかるはずです。
 

(5)人と比べることに意味はない

 人は社会的な生き物ですから、人と比べてしまうことはあると思いますが、それでも比べる度合いを減らすことができれば、ずいぶんと自由になれます。
 
速く走ったほうがいいとか、たくさん点数を取ったほうがいいとか、ゲームとしてやっていくのはいいのですが、たとえば、「これだけあるから私は食べていける。大丈夫」といった生活の安全とか、あるいは自尊心みたいなものは自己完結すればいいのです。
 
先述したように、お金を自尊心の源泉にしても構いません。
でも、他人と比べて落ち込んだり、逆に変な優越感をもったりする必要はないと思うのです。
場合によっては家族、親友といった領域まで広げてもいいかもしれませんが、あくまでも自分との対話、自分の成長の話として自己完結したほうが、人は強くなれると私は考えています。
 
2022年にカタールで開催されたワールドカップに行ってわかったことの1つは、本当のお金持ちがいるということです。私のような普通の人が観戦している一方、サウジアラビアやアラブ首長国連邦から来た大金持ちが隣に座ったりするわけです。
でも、だからといって別になんとも思わないというか、人がどうだろうと、大金持ちではない私たちは私たちで一生懸命暮らしていけばいいと思うのです。
 
今回も最後までお読みいただきありがとうございます。
次回またお会いできるのを楽しみにしています。
 
(了)

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