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問題解決あるあるコラム#5:「終わりよければ全てよしは本当に良いのか?」

こんにちは。いちおか@問題解決サポーターKAIOS代表です。

問題解決あるあるコラム第5回のテーマは、「終わりよければ全てよしは本当に良いのか?」です。みなさんもこのフレーズ、良く使うのではないでしょうか?この言葉の意味は、「途中色々あったけど、最終的には目的を達成したので、あれこれ細かい事は言わずに結果をみんなで喜ぼうじゃないか」と言うことで、一言で言えば「結果オーライ」ですね。これ、いいですか?ダメですよね。


なぜ「終わりよければ全てよし」ではダメなのか

こう言うに至った背景には、何か問題が起きてからみんなが力を合わせ、最終目的=ゴールを達成した「努力」があると思いますが、往々にして「運」も作用しています。「運も実力の内」と言う人も居ますが、本当に実力のある人は運も必然にします。周りからは偶々の様に見えますが、実はその偶々を生み出す事前準備をしっかりしています。が、我々凡人は本当に偶々頼みです。でも、そう毎回毎回「幸運」が続くわけがありません。そうして、運が事切れて失敗に終わった時は「運が悪かった」と言って現状を肯定して無かった事にしようとします。こんな、当たるも八卦当たらぬも八卦の様な仕事をされていたら発注側は堪ったもんじゃありません。「ちゃんとやってよ」と思いますし、言いますよね。

「ちゃんとやってる」ことは第三者が証明してくれる?

でも、「ちゃんとやってよ!」と言うと、第3回のテーマの通り「やってます」と返事が来ます。やっぱり堪りませんね。あんまりしつこくすると、今時は下請けいじめとかパワハラとか言われるので発注側が引き下がざるを得ない、というなんともやりきれない状況になります。それならば、どうせ付き合うならしっかり仕事をしてくれる会社がいいですね。でも、他所の会社がちゃんとしてるかなんて外部の人間が分かる訳がないです。そこで、第三者が証明してくれるISOとかIATFが登場します。これら認証を取得した会社なら安心ですが、実態は残念ながらそうでもないですよね。「認証取得と実態は別の話」が暗黙の了解事項みたいになってしまっています。なので、大切なのは取引を始める前に実際にその会社に行って取引前監査をする事です。そこできちんと「説明責任」を果たせる会社なら安心して仕事が任せられます。そう、取引先監査ってとっても大切な機会なのに、形式的な活動にしてしまっていませんか?ここでしっかり見極めておかないと、後で大変な事になります。どんな大変な事かというと…この辺の話は書き出すと長くなるのでまた別の機会に書きたいと思います。

「終わりよければ全てよし」が生まれてしまう土壌

で、問題の「終わり良ければ」ですが、最初に書いた「結果オーライ」という楽観思考が生み出す結果は、「現状肯定の自己過大評価」と「起きた問題から得られる学びの機会」を切り捨てた、「現状維持」です。我々人間は終わったモノ・コトには急激に関心が無くなり「はい、終わり終わり。次、次。」と気持ちを切り替えてしまいます。クヨクヨしない、後ろを振り返らない、と言うのは時には良いパフォーマンスに繋がりますが、それは活動の最中に限定されます。ゴールまで辿り着くという目的のために、一旦他のことは忘れてゴールに集中する。と言う、限られたパワーとリソースの「選択と集中」をするための手段なのです。

なので、その手段をゴール後に当てはめるのは適切ではありません。一旦ゴールに辿り着いたら、「クヨクヨ」も「後ろ」も振り返らなくてはなりません。そうすることで、そこに「二度と同じ失敗を繰り返さない」という付加価値が生まれるのです。どこの組織でもプロジェクトが終わると振り返りの活動が設定されており、「再発防止の為の組織の知識化」という極めて重要なステップがあります。が、みなさんもう終わった事に大して興味も関心もないので、今更あれこれ振り返りたくありません。そこで、LLリストなどの失敗リストを作り、「次回プロジェクトを始める時に見直します」とか「後で周知徹底します」とアクションを未来に先送りして終わらせようとします。そして、実際に「次」が来てそのリストをみてみると…「これなんだったっけ?」「誰か知ってる?」「書いた人辞めちゃったしなぁ」といった状況に陥り、そこから「ま、いっか」が生まれ、そのままプロジェクトに突入。突入したプロジェクトは元々の仕事のやり方が変わってないので、前回と同じ失敗がまた発生、という見事な再現性が生まれます。

真逆のPDCAが回っている

どうでしょう?思い当たる事ありませんか?これは「説明責任」の回でもお話しした「どうするつもり」がない事に端を発し、「出来てます」報告が改善の機会を逸し、「結果オーライ」が振り返りの芽を摘んた結果、みんなで作り出している成果物です。大きなNon-PDCAサイクルが回っている結果なのです。現場であれだけPDCA、PDCAと叫んでいる裏で、真逆のPDCAが回り続けているのです。しかも、それが我々が無意識に取っている言動によって紡ぎ出されているのです。

まとめ

我々に必要なのは、行動の規制や矯正ではなく、心の矯正なのかもしれませんね。「終わりよければ全てよし」というKGIよりも「どうするつもりだった」というKPIを心に留めておきたいものです。

今回も最後までお読み頂きありがとうございました。
それでは、また次回もお楽しみに!

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