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寂しき人々は何処から来て、何処に落ち着くのか?~Eleanor Rigbyに関する一考察

ビートルズの活動中期に「Eleanor Rigby」という、ストリングスをバックにポール・マッカートニーが作詞作曲して歌う2分少々の短い曲がある。
以下は、この曲についての個人的な考察だとお思いいただきたい。

アルバムで言えば「Revolver」に入っていて、バンドスタイルではなく、先述したようにストリングスをバックに歌われる2分ちょっとの小品である。
ポール・マッカートニーによって、ビートルズの活動中にレノン=マッカートニー名義で作られた曲だが、後述するように彼自身もセルフカヴァーしたことがある。

歌詞はこちら。

私は別にポール・マッカートニーのファンではないが、この曲だけは不思議と印象がある。

ビートルズ自身も様々な事情からライヴ活動を止めてスタジオ作品に拘ろうとした時期であり、その曲の歌詞も、万人受けするポップソング然としたものから、内省的・個人的なものへとシフトする時期の作品だと思う。

「Revolver」の特にポールの作品に於いて、この曲はポールがこれ以降の彼の作品で醸し出すような親しみやすさの対極にあると思っている。
率直に言えば寂しいのだ。悲しいとかではない。とにかく寂しいのだ。


ちょうど同じような頃に、ポールはビートルズで「Paperback weiter」という曲を世に出している。

こちらは、早い話が「大衆向けの流行作家になりたい男が編集者に書いた売り込みの手紙」、という体裁の曲である。

この辺りから、ポールの作品には物語的な要素が強まってくるのだが、本作で手応えを感じたポールが、この路線を推し進めた成果が「Eleanor Rigby」なのだろう、と個人的には理解している。


さて、脱線はこの程度にして「Eleanor Rigby」に話を戻す。

本作で再三にわたって、ポールは以下のように問う。

寂しい人々は何処から来て、何処に落ち着くのか?


エリナー・リグビーという老婦人、そしてマッケンジーという名の神父。彼らは世間に顧みられることはほぼ無く、しかし、そのような状況下にありつつも、世の中を生きていた。
この二人の視点で淡々と物語が進み、それぞれのヴァースの最後に問題のフレーズを問う。
単独であったり、最終的には「ああ、全ての寂しい人々をごらん」というこの曲の冒頭にも登場するフレーズも絡めながら。

私は、ここで言う「寂しい人々」は、市井に生きる特別でも何でもないような、名も無き人々のことを指すのだと思っている。
私はそこに含まれているのかどうか知らないが、たぶん私なんかも含まれるんじゃないかと思っている。

ただ、ポール・マッカートニーはそんな人々を憐れんでいるわけではない。もちろん、見下してもいないと思う。

「Paperback writer」では成り上がりたい誰かを半ばからかうように描写してみせた一方、こちらの「Eleanor Rigby」に登場する人々はからかいの対象ではない。
ポールを含むビートルズの四人は、EMIからデビューして以後、目まぐるしいような忙しさに振り回され、多くの事件に巻き込まれながら、ライブを止めるという決断をするに至る。

有名になることで得たものがある一方、失ったものもあるのではないか、とこの聡明な四人の若者たちは考えたに違いない。

そこで、ポール・マッカートニーだ。ジョン・レノンのようにアイロニカルな人間でない彼はこの疑問に素直に向き合った。

その結果、彼らが知らない、というより、忘れ去ってしまった市井の名も無い人々は、何処から来て何処に行こうとしているのか?というのを知りたいので、ああいうフレーズを思い浮かんだのだろう。

ただ、ポールのこの疑問が、本格的な解決を見たわけでも無い、と個人的には結論づけている。
彼は後に自分が出演した映画のサウンドトラックに於いて、これをセルフカヴァーしただけで無く、Eleanor's Dreamというインストゥルメンタルまでくっつけてしまっている。
エリナー・リグビーについて歌う部分の歌詞に「夢の中で生きている」という件があるので、そこからの着想なのだろう。

いや、もちろんEleanor's Dream自体がダメだとは思っていないし、これ自体は大変に美しい曲だ。
それどころか「Give my regards to BROAD STREET」という映画及びサウンドトラックは、ポール・マッカートニーのリトロスペクティブとしては、評価がどうこうは置いといて、よくできていたと思う。

だが、あの曲をお尻にくっつけたところで、ポールが1966年に提示したであろう疑問の解決には至らないまま、この「Give my regards to BROAD STREET」にまで至っているのではないか、と思える。
あのEleanor's Dreamは「謎は何一つ解けませんでしたよ」というポールの宣言のように思えてしまう。

あんな余計なものをくっつけてしまったばかりに、原曲が訴求していたであろう「市井の無名の人々の無常感」を台無しにしてしまったように思えてならない。

「Eleanor Rigby」の背骨を貫く究極の寂寥感。それこそが、本曲を本曲たらしめている。ここで歌われる「寂しい人々」は、たぶん今日もどこかで生き続けているはずだ。
無用なインストゥルメンタルをくっつけても何も解決しない。市井の名も無き寂しい人々は、そんな余白のおまけに関わりないところでひっそりと、しかしどうにか強かに生きている。

教会で(恐らくライスシャワーの際の)米粒を拾い上げているエリナー・リグビーや、誰も聞こうとしない説教の言葉を書いているマッケンジー神父のように。

基本的に他人様にどうこう、と偉そうに提示するような文章ではなく、「こいつ、馬鹿でぇ」と軽くお読みいただけるような文章を書き発表することを目指しております。それでもよろしければお願い致します。