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生きる目的は生きること

生きる目的は…などと青臭いことを考えるお年頃はとっくに過ぎている筈なのに、やっぱり考えてしまう。

大上段に構えなくてもいい。
日日、何か楽しいことがあって、
誰かの役に立てればそれで充分なのかなと、思う。
しかし、そんなささやかな目的さえも失われたら…。

老人ホーム暮らし3年の母は、認知症と腰痛があるせいで、いつ訪ねてもベッドで横になっている。
わたしの顔を見るとむっくり起き上がり、うれしそうにおしゃべりするが、長時間座ったり、歩いたりができない。
何かをやろうとする気力がまったく失せてしまった。
〇〇でもやったら?
と勧めると、
それができるぐらいならこんなところに入ってないよ。
そんなときだけ妙にハッキリ答える。
自分が今どういう境遇で、何年ここにいるのかもわからない。
病院にいると錯覚しているときもある。

こんな役立たずになってしまって、早く死にたいよと何度も繰り返す。
割と軽い口調なので本心とも思えないが、半分は本心なのかもしれない。
「働かざる者食うべからず」いつもそういっていた母だから。

それにしても「早く死にたい」と毎度いわれるこっちの身にもなってほしい。
冷たいようだが、もういい加減うんざりだ。
「そんなことないよ。長生きしてね」と素直に返せない。
「まだまだ元気だからそう簡単には死ねないよ」と答えることにしている。

母は専業主婦だったが、栄養士の資格を持ち、料理が得意だった。
性格にはかなり難点があり、子ども時代は反発したけれど、長患いの自分の両親、父の母と、三人を見送ったことは尊敬に値する。
何事も真面目に一所懸命に取り組む人だった。
父の定年後は夫婦であちこち旅行を楽しんでいた。

父が他界して、あとは余生を楽しんでほしいと思っても、今はもう楽しむ力もない。

生きる目的はその日その日を生きること。
今の母にはそれが精一杯だ。