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問題解決あるあるコラム#10:レビューは失敗のもと?

こんにちは。いちおか@問題解決サポーターKAIOS代表です。

問題解決あるあるコラム第10回のテーマは、「レビューは失敗のもと?」です。まず最初に質問です。「レビュー」っていったいなんでしょう? パッと答えられますか? それを考えるためには「レビュー」に必ずついてくる「承認」につていも考える必要があります。「レビュー」は計画や成果の妥当性を確認し、「承認」はそれを認める、ってことですよね? もう少し言うとしたら、「承認」は、「これをもって次のフェーズへ移行することを認める」といったところでしょうか。プロジェクトなどの大きな節目では、マネジメント=経営層による「レビューと承認」が設定されているケースも多いです。では、このマネジメントによる「レビュー」も「失敗のもと」なのでしょうか? 


マネジメントはレビューしてはならない

僕が以前に受講した品質マネジメントシステム(QMS)の講習会で、講師のかたが「マネジメントはレビューをしてはならない」「マネジメントによるレビューは嘘の報告を招くことになる」とおっしゃっていました。それを聞いた時僕は「いやいや、マネジメントに嘘つくなんて、そんな度胸ないよ」と思いました。皆さんはいかがですか? きっと「はい、私嘘つきます」なんて人はいないと思います。ところが、実際にプロジェクトのゲートレビューを見てみると、なぜかほとんどのケースが「条件付き承認」で進んでいきます。そして、その「条件」がその後速やかに解消されることはまずありません。

条件付きは条件なしも同然

なぜ、承認が条件付きになってしまうのでしょうか? それはマネジメントのレビューまでに、DR(デザインレビュー)などの社内レビューや積み残しの刈り取りが完了していないからです。「もう少し先でないと最終確認が完了しませんが、今日このゲート承認をもらわないとサンプルをお客さんに提出できません。なので、一旦ここを通してください」となる訳です。「ここを通してくれないとお客さんに迷惑がかかります」「量産試作ができなくなり、準備している工場にも迷惑がかかります」とお客様や後工程を人質に取られ、マネジメントも「わかった。じゃあ、一旦ここを通すけど、後でキチンと確認しろよ」と通してしまうのです。

人は終わったことに対しては関心が急速に失われるので、通ってしまえばこっちのもんです。「条件」なんてなんとやら、プロジェクトは前へ前へと進んでいきます。前に進めば、またさらに前に進むための、優先度の高い新たな課題が生まれるので、そちらに目がいきます。以前のコラムにも出てきた通り、人は前に進むことを優先する生き物なので、目的が達成されるまで終わったことは振り返りません。「後でやる」といっていたことも、「他に優先事項がある」といって置き去りにします。このように、約束は反故にされ、結果として「嘘」をついたことになります。まあ、中にはゲートを通過するために、終わっていないことを「ほぼ終わった」とか「終わっているという理解です」のような、判断を相手にゆだねる(押し付ける?)いい方で逃げる(強引に通る)人もいますが。

マネジメントはレビューではなく判断・結論を承認する

なぜこんなことが起こってしまうのでしょうか? それは、これがマネージメントによる「レビュー」だからです。マネジメントが一緒に進捗を確認してしまっているので、このような状況を生んでしまっているのです。マネジメントは一緒にレビューをするのではなく、「プロジェクトチームによって行われたレビュー」の結果から導き出された「判断」を報告させる必要があるのです。どういうことかというと、レビューの場は「レビューによって得られた判断・結論を生み出す」ことが目的なので、マネジメントがレビューしてしまうと、意思決定権を持つ「マネジメントが判断・結論を生み出す」ことになります。そうすると、「マネジメントがOKした」という大義名分が生まれ、何かあっても「マネジメントがそう判断した」といういい訳ができるようになってしまいます。なぜなら、そうすることがプロジェクトメンバーのメリット=「責任回避」につながるからです。

そうならないためには、マネジメントは「プロジェクトチーム自らが下した判断・結論」を報告させ、その判断根拠を経営判断として「承認」する必要があるのです。これにより、プロジェクトチームには「説明責任」が生まれ、判断・結論を導くための活動に「根拠」が生まれます。そうすれば、前回のコラムでお話ししたDRも、「棚卸しレビュー」ではなく「パフォーマンスレビュー」になり、DR自体の有効性も高まります。つまり、マネジメントが「レビュー」をしてしまうことにより、現場は自分たちで判断・決断を下す必要がなくなり、自分たちで責任を取る必要もなくなる、ということになります。そうすると、自分たちで行うレビューの場は、決められたことが「やってあればいい」とか「そろってればいい」となり、それすら「後でそろえればいい」と後おくりになり、本来自分たちのゲートで完了していなければならない数々の成果物までもが、後おくりになっていってしまうのです。

しくみは使い方を間違えると失敗のもとになる

このように、本来失敗を防ぐために作られたしくみも、使いかたを間違えてしまうと、「失敗を自ら生む元凶」となってしまうのです。しかも、そうしている本人たちもその原因に気づいていないため、失敗したとしても、その理由を人や環境のせい(他責)にし、失敗を封じ込めるために、次から次へと新しいしくみを作り出していってしまいます。前回のチェックシートもその1つで、組織中にとても対応しきれない数のチェックシートが次々と生まれていきます。まさに負のループです。

我々はついつい「上がいいって言った」ということを判断の根拠にしてしまいがちですが、そうではなく、できるならば「自分たちが生み出したこれらの結果に基づき、これでいいと考える」ということを判断根拠にしたいものです。そうすれば、マネジメントからも信頼され、お客様にも同じような説明ができ、ひいてはお客様からも信頼を得られることにつながります。

まとめ

いかがでしたでしょうか? 我々人間の「前に進みたい」という欲求が、「どんなことをしてでも」という修飾語に引っ張られ、その思いが心配性のマネジメントの心理にも作用し、「失敗防止」から「失敗助長」のしくみ運用になってしまっているのだ、ということがお分かり頂けましたでしょうか? では、「前に進みたい」欲求と「失敗防止」の両立はできないのでしょうか? 答えは「Yes、両立できます」です。その方法については……また今度、ということで(笑)

今回も最後までお読み頂きありがとうございました。また次回もお楽しみに!

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