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当たり前を抱き締めて。

当たり前を抱き締めたくなる小説という表現を思い付いたが、当たり前は抱き締められない。当たり前には実体がないからだ。というと実体がないものは抱き締められないとなるが、実際はどうなんだろう。私は抱き締められているのだろうか。

寺地はるなさんの「夜が暗いとはかぎらない」を読んだ。

苦手意識のあった女性作家さんの作品であるが、表紙の謎の生物(読みすすめていくと「あかつきん」というマスコットキャラクターらしい)に惹かれて読んでみようと思った。

柚木麻子さんの「BUTTER」のくどさにやられてしまった私の苦手意識を溶かしてくれる存在かもしれない。

とても読みやすく、すらすらと読み終えてしまった。

短編集だからというのもすらすらに一役買ったのだろう。

描かれるお話は至って平凡といって差し支えのないほど平凡な話が描かれている。平凡平凡というとバチが当たりそうな気もしないではないが、この平凡を扱うことによって当たり前が引き立っている気がした。スパイスとしての平凡。

平凡といっても登場人物にとっては平凡ではないのかもしれない。作中にも至るところに普通とは?当たり前って?という言葉に対するいら立ちや悲しみを抱えた人物が登場する。

本当に当たり前とはなんだろうと自問したくなった。女性にとって結婚して子どもを産むことは当たり前なのか。周りの空気に合わせられない人は変人なのか。

誰かが作ってしまった当たり前に苦しむ人々は本当に多い気がするし、自分も誰かの当たり前や普通は十人十色だと思っている。

決められないのだ、誰かが誰かを断定することなんて不可能なのだ、と叫びたい。顔も形も育ちも違う、人間という名前だけが同じの私たちが誰かの幸せを決めつけるのはおかしいことである。皆それぞれの当たり前があって、幸せがある。そのことを人はどうしても忘れがちだ。

この本を読んで、当たり前を抱き締めたくなったのは、誰かの当たり前を自分の枠に当てはめようとする人たちに対する怒りのようなものを感じたからである。

実体がなくてもいい。私は私の当たり前を、私が幸せと思うことを抱き締めてやる。

朝は明るく、夜は暗い。それはただ地球がまわっているだけのことだ。明るいことに良い意味も、暗いこと悪い意味も、含まれていない。ただの朝と夜だ。それでも自分たちはくりかえす「ただの朝と夜」を幾度も越えていくしかないのだろう

最後の文章も印象的である。

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