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厳しい環境に身をおくことは視野を狭くするか?

高校受験の時、第一志望は私立だったのですが、合格余裕ではなく模試ではぎりぎり手が届くか届かないかくらいの立ち位置でした。
また私立は理科・社会がないため、英語・数学・国語のみを集中的に勉強すればOKというの志望理由の一つです。

当事、中学校の先生から「そんな余裕のない視野の狭い勉強していてはダメになる。もう少し自分のペースで余裕を持った勉強して、それに合う志望高に変えた方がいいんじゃないか」と言われました。

確かに当事は、受験勉強で一杯一杯にもなり、視野を広げる余裕もなく、正直この言葉に揺れました。次の高校でもギリギリで入って、そこでまたついていくのに一生懸命になって・・・確かにこんな人生でいいのかなと。

結局当初志望校を受験し、結果何とか入学出来たのですが結果として、無理してでも当初志望高に言ってよかったと思いました。

人間はやはり弱いもので、周りに目もくれず努力や何かに打ち込める人はそう多くないと思いますが、「人並みでありたい」とは思う人は多いのではないでしょうか。
その場合「人並みの」定義は所属する環境によってその絶対的な水準が決定されます。

私はかなりコンプレックスの塊で、「人並みでありたい」という思いが強く、自分より圧倒的優秀な方々がいる環境にどうにか飛び込む→頑張って人並みくらにはなる→次なる環境に飛び込む→人並みになるを繰り返してきたイメージです。

つまり、無理してでも自分より優秀な人がいる環境に飛び込むことで、「人並みでいたい」というある種の本能により、強制的に努力する習慣が生まれることになり、結果として昔の自分とは比べものにならなくなっている可能性があります。

監査法人は補欠合格のビリけっつから始まりましたが厳しいといわれる部署を希望し、UP or OUTのコンサルも入社初期は今後パフォームが改善しないとクビよ的なことを言われましたが、何とか現在までくらいついてます。

今は成長を求めると「うわ。。意識高系」とか、「もっとのんびり生きよう」と言われますが、成長して自分ができなかった事ができるようになると、見える風景ががらっと変わります。
成長するたびにその視野が広がる喜びが忘れられず日々成長をモットーにやってきています。

なので自分を高めていきたい人は以下理由で無理してでも、若いうちから自分より優秀な環境に飛び込むべきです。
・(意思の強くない人の)自分の成長可能性は周りの環境に多分に影響される
・劣等感は強力なエネルギーであり、それをもとに努力する習慣が身につく

本日は少し取り留めのない内容になりましたが。以上になります。

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