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写真集を読む:01 『東京夢譚』

最近一冊、また一冊と写真集を買ってみて仕事の合間に読んでいる外出自粛中の毎日ですが、少しずつ記事としてて言葉にしてみようと思います。
ただ僕の書いている立ち位置としては「この写真集はこんなことを言っている!」という解説というよりかは、「この写真を読んでみてこのように感じました」というような書き方にしたいと思います。というのも、誰が言ったのか忘れてしまいましたが、写真は誤読してもいいんだというようなことを言っていたことを覚えています。つまり僕と違うように感じた人がいらっしゃったら是非とも教えて欲しいなぁと思っています。

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1冊目は、写真家:鬼海弘雄さんの『東京夢譚』です。

鬼海さんというと人物のポートレートが有名ですが、街のスナップのような写真集も出しています。
なぜ鬼海さんに興味を持ったかというと、単純に僕と同じ山形の出身であるということもありましたが、モノクロ写真に興味が出て来たこともありました。なかでもどの写真集から読もうかなと考えていましたが、写真集というものは中古本であれどもやや高いものです。手にしやすい価格であったこともありお試しのつもりで買ってみました。

この写真集は、写真のパートとエッセイのパートで構成されています。
表紙のような6×6フォーマットの街の写真と月刊誌・WEBマガジンの連載されていたエッセイです。
2:1=写真(白):エッセイ(茶)の割合です。僕の中で思っていた写真集は、冒頭か最後もしくは全く文字のないようなものでした。そういう意味では、写真集をよむ体験としては非常に驚きました。

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写真のパートは、ほぼ人が写っていない街の通りや住宅、商店の店先といったモノクロの写真です。もしかしたらこの写真だけの構成で作られた写真集だったら僕は「ただの記録写真か?」と言った感想だけしか抱かなかったかもしれません。
webで購入したので、配達されるまでにどんな写真集なのか気になってレビュー等も見ていました。多くの人は写真に人がほとんどいないのに人の気配を感じる等の感想がありましたが、やはり写真だけ見てもそこまでしっくりと感じなかったかもしれません。

前半写真パートを見ている段階では上記のように感じたまま読み進めています。しかし、この写真集を読んでいて楽しさが分かり始めたのは中間に構成されているエッセイパートを読み進めてからです。

エッセイは、この街の写真を撮りに出かけた時にあった出来事や出会った人々についての内容だと思います。
この写真集を購入する前からYouTubeで鬼海さんのトークイベント等の動画をみていたので、声の調子やどのような考えなのか多少印象に残っている体験があったので山形の方言や文字の書き方が非常に楽しげに、時に緊張感のあるように感じられ、鬼海さんがなぜ浅草でポートレートを撮り続けているのか少しわかったような感じがしました。

このエッセイは結構量があるのですぐに読み終わることはないので、一話、また一話と日を跨いで読んでいるのでなんども前半の写真を見てはエッセイを読むを繰り返していました。
本当にエッセイに出てくる人々の服装やら発する言葉、出会った場所の情景などとても面白く、先ほどまで得体の知れないよくわからない写真たちのなかに、様々な人々が現れていたのかもしれないなと思わせてくれます。

僕自身の感じ方としては、「ただの記録写真」からエッセイを通して描かれた「人物の気配を感じる写真」として認識できるように変わったのだと思います。
レビューに感想を書いていた人は、このエッセイの体験を省略して書いていたのかな。

鬼海さんは、写真はうつらないことを自覚しなければならないというようなことを言っています。
ネガティブに受け取ってしまうと、エッセイを読む前の僕のようになんだかわからないということもあるとは思います。しかし、ポジティブに受け取るとエッセイをよみ、写真の見方が変わると写っていないのに一枚の写真から様々な想像ができる写真になるのかなと思いました。
人が変わればそれだけたくさん楽しめるのかな。

中身の写真やエッセイは是非手にとって読んで見て欲しいので、特別記載はしませんが、写真集って難しいなと思っている人に是非読んで見て欲しいなと思う一冊です。

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