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「成果をあげる。」ことと、「成果をあげる能力を向上させる。」こと

「自分で何かを成し遂げたい。」
「成功したい。」
「夢を叶えたい。」


そう思う人は多いと思います。

自分で何かを成し遂げるにしても成功するにしても夢を叶えるにしても必ず必要な能力は「成果をあげる能力」です。


ドラッカーは「成果をあげる能力は天賦のものでない。」と語っています。「成果をあげる能力を向上させる方法はある。」と。


なるほど。成果をあげる能力を向上させる方法があるのであれば、ここで問題となるのは以下。

・その能力は何から成り立つか。
・具体的に何を修得すべきか。
・修得の方法はいかなるものか。
・体系的に修得するものなのか
・徒弟的に(誰かに教わってもらって)修得するものなのか。
・基礎の繰り返しによってのみ修得できるものなのか。


ここで大事なのは、「〇〇さんだから成功した」。というわけではないのだ。


身近な問題で考えてみればわかります。
大学受験に成功した人たちはみんな似た者同士ですか?ビジネスに成功している人はみんな似た者同士ですか?

もっと具体的に。メジャーリーガーのイチロー選手と田中将大投手のプレースタイルは似ていますか?サッカー日本代表の長友選手と本田選手の二人の性格は似ていますか?


では、成果をあげる為に必要なのは「性格」や「考え方」ではないことを実感していただいたところで、結論の話をしましょう。


なすべきことを為す能力

”私は小さい頃、ピアノの先生にこう言われた。「残念ながら君はモーツァルトやシュナーベルのように弾けるようにはなりません。でも音階は、シュナーベルと同じ音階を弾かなければなりません。」
もう1つ、おそらくあまりに当たり前のことだったためであろうが、彼女が付け加えなかったことがあった。それは、偉大なピアニストたちでさえ、練習を重ねなかったならば、あのように弾けるようにはならなかったということである。”
ドラッカー名著集『経営者の条件』より

歴史上の偉人でさえ、僕たちがやっていることの延長線上のことをやっているに過ぎないことをこの文章で思い知った。

そして、凡人と偉人の「差」は「為すべきことを為す能力」だと。


なぜ僕とかつてのモーツァルトは同じ「ド」の音階を弾いているのに僕は「凡人」に過ぎないのか。その理由は簡単で、「練習していない。」からだ。その「ド」を様々に操るよう「練習していない」からだ。


”成果をあげることは1つの習慣である。実践的な能力の集積である。実践的な能力は修得できる。それは単純である。
(中略)
習慣になるまで何度も反復しなければならない。”
ドラッカー名著集『経営者の条件』より


ここで一旦まとめます。つまりドラッカーが言いたいのは


「『為すべきことを為す』ことが成果をあげる為に必要な『要素』であるが、大事なのはそれを習慣化しなければならない。つまり、100回、1000回と『為すべきこと』をくりかえす『習慣』が成果をあげる能力を向上させる為に必要な能力だ。」


ということである。3日坊主では絶対に成果は上がらないよ、ということだ。


最後に。。。ドラッカーが教える、成果をあげる為に身につけておくべき習慣的な能力5つ

1、何に自分の時間が取られているかを知ることである。残されたわずかな時間を体系的に管理することである。

2、外の世界に対する貢献に焦点を合わせることである。仕事ではなく、成果に勢力を向けることである。「期待されている成果は何か」からスタートすることである。

3、強みを基盤にすることである。すなわち、できないことからスタートしてはならない。

4、優れた仕事が際立った成果をあげる領域に力を集中することである。優先順位を決め、それを守るよう自らを強制することである。最初に行うべきことをおこなうことである。2番目に回したことは全く行ってはいけない。さもなければ何事も為すことができない。

5、成果をあげるよう意思決定を行うことである、決定とは、詰まる所手順の問題である。必要なものは1つの正しい戦略である。



なんて「灯台下暗し」なことではなかろうか。

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