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パピちゃんとの勝手な約束


15年前のちょうどこの頃、僕に家族が増えた。


暖かい冬の日のことだった。


当時中学2年生だった僕は、歳の離れた弟ができたみたいでとても嬉しかった。


初めて会ったときのことは今でも鮮明に覚えている。

僕が学校から家に帰ると、小さな茶色い物体がずっとこちらを見つめていた。

柔らかな茶色に毛先が白く、雲のようにモコモコで、真っ黒の瞳は潤いをおびていた。


僕が近づくと、その子は小刻みに震えていた。

びくびくと怯え、ケージから中々出てこようとしない。

今にも崩れ落ちてなくなってしまいそうなほどに、脆く儚く見えた。

手を差し出し体を撫でてみても震えは止まらなかった。

いま置かれている状況が理解できず、誰も信用ができない、そんな表情をしていた。

大丈夫、何があっても僕が守るから、その代わりいつまでも元気でいてね、と心の中で勝手な約束をした。


名前はお姉ちゃんがつけた。
パープルとピンクの色が好きだから「パピちゃん」と名付けたと言っていたが、今考えるとお姉ちゃんに全くパープルとピンクのイメージがないので、完全に後付けだと思う。
でも、名付けのセンスはいいなとそのとき思った。

家族みんなパピのことをちゃん付けで呼ぶことが多いが、別に女の子というわけではない。
めちゃくちゃ男なのだが、可愛すぎるが故にちゃん付けになってしまっている。
あんなクリクリした目の小さな物体に対してくん付けで呼べるわけはない、否が応でもちゃん付けになってしまう。


そんな可愛いパピちゃん、意外と打ち解けるのにはそう時間はかからなかった。

お家に来てから3日もすれば家中を走り回っていた。

その姿を見て僕は一安心した。

家族みんなでパピちゃんを可愛がった。

あんなにワンちゃん否定派だったお父さんも、パピのことは溺愛していた。

お父さんのお腹の上でよく寝ていたのを思い出す。

家族の中では一番お姉ちゃんがお世話をしていた。

散歩やご飯、トリミングや病院等もお姉ちゃんが連れて行っていた。
寝るときも毎日お姉ちゃんといっしょに寝ていた。

お姉ちゃんが仕事に行っているときは、代わりにお母さんがお世話をしていた。

僕はというと、たまに遊んでたまに昼寝してたまに可愛がるという一番楽なポジションだった。

散歩に行ったりもしていたが、それは僕が行きたいから行くだけであって、頼まれて行くことはほぼなかった。

家族はパピを叱ったりすることもあったが、僕は一度も叱ったことはない。
叱るかわりにおやつをあげ、究極に甘やかしていた。

なので、僕が家族の中で一番お世話をしていないのに、パピは僕に一番懐いていたと思う。

その証拠に、家族でご飯を食べているときは、絶対に僕の足元でパピは寝ていた。


人見知りで家族以外に懐くことはほぼなかった。
雷が嫌いで嵐の日はいつも震えていた。
ストーブが大好きで、心配になるほどストーブの近くで気持ち良さそうに寝ていた。
僕が寝ていると布団の中にいつも潜り込んできた。

そんなパピちゃんが愛おしかった。

パピちゃんとともに育ち、13歳の僕はもう27歳になった。
生後3ヶ月のパピちゃんはもう75歳になった。

いつかは会えなくなることはわかっていても、パピなら大丈夫と心のどこかで思っていた。


そんな現実味のない期待を打ち消すように、先日、母親から連絡が入った。


腰が悪くパピちゃんが全く動けない、ご飯も食べてくれないし水も飲めない、トイレも全くしない、覚悟しておいてほしい、と。

これまでも何度か危ないときはあったが、今回はやばいかもと僕の勘が騒いだ。

東京にいる僕は、地元の福岡に帰省することを決め、すぐに飛行機の予約をとった。

だが、飛行機の予約をとってから実際に帰れるまでに5日の期間があった。
頼むからもってくれ、5日だけでいいから耐えてくれと、自分よがりのお願いをした。


そして、僕のお願い通り、パピちゃんは5日間を耐え抜いてくれた。

実家へ帰り、リビングのドアを開けると、パピはとろけた目でこちらを見つめていた。

最初に出会ったときと同じような目でずっとこっちを見ていた。

真っ先にパピの方へ行き、頭をこねくり回した。
いつものパピなら遊んでくれと言わんばかりに走り回っているところだが、今は何も動けず、ただただ寝ているだけだった。

でも、僕はそれでも全然よかった。
5日間、僕が帰るまで耐えてくれただけで、元気なうちに一目会えただけでよかった。


こねくり回した後、シャワーを浴び、お母さんとお姉ちゃんとご飯を食べた。

久しぶりの家族とのご飯は心地良く、最高だった。
お酒もすすみにすすんだ。

すると、動けないはずのパピが、悪い腰を立たせ、足を引きずらせながら頑張って僕の横までやってきた。
そして、いつものように僕の足元で寝たのだ。

家族みんなでびっくりした。

こんなことがあるのかと、小さなアンビリーバボー体験をしたようだった。


僕は、今回の帰省で地元に5日間いたのだが、パピは僕が帰ってからというもの、日に日に回復していった。
ご飯もたっぷり食べるようになったし水もガブガブ飲むしトイレもしてくれるようになった。

まだ全然生きるやんこいつって思った。

また別れのときは悲しかったが、元気になってくれてよかった、帰ってきて本当によかったと思った。


僕は、パピちゃんはあの日の約束を果たしてくれようとしたんだなと思った。

最初に会ったときに僕が勝手に交わした約束。
僕が守るから、いつまでも元気でいてね、という約束。

パピちゃんの窮地に僕が地元に帰ってきたことを受け、パピちゃんも期待に応えようと元気な姿を見せてくれたのかもしれない。


本当にいつまでも元気でいてほしい。

何かあったらまたいつでも駆けつけるから、ずっと元気でいてねパピちゃん。


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