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The rise and fall of me and my life~2023年年頭所感に代えて

新年の御挨拶

新年あけましておめでとうございます。

本年はこれまでと比較してもユルめのペースで、サッカー中心に何だかんだ書いていくことになるだろうと思います。
まあ、書いてる私という人間が元日に1つ歳をとって54歳などという年齢になっても、相変わらずの有様ですので、お堅く捉えずに気楽におつきあいください。
カバー写真は、まあ、干支ですし。

では皆様、本年もよろしくお願い致します。


序文

というわけで、年頭の挨拶も程々に文体もいつもの感じで。

いきなりデヴィッド・ボウイの名盤についてのAmazonのリンクを出したからと言って、別に今からデヴィッド・ボウイについて書こうというわけではない。

そりゃ以前、彼についてちょっと書いたことはある。

こういうテキストを残すぐらいに、この人のことは好きなミュージシャンだし、全部ではないが一応それなりの代表曲は知っている、という程度だ。

故にこのアルバムについても1枚通しで聴いたことはなく、「スターマン」「サフラジェット・シティ」「ロックンロール・スーサイド」を知っている、という程度。
だから、本作について書けるはずもない。

せめて一応、ほんの少しだけ本作について触れておく。

ざっくりと言えば、本作のタイトルは「ジギー・スターダストとスパイダーズ・フロム・マースの浮沈」という意味である。
この時期のボウイは、ジギー・スターダストという架空の独特な人格になりきって、その結実がこれだった。
自分はこれを「ジギー・スターダストがスパイダーズ・フロム・マースというバックの連中を引き連れた上で経験する浮沈」をトータルにまとめたコンセプトアルバムという認識をしている。
CDの裏ジャケットには「to be played at maximum volume」、つまり「最大の音量で演奏してください」とある。そういうことを意図したアルバムらしいのだ。
真面目な辛気くさい顔で聴かずに、ボリューム上げてバカになりながら聴けよ、と、ボウイは言いたいのかもしれない。


本題

さて、アルバムについての講釈はこの程度にしておいて、要はこのアルバムのタイトル「The rise and fall of ziggy stardust and spiders from mars」に引っかけた話をしたいだけだ。

自分も半生記ちょい生きたような人間なので、人に言えることも言えないことも含めて、たくさん浮き沈みを経験してきた。
たぶん、トータルで換算してみれば、沈んでいる方が長いのではないだろうか、と思ったりもする。
いろいろな場所にも行ったし、いろいろな人とも出会ったが、おかげさまでそれなりに挨拶したり話をするぐらいの関係性を築けた人もいるが、中には疎遠になった人もいる。
元々「去る者は追わず」というタイプの人間だし、自分から離れたのなら、それは尚更かもしれない。まあ、細かいことは書かない。そういうことも人生の中にはあった、というだけだ。

甘美な思い出は、時々思い出すことはあるが、それが二度と手に入らないものであることも、自分ではよくわかっているつもりだ。生きている今を積み重ねていった上に、人生の浮沈があるように思う。

40歳を過ぎた辺りから、自分はいろいろガタが来た。およそ11年前に最初の脳梗塞が来て、6年後に再発。その前には白内障もやった。
脳梗塞はそれ以降大人しくしてくれているのでいいが、しかし、その恐怖は常につきまとっている。まあ、自業自得なので仕方がないけど。
ここ数年は家の階段の最上部から落っこちて軽く肋を折ったり、憩室から半年間に二度も出血してみたり、去年(2022年)は足の傷が原因の皮膚炎みたいなもので1ヶ月入院もした。

そういう状態になったのも、元を質せば自分がそういうムチャクチャな人生を送ってきたいけないので、他責するわけにもいかず、まあ、受け入れる以外にない。

最近は、自分を過度に肯定も否定もしないようにしている。どう足掻いても自分は自分にしかならない。
どんな風に取り繕ってみても、所詮自分は自分なのだから。そりゃ、うまくすれば自分をいろいろと変革できるかもしれない。

デヴィッド・ボウイがジギー・スターダストになったように、自分を「なりたい何か」にすることは不可能ではないだろう。

しかし、それには膨大なエネルギーが必要だと思うし、思い切るタイミングも必要だ。周囲から言われてなるようなものでもない。自分からそれになりたい、それをしたいと思わない限り、永遠になれない。

ありがたい目玉おやじさんのお言葉

最近は、もうぐうたらになってしまったのか、こうなりゃ「果報は寝て待っておけばいいや」と思うようになった。
そりゃ興味のあるものにアクションは起こすだろうけど、よほどその気にならないと、もう難しい面もある。
新しい分野への進出だってそうだし、新しい対人関係の構築だってそうで、もう自分の開拓の努力だけでは厳しい。
それならいっそ、自分のアンテナに引っかかるまで、気長に待ってみれば、そのうち何とかなる、という気がしている。
なるほど、それは怠惰なだけかもしれない。故に、もっと努力したらどうだと(強弱問わず)お叱りを受けてしまうかもしれない。

それでも、自分は自分が動ける範囲でいろいろやってみて、基本的には何事にも「待ちの姿勢」で当たってみようかな、と思ってみたりもする。
アクティブな人には焦れったいかもしれないが、そこはそれ、自分が常日頃から提唱しているように「俺は俺」なのだから、今年はひとまずその姿勢で貫いてみようか、と考えて進みたい。
もう50代も半ばに差し掛かろうっておっさんが、今更攻めの姿勢もないと思うし、ちょっと在り方に緩急の変化をつけてみてもいいじゃないか、という気持ちだ。

最後に

というわけで、何だかよくわからないことを書いてしまったが、元々自分にとってものを書くのは商売でなく、趣味の範疇でやってきていること。それが高じて、ということもあったけれど、自分の身の丈を考慮すれば、枠外にはみ出てしまうのは得策ではない。

ま、最終的にどんな人生になるかはわからないけれど、結果として自分が満足できていれば、それで良いんじゃねえか、ということにしたい。

結局、何を訴求したいのか、自分でもよくわからない文章になってしまったが、こんな調子で2023年もボチボチとやっていくつもりなので、時々思い出して「あいつ、また、あんなこと書いてやがる。バカだなあ」ぐらいに思っておいてほしい。

そんな、ちょっとニッチな人でいるつもりだから。

じゃ、そういうことで、本年も何卒よろしく。

基本的に他人様にどうこう、と偉そうに提示するような文章ではなく、「こいつ、馬鹿でぇ」と軽くお読みいただけるような文章を書き発表することを目指しております。それでもよろしければお願い致します。